食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

そばの歴史-近世日本の食の革命(7)

2022-01-16 15:11:30 | 第四章 近世の食の革命
そばの歴史-近世日本の食の革命(7)
今回は「そば」の話です。

時代劇を見ていると、屋台でそばを食べるシーンが時々登場します。先週の『雲霧仁左衛門5』でも、岡っ引きがそばを食べている最中に雲霧の一味が盗みを働いていました。このように、江戸っ子のそば好きは有名です。

そばが現在のような形になるのは江戸時代のことで、それが江戸に広まると、瞬く間に江戸っ子の大好きな食べ物になりました。そしてそれ以降、そばはさまざまな進化を遂げながら、江戸や東京になくてはならない食の地位を守り続けています。

今回はこのようなそばの歴史を見て行きますが、ここでは麺類の方を「そば」とし、穀物の方を「ソバ」と表します。



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そばが登場する前の日本の麺類としては「うどん」と「そうめん」がある。これらについては、すでに「うどん・そうめん・石臼-中世日本の食(8)」で詳しくお話しした。

うどん・そうめんは小麦粉で作られており、小麦粉に含まれるグルテンが網目構造を作ることで生地全体がまとまるため細くしても切れなくなる。一方、そばにはグルテンが入っていないため、そば粉だけでそばを作るのは難しい。

ソバは中央アジア原産のタデ科の植物だ。イネやコムギのようなイネ科の植物とは異なり、受精には他の花の花粉が必要だし、虫に花粉を運んでもらわなければならない。しかし、ソバは冷涼なやせた土地でも早く実ることから、世界の各地で栽培されてきた。

ソバは日本に縄文時代に伝えられたと考えられている。最初は粥にしたり、米などと一緒に炊いたりして食べていたが、石臼が伝えられると粉にされ、湯にといて「そばがき」「そばねり」「そばもち」にして食べられるようになった。

現在「そば」と呼ばれているものは、元は「そば切り」と呼ばれていた。その起源については天正年間(1573~1592年)に甲州(山梨)で始まったとする説と、江戸時代初期に朝鮮の僧の元珍が東大寺にそばのつなぎに小麦粉を加えることを伝えたのが始まりとする説がある。つなぎに小麦粉を使わない場合は、ヤマイモや豆腐が使われていた。

江戸にそば切りが伝えられたのは1664年(寛文4年)とされる。最初はせいろを持つ菓子屋で蒸したそばが売られていたという。これが江戸っ子の評判となり、18世紀に入ると湯がいたそばが作られるようになり、神田に「二八即席けんどん」という看板を掲げて、そばを出す店が現れた。この「二八」の意味するところとして、「二八の十六文」でそばを売っていたからという説と、そばを「小麦粉2、そば粉8」で作ったからという説の二つがあるが、どうも前者の方が正しいらしい。

18世紀前半までは味噌だれでそばを食べていたが、18世紀後半になると、醤油削り節で作ったたれが登場した。さらに、器に入れたそばに醤油と削り節をベースにした熱い汁をかけて食べる「ぶっかけ(かけそば)」が考案され、江戸で大流行する。そして、このぶっかけに、様々な具を乗せた次のような「種物(たねもの)」が時代とともに次々と考案されて行った。

しっぽくそば:キノコ・かまぼこ・野菜などを乗せたかけそばのこと。しっぽく(卓袱)は、元は長崎の料理で、これが元となって享保(1716~36年)頃に上方で広まったしっぽくうどんが、1750年以降に江戸に伝わって始まったとされる。
花巻そば:かけそばの上に海苔をちらしたもの。その様子が、花が開いたように見えるので花巻と名付けられたと言われている。安永年間(1772~1780年)に考案されたとされる。
鴨南蛮:鴨肉とネギが乗ったかけそば。文化年間(1804~1818年)に考案されたとされる。
てんぷらそば:てんぷらが屋台で食べられるようになったのは1770年代以降のことで、少なくとも19世紀の初めにはてんぷらそばが作られていたと考えられる。

これら以外に、卵とじかしわ南蛮などの具を乗せたものが江戸時代に考案された。

なお、18世紀後半になると江戸の西の武蔵野などでソバの栽培が盛んになり、収穫されたソバの実を川の水力を使った石臼で製粉することによって、大量のそば粉が江戸に出回るようになった(それまでは、そば屋が自分で製粉していた)。こうして18世紀後半から店を構えるそば屋が増え、1860年の江戸には3763軒のそば屋があったことが分かっている。この数には屋台などの数は入っておらず、それらを入れると、江戸ではものすごい数のそば屋が営業していたことになる。

ちなみに、かけそばの値段は長い間16文のままで、しっぽくそばは24文、花巻そばが24文、てんぷらそば(海老天入り)が32文、卵とじが32文だった(1文は現在の10~30円と言われている)。

なお、年越しそばも18世紀後半から始まった風習で、そばの長く伸びるさまに健康や寿命の願掛けを行ったものとされている。