私の通っているお寺は、今は主要行事は自主的な参加に限り認めていて、積極的に参加するのは自粛、となっている。春季総登山は中止となった。
朝夕の唱題会も当然自粛となっている。母の施設も面会が制限され、直接会えない。
私は策を弄して、窓越しに会う作戦を取り、食堂の母の見える席の傍の窓に近づいてみた。
母に手を振ると、母も喜んで手を振り返す。職員の方が見かねて母の車椅子を私が張り付く窓まで寄せてくれる。母と窓越しに、数分間、ジェスチャーで話す。
母の声が微妙に窓を通して伝わってくる。母は、一生懸命、私と直接話せないのか?という風に身振り手振りで話す。私はいつも、手でバッテンを作り、駄目だと諭す。
そんなやり取りも、こんな事をいつまで続ければいいのか、という疑問もあるが、今が正念場、決してヒステリックにならず、冷静さが必要になる。
コロナウイルスは憎いし、今年の初めにはこんな事は予想だにしなかったが、起こった以上、推移を見守り、日頃の手洗い、うがい、マスク等を、励行する以外にない。
パニックになって取り乱すのが一番良くない。昔から流行り病と言って、いつの時代も、日蓮大聖人がおられた鎌倉時代にも勿論、あった。
本当に、この事態が収束に向かい、後からそんな事もあったね、と振り返られる程の沈静化を願う。