t-catの徒然寄稿

興の赴くままの煩悩炸裂日記です。買い物(散財)やら、最近のハマリ物公開中。猫(ラグドール)と暮らして18年が過ぎました。

はじめて、きいた、こえ

2005-08-12 21:46:10 | 興の広場
私たちの世代、1970年代に学齢期にあった者なら、
空の世界を描いた「アテンションプリーズ」に
憧れた人は多いと思います。

この番組をじっくり見た覚えはなくても、
鶴丸の日本航空はしっかりインプリントされ、
いつか私もスチュワーデスに、と、
私も願っていた一人でした。
もちろん、使う飛行機は日航オンリー。
東京・大阪間で飛行機を使うという、
当時ではおそろしい贅沢も、
スカイメイトなら今時の早割21ぐらいで
すみました。
そんな私がよく利用した便が、
大阪発124便、
そして東京発123便でした。

今年、日航機事故から20年を数えます。
20年前当時、憧れを現実のものにしたくて
スチュワーデスの専門学校に、
会社帰りにせっせと通っていた
まさにその時期におこった事故でした。
憧れと事故と現実の厳しさ、
自信のなさと実力不足。
夢の大半は破れるためにある。
あやふやなうちに憧れは粉砕しましたが、
当時の熱気は不思議と忘れることができません。
事故の報に接した、学校で席をならべていた
人たちも、何人か辞めた方がいたようです。
もちろん、私もその1員に加わります。

さきほど、TVで、
ボイスレコードの一部を初めて聴きました。
数年前にも放映されたそうですが、
私は耳にするのが今日が初めて。
聞き進む内に、胃の腑のあたりから
背中へかけて、じりじりと広がる痛みに、
何ともやるせなく、
最後の最後まで力を尽くした
パイロットの皆さんと、
乗り合わせた皆さんのつらさの
万分の一に接したような思いがしました。

事故当時、乗り慣れた123便の遭難と、
永久欠番になった便数にのみ
無邪気にも哀惜の気持ちを持っていましたが、
わからなかったことが多すぎました。

当時の私は、幼すぎました…

月並みな物言いに終始してしまいます、
事故に遭難された皆様のご冥福を
お祈り申し上げます。
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