Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

Wk 37-38

2006-09-24 | Japan
先々週は、水曜日、日建設計のネモトくんが久しぶりに大学に来たほか、木曜には大学院生のイシイさんと修論打合せ。金曜、環境造園学プログラム会議。

先々週末から先週の前半にかけて体調を崩してしまい、自宅にて大学院生の投稿論文を集中的にチェック。メイルにてやりとり。木曜日の学科会議にようやく顔を出す。JABEE中間審査受審準備依頼。金曜日、「グリーンアートフェスタ'06 in すがも・おおつか」説明会@高岩時十福苑。現場視察後、大塚会場にも回り現場をチェック。土曜日は午前中大学で論文執筆、夕方、プレイスメディアのシモダくんの結婚披露宴に出席@ニューオータニ。懐かしい面々と顔を合わせる。未来風景舎テシマさんの司会は板に付いたものだった。最後、新郎新婦も参加してのバンド演奏もなかなかよかった。大学時代恩師という立場で出席させていただいたが、思うにシモダ君にはこれまで逆にお世話になりっぱなしだった。日曜日、弟が東京に引っ越してきたので息子と一緒に新居を訪ねる。

ミタライ会長さんへ(Sept.7の記事加筆)

2006-09-23 | Japan
Thursday, September 7, 2006
産学連携FD講習会。経団連のミタライ会長のスピーチが紹介された。大学のていたらくをずいぶんとアジってくれたようだ。こういう認識が社会一般のものだと言うことはボクも理解できるし大学も努力が必要であることに異論はない。だけど反論もある。「大学は社会のニーズにもっと応えろ」って言うけど、社会のニーズっていつも正しいものか? 経済原理や経済活動っていつも正しいもんか? 社会のニーズに応える前に社会に対して文句言いたいことだっていっぱいある。それを棚に上げて、社会や経済に安易に尻尾を振るわけにはいかない。それこそ大学の本分を踏み誤ることになりかねないというものだ。差し当たって二つだけ言っておこう。1)経済問題を教育問題に安易にすり替えるな! 2)日本の教育の将来を案ずるならカネ(研究ではなくて教育のための)を出せ!

野菊野団地の竣工時のプラン

2006-09-21 | Japan
野菊野団地の竣工時のプランを確認しました。現在の状態と比べるとやはり中庭が大きくつくり替えられています。予想したとおり中庭には建設当初、駐車場はありませんでした(歩車分離)。おそらく総合団地環境整備事業等によるつくり替えの結果だと思われます。駐車スペースの不足や広場の老朽化を理由に行われたもので、住民も合意の上の再整備だったはずです。とはいえ、造り替えられる前は相当に豊かなグリーンがデモーニッシュな建築のボリュームに対峙していたはずです。ランドスケープの貧困にはやはり理由があったわけです。

social inclusion and public park

2006-09-20 | Media
笹沼弘志(2006):ホームレス、または世界の喪失、現代思想、vol.34.9、p.68-85

これはちょっと目から鱗だ。この論文は、先の大阪地裁の判決-公園に4年間暮らしてきたある男性がそこに「住所」を認められた-について、「居場所を奪われたホームレスの人々が、公園にテントを建て、耕し、仲間との絆だけでなく、地域の住民たちと出会いの場をつくり出し、この世の中をわずかながらであれ作り替えたこと、そのようにして彼らがこの世の中に「住んでいること」を、後追いながら、公権力が認めたことである。」と指摘している。特に後半の「世界を作り替える」という部分、新しい住まい方が法の世界の中で認められたという点が重要だ。

複雑なのは、公園で野宿する「権利」が認められたのわけではなく、そこに住まい、生活の本拠としていることが認められたに過ぎないという点だ。これがなぜ重要かというと、「住所を認めるか否かは、そこに住んでいる、生活の本拠としているという事実によってのみ判断されるべきものであり、そこの場所に占用権原があるか否かは無関係」だからである。

つまり判決の意義は、「ゴミのように排除されるべき存在であったホームレスの人々も、この世の中に住む資格のある人間であり、市民であること」を認めた点にある。しかし、それ以前の問題として、日本国憲法25条で「生活権」を保障し、その具体的保障手段として「生活保護法」がある我が国において、失業者が直ちにホームレスになることは実に驚くべきことであると指摘する。そして、それには社会的排除 social exclusion という市民権の全面的剥奪と、それ以前に、社会の成立条件としての「世界の私的囲い込みと、根源的排除 eviction 」が関わっていると言う。

そして、公共空間や、公物とは、世界の私化(囲い込み)の残余としてある、と指摘する。問題は、貧困であるが故に私的に囲い込まれた世界に居場所をもつ権限を持たない人々が排除されてしまったことである。彼らは必然的にわずかばかりの公共空間に身を寄せることとなるが、そこでもまた暴力的な排除が待っていたというわけだ。

ここで注意すべきは、一見すると、私的領域に対する公権力の優越に見えるこの事態であるが、実はそのような監視の目を光らせている張本人というのが、今日の「監視社会」においては、(法的に正当化された公権力ではなく)「私人」にほかならないということだ。つ・ま・り、ホームレスは公園から出て行けという論理は、わずかに残された公共空間をさらに「私物化」する論理(公私の論理の転倒)であり、公園を、いわば持てる者だけの、会員制施設にしようということだ、というのだ。これは目から鱗だ。

しかし、この論文を読んで僕はまた別のことを考えた。それは、公園や庭園って、建築と比べると「人の生存を支える」(シェルターとしての建築)という「切実さ」のようなものが弱いなと、常々考えていたのだけれど、どっこい、公園って、ホームレスの人々の命を生活を支えているじゃないかと。いわゆる公園の世界ではホームレスの居住は公園の利用形態の一つであるなどとは断じて認められていない(僕は以前にも書いたけれど、こういう公園の使われ方こそが公園の本質的な存在意義であると思っている)。でも、「人々の命を支える空間として公園が切実に機能している」と考えると、公園も結構やるじゃねぇ~かって思っちゃう。

'histroic'補記

2006-09-19 | Japan
’歴史的'とは、ただたんに古いだけではなく、ある時代の特徴をよく表していることに価値が求められるのであって、現代の価値観や利用形態に適合していることは(適合しているにこしたことはないが)、必ずしも具備すべき条件とはならない点に留意すべきである。このことから、いま、使い勝手が悪いからといって、それを破壊(再整備)するにはあたらないということが言える。むろん、月並みな公園であれば再整備は免れないが、'歴史的である'というまさにそのことによって再整備を免れ得るし、今日的なレベルから見て必ずしも十分な空間性能を満足していない、ということが許されるのである。これは例えば、「桂離宮」をバリアフリー化せよ、とか、姫路城にエレベーターを付けよ、などというバカなことは誰も言わない、ということを想起すればよいだろう。

'historic'の条件

2006-09-19 | Japan
連休中に息子にせがまれて久しぶりにおっぱい公園(川萩公園、松戸市三矢小台)に行ってきた。昭和40年開園の齢41歳を迎える古い公園だ。イギリスでは歴史的(historic)庭園・公園と称される基準を最低でも開園後30年を経過していることと定めている。あの歴史が積層したような国イギリスを思い浮かべた時、これは決して多い数字とは言えない。むしろ、たった30年でいいのか、という感じだ。しかし、これは、戦後の作品、近代の作品も歴史的遺産として積極的に評価していこうとする姿勢の表れであり、変化の速度の速い現代社会にあってむしろ妥当な数字と言えるかもしれない。

翻って、我が国はどうか。公園の歴史の浅い我が国ではあるが、デザイン、事跡ともに歴史的遺産と呼んでよい公園は数多く存在すると僕は確信する。それが、再整備という名の下にどんどん失われている。実に驚くべきことである。再整備時に評価されるものはせいぜい成長した樹木がいいところである。もちろん、拙いデザインは修正されなければならない。しかし、維持管理の不備とデザインの善し悪しの問題を取り違えているケースが実に多いような気がする。その陰で、数多の歴史的公園が姿を消していく。

公共事業が先細りを見せる中、公園の再整備は公共造園業界にとって重要な活路の一つといえるが、過去のデザインをいとも簡単に変更するのは自らがやってきたことを否定するようなものである。住民の言いなりにならないで、むしろ歴史的なデザインの重要性に気づかせ、説得するくらいの気概が欲しいと思う。歴史的公園を評価する基準やしくみづくりも研究レベルでほとんど未着手であり、自分も遅ればせながら取り組み始めたところである。

野菊野団地(松戸市)

2006-09-17 | Japan
近所の野菊野団地(UR都市機構)に行ってきた。旧日本住宅公団による面開発市街地住宅(746戸)で1975年の建設。今年で築31年目を迎えたことになる。完全な囲み型の住棟配置で囲み内部には公園がつくられている。この時代の公団がよく採用したスキップフロアの住棟ファサードは何というかとても無骨。というか公団デザインというのは基本的に無駄な装飾を排した無骨なものだ。囲み内部には公園に隣接して駐車場があるが、おそらく後になって整備されたもの。以前はもっと公園もしくは植栽地が広かったとみた。南側のプレイロットも最近建設された介護施設に敷地のかなりの部分をぶんどられてちっちゃくなっている模様。それにしても賃貸というのは寄る年波を隠せないというか、隠そうとしないというか。建築もランドスケープもストックになり得ていない。特にこの団地の場合はランドスケープが悪い(ふつうはランドスケープは良いんだけど)。これだけの規模の中庭だというのに、でかい樹木の一本すらも見あたらない。

3Dレイヤーを装備した新版のGoogle Earthを早速試してみました(写真)
その他の写真はこちら

つくばセンター地区周辺のオープンスペース

2006-09-15 | Japan
筑波研究学園都市センター地区周辺のオープンスペースの写真をアップします。都市全体を南北に貫くペデゾーンとそれにぶらさがる学校、病院、そして公園。時間の都合で、つくばセンタービルの広場、中央公園、松見公園しかまわれませんでしたが、センター地区のオープンスペース群は非常に建築的テイストが濃厚な印象を受けました。磯崎さんのつくばセンタービルの広場は僕はあんまり好きじゃないけれども、あれはあれで時代の空気(ポストモダン)を感じさせてくれる重要な物件でしょう。中央公園はもう「これぞ公団の公園」としかいいようのない公園。2~3日前に本ブログでも書いたように個人的には松見公園(1976年開園)が好きです(上のGoogle Earthの写真)。日本庭園を近代的に再構成したような公園で、非常に丁寧につくってあり、維持管理のレベルも高いです。隣接して病院や薬局などもあり、看護婦さんが車いすを押して患者さんを連れてきたり、平日でも常に人影が絶えません。既存のマツ林のなかにプレイロットがつくられていて、子供連れにも利用価値は高いでしょうが、冬場は寒くて使い勝手が悪そうです。そして何よりもこの公園を特徴づけるのが、菊竹清訓氏設計のレストハウスと展望塔です。展望塔はその形状から通称「栓抜き」と称され、口の悪い人は「蠅たたき」とも言うそうです。ただ、この建築とランドスケープの関係は見事だと思います。賛否あるでしょうが、ある意味でこの建築のための庭園としての公園というとらえ方もできます。ラ系諸氏はこの点を不満に思うやもしれませんが、しかし、それゆえに建築とランドスケープの一体感が生まれていることもまた事実です。

ソーシャル・キャピタル論と景観問題

2006-09-15 | Media
渋谷望(2004):〈参加〉への封じ込めとしてのNPO-市民活動と新自由主義、都市問題、95(8)、(財)東京市政調査会 を読んで、景観の問題にあてはめて考えてみました。

景観を含むハードな社会資本を今後守っていくためには、それらを支える「集団内部又は集団間の協力を円滑にする社会的規範、価値観及び理解を伴うネットワーク」いわゆる「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)の蓄積や回復が求められる。一方、昨今流行のソーシャル・キャピタル論には負の側面もある。すなわち、ソーシャル・キャピタルの2大タイプ、内向的で排他的な「結合型」と外部に開かれたネットワーク型の「橋渡し型」のうち、前者の形成過程において、他者が排除される危険性がある。関連して、ソーシャル・キャピタルの蓄積と回復を最終的な目標とする観点からは、蓄積自体の不均衡、具体的には、ソーシャル・キャピタルの形成に参加できる社会階層(特に所得層)が実は限定される傾向にあり、事実上、社会的階層格差や社会的排除の問題を軽視又は不問にしてしまう危険性がある。

以上から、昨今の景観法制をめぐる議論に批判的に切り込む視点があり得るとすれば、それはソーシャル・キャピタル論をやはり批判的に検証することから獲得されるのではないだろうか。つまり、保全・創造に値する景観をソフト面で支えることになるソーシャル・キャピタルというものが、実はその蓄積・回復に参加できる社会階層を限定してしまうとすれば(持てる者)、そのようにして形成される景観とは限定された社会階層にのみ支持される景観、言い換えるなら社会的排除の上に成り立った景観ということになってしまう。

また、ソーシャル・キャピタル論の特徴として、ソーシャル・キャピタルの衰退の原因を、不安定な職や経済的苦境に起因する忙しさ、郊外化、電子コミュニケーション、世代変化に求め、ソーシャル・キャピタル回復の必要性を説くものの、ソーシャル・キャピタルを衰退させたマクロな要因-新自由主義的グローバル化-に対しては無関心を決め込む。それゆえに、ソーシャル・キャピタル論は社会的格差・排除の問題を軽視することになるのである(新自由主義は社会的格差・排除のマクロな要因でもある)。つまり、ソーシャル・キャピタル論とは、それが求められるに至った原因-新自由主義-には目をつむり、結果のみを問題視し解決しようとする、すなわち結果的に新自由主義を下支えするものなのである。景観や社会資本の整備においてソーシャル・キャピタルの視点が着目されつつある昨今、以上の点には十分に注意する必要がある。社会や経済の体制を不問にしたままの景観論、社会資本論は不毛である。

日本造園学会関東支部大会関連情報

2006-09-14 | Japan
関東支部主催の恒例の学生ランドスケープデザイン・ワークショップ、「ランドスケープ・コンバージョン~風景の転換~」の中間講評会が下記により開催されますので気軽に足をお運び下さい。

日時:9月16日(土)13:30より
場所:東京農業大学(世田谷キャンパス)11号館にて

最終発表会は9月30日、千葉大学園芸学部松戸キャンパスにて開催の関東支部大会にて行われます。↓↓↓
ランドスケープ・コンバージョン~風景の転換~

関東支部大会全体の情報は→平成18年度 日本造園学会関東支部大会のご案内

グリーンアート・フェスタ'06 in すがも 参加作品募集

2006-09-13 | Fieldwork
第2回 江戸東京園芸まつり ~あなたの手で街をみどりに飾ってみませんか~

江戸市街地に隣接した巣鴨・染井地区かつては旧中山道に沿って植木商、造園・植木の生産者が多く立地し江戸園芸の拠点を形成していました。この歴史をまちづくりの活かすため、昨年度より“江戸東京園芸まつり”を開催しています。“江戸東京園芸まつり”は江戸園芸に因み、新しい都市景観を市民の手で緑に飾る“グリーンアート・フェスタ”を目標に実施するものです。巣鴨では現在、とげぬき地蔵尊で全国的にも有名な高岩寺さんの境内周辺の国道17号線(白山通り)の拡幅事業が進んでおり、国道工事期間中の美観対策及び、将来の国道拡幅後のより美しい街並みの展開などが大きな課題となっています。グリーンアート・フェスタ’065では、高岩寺さん周辺の国道買収済用地を対象とした街並みを飾る“グリーンアート”を募集し、現地で制作、展示。さらに、優秀作品は表彰することとしています。このフェスタを契機として、将来のみどりに彩られたうるおいのある街づくりと街の活性化に寄与することを目的としています。趣旨をご理解の上皆様のご協力と参加をお願いする次第です。

平成18年9月11日
第2回江戸東京園芸まつり実行委員会 委員長 松宮秀明

■主 催 :?としまにぎわい創出機構
■運 営 :第2回江戸東京園芸まつり実行委員会
■共 催 :豊島区、巣一商店会、巣鴨駅前商店街振興組合、巣鴨地蔵通り商店街振興組合、サンモール大塚商店街振興組合、大塚駅南口盛和会、大塚北口商栄会、巣鴨街づくり協議会、すがも中山道菊まつり実行委員会
■後 援 :巣鴨とげぬき地蔵尊門前仲見世会、仲見世奉賛会、萬頂山高岩寺、醫王山真性寺、大塚天祖神社、大塚商興会、巣鴨親和会、巣鴨三親会、大塚地区町会(未定)、東京都公園緑地協会(調整中)、協賛企業(未定)
■後 援 :巣鴨とげぬき地蔵尊門前仲見世会、仲見世奉賛会、萬頂山高岩寺、醫王山真性寺、東京都公園緑地協会(調整中)
■製作協力:千葉大学緑地・環境学科、?未来風景舎、?修景社、中山章建築研究室
■開催期間:平成18年10月21日(土)?11月6日(月)(制作期間10月14日?20日、表彰式:11月6日(菊祭り初日))
■開催場所:豊島区豊島三丁目地内国道17号線拡幅用地(空地)
■募集作品:3つのタイプのグリーンアートを製作者(10チーム)を募集します。(材料費は規定の範囲で各製作チームに支給します)

?木製のフレームを使ったグリーンアート
既設の木製のフレーム(高さ・幅約3m)を使用して花のバスケット吊るすなどにより街角を彩るグリンアートを製作します。
?壁面に展開するグリーンアート:
国道沿いの空地に高さ約2.5mの壁(ネットフェンス等)を設置し壁を活用したグリーンアートを製作します。壁の高さ、幅などは製作チームとご相談いたします。壁に囲まれたエリヤはオープンカフェとしての利用を考えています。
?木製の台を使ったグリーンアート
国道沿いの空地に木製の台を設置し台を活用したグリーンアートを製作します。台は約3m四方に設置することとし、形状については製作チームと相談いたします。

問い合わせ・申し込み先:第2回江戸東京園芸祭り実行委員会事務局 事務局長 小林 哲
〒170-0002東京都豊島区巣鴨4-22-8巣鴨地蔵通り商店街振興組合内?:03-3918-2101・2102 

長崎出張(日中韓国際ランドスケープ専門家会議)

2006-09-05 | Japan
Sunday, August 27, 2006
標記会議出席のため長崎に向けて出発。

Monday, August 28, 2006
JR九州の車両デザインは内装も含めてとてもクールだ。カラーリングだけでなく、車両の基本設計自体がJR東日本/西日本とはどこか根本的に異なる。非常に大陸的な雰囲気(シックさ)を感じ、JR東日本の新幹線のグリーン車などよりもよほど高級感がある。というより、おそらく東日本や西日本ではああいったデザインは受け入れられないんじゃないかとさえ思う。

九州旅客鉄道株式会社

東山手及び南山手の外国人居留地跡を見学。両者の違いは、前者が生活の中で昔の町並みが守られているの対して、後者はグラバー園に代表されるようにかなり施設化または観光地化される中で町並みが守られている。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、どうしても歴史的建造物自体やインテリアに目が行きがちだが、注目すべきは建造物のロケーションだ。地形と建造物の配置を重ねてみれば、例えば旧グラバー邸なんてこれ以上ないという良いところに建っている。長崎湾を望む小さく張り出したゆるやかな尾根の突端部に位置し、視界の広がり、開放感、高度感において他の洋館群を凌駕している。建築としては旧グラバー邸は確かに良いのだが、重厚さや豪華さという点では石造りの旧オルト邸のほうが勝っている。しかし旧オルト邸や旧リンガー邸はロケーションでグラバー邸に劣る。この点がグラバー邸の価値を高めているのだと思う。

参考:[PDF] 伝統的建造物群保存地区内文化財の維持管理のための画像データベースの開発

長崎ちゃんぽん発祥の店、四海楼で夕食。食後、復元なった出島へ。さるく博のパスポートを買っておいたので、1000円で、グラバー園、出島を見学することができた。お得! 出島は夜9時半までやっているのが旅人には嬉しい。出島は現在は周囲が埋め立てられ、完全に内陸化している。おなじく新地(中華街)もかつては島だったそうだ。面白いのは出島の東端を流れる中島川が明治時代に河川改修されて流路が付け替えられるのだが、その時に扇形の出島の「先行形態」(中谷礼仁)に従って河川が付け替えられている点だ。埋め立て後にできた道路も同様に出島の先行形態に従って緩やかな湾曲を描いている。

長崎さるく博:出島ワールド

Tuesday, August 29, 2006
「日韓中のランドスケープ教育」をテーマとする学生フォーラムのコメンテータを勤める。司会はイチノセさん(兵庫県大)。ランドスケープの学習状況について日本・中国・韓国の学生さんがそれぞれ概要を説明したのだが、日本のデザイン教育が手薄であることを再確認したほか、伝統的空間や古典庭園等の歴史文化を現代の空間造形、環境形成に活かすという教育の視点が中国と韓国ではとても強いことを実感。日本のランドスケープ教育は明らかにこの点が手薄だ。

学生フォーラム終了後、ポスターセッションを抜け出して、平和公園、原爆公園(爆心地)、国立長崎原爆死没者追悼祈念館を見学。唯一、祈念館のランドスケープデザインにより、祈念館と爆心地が象徴論的に構造化されたことを除けば、平和公園、原爆公園、原爆資料館、祈念館等がバラバラに存在している印象を拭えない(それぞれ別々に建設されたから当然ではあるが)。特に原爆資料館周辺は個々の建築デザインが個性的でまとまりに欠けるなかで、祈念館だけが水盤の中に完全に姿を隠し、ヴォイド=広場(資料館の前庭的性格)を現出した点が救いだ。通り一遍のデザインであればここにまた建物がドンと建てられていたことであろう。水盤に映る周囲の山並みが美しい。S字にカーヴしたクルマのアプローチ道路も◎。

原爆資料館周辺
国立長崎原爆死没者追悼祈念館

会場のブリックホールに戻り、昼食後、シンポジウム。基調講演は「港町・長崎の都市形成と景観」、シンポのテーマは「都市のポテンシャルと景観・みどり・まちづくり」。シンポ終了後、交流会。大学時代の同級生クボタ君に偶然会う。イチノセさんと3人で連れだってディープな夜を過ごす。

Wednesday, August 30, 2006
テクニカルツアー。バスで吉野ヶ里歴史公園(国営公園)、旧円融寺庭園(国指定名勝)、古賀・植木の里(クボタくんのガイドによる)などを見学。吉野ヶ里のデザインは保護と利用のバランスが中途半端な印象(もっと保護に徹してもいいのでは!)。古代という、我々の想像の時間的スケールを逸脱している風景を再現するというのは、ある意味で新しい風景を創造する以上に難しい、というか創造的なことである。単に「景観」を復元するのではなく、「風景」として見せなくてはならない点が、公園デザインの難しいところでもある。古代の景観を復元しなおかつ風景としても見せる、という難題に取り組んだ数少ない事例の一つであり、様々な新しい技術が導入されている点は評価したい。円融寺庭園は手入れが行き届いておらず、ダメ。これでは国指定の名勝が泣く。改めて指定文化財(制度)の限界を実感。文化庁は独法化したほうがよいかもしれない。古賀・植木の里は◎。また、ちゃんぽんの夕食後、夜行で帰路に着く。

吉野ヶ里歴史公園公式サイト
旧円融寺庭園(国指定名勝)
古賀植木園芸組合
長崎さるく博:四百年の歴史を誇る植木技術と庭園~古賀・植木の里散策~