食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

醤油の歴史-近世日本の食の革命(6)

2022-01-12 22:03:00 | 第四章 近世の食の革命
醤油の歴史-近世日本の食の革命(6)
醤油は和風の料理には欠かせない調味料です。豆腐や玉子焼き、ゆでた野菜や焼餅にかけたり、刺身やすしにつけたりします。また、ほとんどの煮込み料理に使用されます。このように、和風料理の大部分は何らかの形で醤油を使います。また、最近ではフランス料理などの外国料理やアイスクリームなどで隠し味に使われることもあります。

醤油にはうまみの元になる大量のアミノ酸とともに高濃度の塩、そして糖分やアルコールなどが含まれており、これらが組み合わさって醤油の美味しさが生まれます。また、醤油には独特の香りがあり、これも醤油の美味しさを引き立てています。

さらに、醤油が焦げると食欲をそそるかぐわしい香りが立ち昇ります。これは醤油に含まれるアミノ酸と糖分がメイラード反応と呼ばれる反応を起こすことで生じる香りです。

このように、醤油は日本料理における万能調味料であることから、醤油のはじまりが日本料理のはじまりと言う人もいます。これはそれほど大げさな表現ではなく、実際に醤油の出現によって日本の食は大きく変化しました。今回は、このような醤油の歴史について見て行きます。



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まず、現代の醤油の造り方を見て行こう。

醤油の醸造は、蒸したダイズと炒ったコムギの混合物に麹菌を成育させた「麹(こうじ)」を作ることから始まる。これに食塩水を加えて「醪(もろみ)」と呼ばれる状態にし、時々攪拌しながら数か月間かけて発酵を行う。

すると、ダイズのタンパク質が麹菌の酵素で分解されてうまみ成分のアミノ酸に変わる。また、コムギのデンプンも麹菌の酵素で分解されて糖になる。糖は醤油の甘みの元となるとともに、その一部は乳酸菌によって乳酸に変えられるため醤油は弱酸性になり、雑菌の繁殖が抑えられる。また、酵母によってアルコールになることで、風味も良くなる。

さらに酵母は、醤油独特の香りを生み出す役割も果たしている。香りの主成分は「HEMF」という物質で、体内に入ると活性酸素を減少させて抗がん作用を発揮するとも言われている。さらに酵母は、HEMF以外のたくさんの香り成分の生成にかかわっている。

なお、醤油の濃い褐色は、メイラード反応によってアミノ酸と糖が反応した結果、「メラノイジン」という物質が生成されることで生まれる。このメラノイジンにも、体内に取り込まれると活性酸素を減少させる効果があると言われている。

発酵が終了した醪(もろみ)は、絞られて固形物が取り除かれる。これが「生醤油(なましょうゆ)」だ。現代では生醤油のまま販売されることもあるが(この場合は酵母などが除去されている)、多くの場合は「火入れ(ひいれ)」という作業を行った後、販売される。

火入れは室町時代末期に酒造りで考案された技術で、日本酒を60℃くらいに温めることによって、残っている酵母や雑菌を死滅させて長期保存を可能にするものだ。これが醤油造りにも使用された。

ただし醤油造りでは、このような殺菌に加えて、不要なタンパク質などを沈殿させて除去するとともに、メイラード反応を促進させて、かぐわしい香りと濃厚な色を付けるために行われる。この醤油の火入れ技術は、1712年に編纂された百科事典の『和漢三才図鑑』に掲載されていることから、18世紀初頭には一般的な技術として定着していたと考えられる。

以上が現代の醤油の造り方だ。なお、昔から醬油造りには「一麹(いちこうじ)、ニ櫂(にかい)、三火入れ(さんひいれ)」という言い方があり、最も重要な作業が最初の麹造りで、次が醪(もろみ)の攪拌を行う作業(櫂は攪拌に使用する棒のこと)、そして最後に火入れという順になっているそうだ。
さて、醤油の歴史だ。醤油は味噌から生まれたと考えられている。味噌の歴史については本ブログの「味噌汁の誕生-中世日本の食(12)」ですでにお話ししたのでここでは割愛させていただく。

味噌から醤油が最初に作られたのは紀州(和歌山県)とされている。鎌倉時代の初期の1254年に宋から帰国した僧の覚心が、紀州の湯浅にダイズに刻んだ野菜を混ぜて発酵させて作る径山寺(きんざんじ)味噌の作り方を伝えたのだが、その製造過程でしみ出してきた液体がとても美味しいことに気が付いて、これを調味料として用いたのが醤油のはじまりと言われている。

この醤油は「溜まり醤油(たまりしょうゆ)」の原型のようなものだ。その後しばらくの間は、このように味噌から染み出た醤油や、味噌を水に溶かして煎じたのちに絞って作った「たれ味噌」と呼ばれるものが調味料として用いられた。これらは評判が良かったらしく、日本の各地でこれらの醤油が造られたという。

室町時代末期(16世紀後半)になると、関西で現在の醤油造りに近い製造方法が開発される。この開発を行ったのは酒造りの職人たちと考えられている。

酒造りと醤油造りを比較してみると、両者には共通点が多い。第一に、麹菌と乳酸菌、酵母を使って醸造を行うところが似ているし、醪(もろみ)の仕込みでは酒も醤油も大きな樽を使うところが共通している。つまり、酒造りの技術と設備を醤油造りに転用することで現代に通じる醤油の醸造方法が確立されたと考えられるのだ。

また、酒造りは関西の寺院を中心に発展してきた歴史があるため、醤油の新しい醸造方法も関西で始まったと考えられる。特に、大阪湾周辺での醤油造りが盛んだった。

江戸中期までは、このように大阪などで造られた「下り醤油」が船で江戸に運ばれて消費されていた。例えば、1726年に江戸に入った醤油は13万樽ほどで、そのうちの10万樽が大阪から運ばれたものだった。

一方、関東の野田銚子(いずれも千葉県)で17世紀後半に紀州の職人に教わることで醤油の製造が始まった。幕府が地廻り物の生産を奨励したことや、この醤油の豊かな香りと濃い色が江戸の人々の嗜好に合ったこともあって、1821年には江戸で消費された醤油のほぼ全量を関東産の醤油がまかなうようになる。これが「濃口醬油(こいくちしょうゆ)」の元祖とされている。

醤油には濃口醬油以外に、「淡口醬油(うすくちしょうゆ)」「溜醤油(たまりしょうゆ)」「白醤油(しろしょうゆ)」「再仕込み醤油」がある。

淡口醬油(うすくちしょうゆ)は、1666年に播州の龍野(兵庫県)で誕生した。この醤油はコムギの炒りを弱くし、塩水の量を多くして発酵を弱め、仕上げに甘酒を加えることで造られる。色と香りが薄く、素材の良さを引き出す効果があるため、伝統的な日本料理には欠かせない調味料として関西一円に広まった。

また、17世紀末には東海地方でダイズと少量の塩水で醸造して造る「溜醤油(たまりしょうゆ)」が開発された。溜醤油は粘度が高く、うまみが濃厚で、刺身の醤油に適している。

同じく東海地方では、19世紀の初めにコムギを主な原料として醸造した「白醤油(しろしょうゆ)」も造られ始めた。この醤油は、その名の通り色が薄くて甘い。鍋料理や汁料理によく使われる醤油である。

また、18世紀末には、防州柳井(山口県)で塩水の代わりに搾りたての醤油を用いて醸造を行う甘露醤油再仕込み醤油)が開発された。この醤油はとても濃厚で、香りも高く、刺身やすしを食べるのに最高の醤油だ。また、ウナギのかば焼きのたれの材料としても最適である。

このように、江戸時代は、現在使われている様々な醤油が生み出された時代だったのである。