8月6日長野市中心部で恒例のびんずる祭があった。今年は第46回、第1回は昭和46年だという。長野市内で勤務した現役時代、多分10回頃のびんずる祭に職域連で
参加した思い出がある。その時依頼初めて見に行った。先ず驚いたのは10人前後の見慣れない服装を纏った、一風変わった〇〇連を見かけたことだった。
踊も「しゃもじ」を持たず躍動感はあったが、浴衣や法被を纏った一般の連の中では違和感があった。参加した当時は参加連も市内の企業や官公署関係が主体だったと
思うが、今は長野市外の団体や色々なグループの参加の連もあるようで、自由に踊を楽しむということなんだろう。最も祭は見るより参加する方が楽しいと言われており、
当時実感としてて味わえた。
びんずる祭で思出したのは、 新潟市で数年生活した時の新潟まつりの一つ「民謡流し」である。新潟での勤務中、職場の連で民謡流しに参加、「佐渡おけさ」と
「新潟甚句」を踊った。揃いの浴衣に菅笠をかぶり或いは背中に背負って踊った。お座敷の踊では輪踊だが民謡流しでは1方向に進む踊に変えている。
Youtubeに投稿された新潟民謡流しを見たら、今も踊は「佐渡おけさ」と「新潟甚句」で浴衣や法被姿であったが菅笠は持っていなかった。
時代の変化と共に祭りのスタイルも変わっており、馴染みの薄いのも止むを得ず、昔の面影を追う後期高齢者には略語・カタカナ語に悩まされるのと合わせ、
全く時代の変遷を感じるこの頃である。
中央通り・昭和通り交差点の竿燈 交差点東にあった火釜 竿燈舞台の長野市長
おどり開始前の連 びんずる踊の連
びんずる踊りの連 びんずる祭りメイン会場(竿燈のあった交差点)奥にお囃子
踊り開始6時半、夕食もせず待ちくたびれ、気力もなくなり子供連や殆どの連の踊も見ずに早々に帰宅した。来年は余裕をもって見に行こうと思う。、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます