おでかけたいむす

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高根城址 (静岡県浜松市天竜区)信遠国境の山城

2018-02-25 20:29:40 | 
高根城縄張り図

水窪にある高根城は南信と遠州を結ぶ国道152号線(秋葉街道)にあり、信遠国境警備のために築かれた城です。
城が造られた当初は今川方の城として北の武田を警戒するため、その後武田の城になると南の今川や徳川を警戒するために南側の守りを固める改造がされたそうです。

では、登城してみましょう。

高根城の散策マップ

駐車場から城へのルートは複数あるのですが・・・「登城の小道」は距離が短いけどつづら折りの階段、「四季の小道」は道は広くて歩きやすいけど距離が長い道になってます。私は「四季の小道」から城の南へ行くルートをチョイス。



追記 林道を通って裏側から登るルートもあるようです。

 高根城南側の堀

尾根に出ると遊具(現在利用中止)のある広場、東屋を経て城の南側に、ここから南側に作られた二重堀切がよく見えます。
二重堀切は南側の防備を固めるために武田側によって作られたもの。南側から攻めてきた敵は∨字型の堀を二つも越えないと先に行けないんですね。

高根城本曲輪

三の曲輪、二の曲輪の先に本曲輪があります。

高根城本曲輪見取り図

本曲輪には復元された櫓と倉庫、柵などが復元されています。神社がありますが、これは後から建てられた物のようです。
井楼櫓

ひときわ目立つのは井楼櫓(せいろうやぐら)、これは武田側の城になってから作られたもの。事前に案内ボランティアに連絡すれば内部の見学も出来るらしいです。

高根城址は発掘調査をもとにかなり忠実に復元したようで、なんちゃって天守など無く当時の様子を伺い知れるのがよいでした。





犬山城 (愛知県犬山市) 現存天守では最古

2017-08-16 20:54:24 | 
犬山城天守閣

犬山城の天守閣は現存天守としては最も古く国宝にもなっています。

犬山城天守からの眺め

木曽川沿いの小高い丘の上に建ち天守からの眺めも絶景です。

犬山城の城主

天文6年(1537年)にもともとあった砦を改修して織田信康(織田信長の叔父にあたる)が建てたとされています。織田家配下の城であったが本能寺の変、関ヶ原の合戦で城主が変遷し江戸時代移行は成瀬家が代々城主を努め、なんと2004年(平成16年)まで成瀬家の個人所有のお城で、本物の“お殿様”が居たんですね。

犬山城天守の骨組み模型

天守の構造は三層四階地下二階で初期に建てらられた二階部分に望楼を乗せたと推測されています。

犬山城付近の地図

blogramによるブログ分析

沼田城 (群馬県沼田市) 河岸段丘の城

2017-06-29 22:19:21 | 
沼田城にある像

沼田城には以前訪れた事があったのですが、何年か振りに再訪してみました。
前に来たときにはこんな像はなかったのに・・・大河ドラマの効果とは凄いものですね。大河ドラマだけではなく「ブラタモリ」でも取り上げられてNHK2重効果! なんか盛り上がっていました。

沼田城の絵

沼田城は蔵内城と呼ばれていた城を天正8年(1580年)に真田昌幸が入城して規模を拡大し、慶長2年(1597年)には5重の天守が造られ、天和元年(1681年)に改易されるまで真田氏の居城となっていました。

沼田城からの眺め

城はというか城下町は河岸段丘の台地にあって「天空の城下町」というフレーズで町おこしをしています。これはブラタモリの影響でしょうね。

沼田城の石段と石垣

遺構はあまり残っていないが、部分的に石垣などが残っています。

沼田城の鐘楼

沼田城のシンボル的な存在は本丸跡にある鐘楼でしょう。鐘楼は明治32年に建てられたものを復元してありますが、鐘は1634年に真田信吉が鋳造させた物(鐘楼にあるのはレプリカ)

真田城の武将たち

運が良ければ城内を巡回する武将たちに会えるかも(笑)

沼田城址の地図

blogramによるブログ分析

小金城址(大谷口歴史公園) 【千葉県松戸市】 後北条流の堀が残る

2017-02-13 20:54:03 | 
小金城址

小金城址の案内図

小金城址は小金城は大谷口城とも呼ばれ千葉氏の重臣である高城氏の居城であるとされており、現在では大谷口歴史公園として城跡が残されています。

小金城の虎口

虎口(出入り口)は4ヶ所あったそうですが残されているのは北口にあたる金杉口、虎口から中に入ると土塁で囲まれた広場になっています。

広場

さらに一段上に登るとそこも土塁に囲まれた広場になっており、東屋や石碑があります。

小金城の石碑

小金城の範囲

石碑には推定される小金城の地図がありましたので、ちょっとわかりやすく加工してみました。
黄色い線で囲った部分が大谷口歴史公園になります。

城の規模は南北に約600メートル、東西に約800メートルと千葉県下でも最大級の中世時代の平山城で9から10の曲輪があったものと思われています。

城跡のほとんどは住宅地にされてしまい真に残念。

小金城の障子堀

障子堀の案内板

この城の特徴は堀。障子堀や畝堀といった後北条氏の城によく用いられる形式の堀が造られています。が、せっかく残された堀が落ち葉や土に埋もれて障子堀や畝堀の形状がはっきり確認できないのが真に残念。

後北条氏特有の堀があることから小金城は北条氏配下の重要な城であったと思われます。

大谷口歴史公園への地図

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blogramによるブログ分析

勝山散策2 (福井県勝山市) 勝山城址

2016-10-25 21:22:29 | 
勝山城址付近の地図

ゆめおーれ勝山から越前勝山城址へぶらぶらと、といってもすぐ前が城址なのですが・・・
勝山市役所付近を中心とした場所に勝山城がありました。立派な天守閣のある勝山城博物館が有名になってしまったが、あれは実在した勝山城とは関係はない、いわゆる「なんちゃって天守閣」

勝山市のサンプラザは二ノ丸の跡にある

ショッピングセンターがある辺りが二ノ丸だった場所です。

勝山市役所付近が本丸

本丸だった場所は勝山市役所や市民会館のある付近。

勝山城天守台

天守台跡にある、最後の藩主を勤めた小笠原長守が自ら記した「勝山城址之碑」が城があったことを偲ばせる物でしょうか。


初めて城を築いたのは柴田勝安(勝政)とされる、徳川幕府の時代に廃城となり取り壊される。やがて小笠原貞伸が入封し再建の許可を幕府に願い出て、二代目藩主の時に再建工事が始まったそうだが、財政難から度々工事が中断して60年後にようやく二ノ丸に御殿が造られた。

しかし、火事で焼けてしまい築城から120年たってようやくほぼ計画通りの城郭が出来たそうです。一部の出丸や天守閣は造られなかったそうです。


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