買い物の折、路傍に生える桑の木をみたら、唐突に蚕のことを思い出した。小学生の頃、何度か熱病の如く起った蚕ブームのことをである。ある日、ある学友が学校にたくさんの蚕を持ってきた。余を含む学友たちはそのお裾分けに与り、みんな自宅に持ち帰り飼育した。蚕は簡単に飼える。平たい箱に蚕の食草の桑の葉を入れておけば用意万端で、逃げることもない。桑の葉は近所に自生しているものを自前で調達した。当時余は横浜で暮らしていたが桑の木を見つけるのは難しいことではなかった。桑の葉をせっせと食べ蚕はやがて羽化した。こういうことが一度きりではなく何度かあった。あの出来事は一体何だったのだろうかと考えるに、こういうことではなかろうか。
その友達の実家はおそらく関東近辺で養蚕をやっていたけれども廃業する。それで蚕が不要になり孫(私の友)に譲るが、一人で飼うには多すぎるので学校で友人たちにお裾分けする。今ならもらっても困る子が多いだろうし、そもそも蚕を飼ってみようなどという興味を持つ子も少ないのではないか。だが当時は違っていた。子どもたち、とりわけ男の子はみんな昆虫が大好きだった。そこら辺で捕まえてきたいろいろな虫魚を飼うのが何よりの楽しみだった。だから私も喜んで蚕をもらい自宅で飼った。
さて、試みに群馬県の繭生産量を調べてみた。果たして、私が生まれた昭和40年代初頭が最盛期でその後昭和46年を過ぎる頃から昭和50年代にかけて急激に落ち込む。正に私が小学校時代を送った時期とぴったり符合するではないか。私達は養蚕業の最後の残照が正に消えかからんとするその時に小学校生活を送り蚕の最後を看取ったのではあるまいか。