渦中の「
西東京いこいの森公園」に、現役第一線でご活躍中のランドスケープ・アーキテクト諸氏と現場検証に行ってきた。当初、図面を見る限り、こと噴水に関してはそれほど住宅地に近接しておらず(図面上では40メートルほど離れているうえに、住宅と噴水との間には幅10メートル強の緑地帯が設けられている)、
致命的といえるほどの配置計画上の問題があるとは思わなかったのだが、実際に現地を訪れてみて、そのような考え方は吹き飛んだ。詳しくは同行メンバーの一人だったツクイ氏がすでに氏の
ブログにて報告しており、僕も概ね氏の見解に賛成なのでそちらを参照いただくとして、ここでは今後の対応策の方向について思うところを述べてみたい。
噴水と住宅地は図面で見る以上に近接している。そう感じるのは、住宅に面する緩衝緑地帯の幅員が非常に狭く、高木も少ないため、住宅のファサードが公園に向けて露出してしまっているからである。つまり音源(噴水)と住宅の間のバリアーが皆無なのである。これはまずい。それより問題だと思うのは、噴水と住宅の間に「子ども広場」が設けられている点で、こちらは住宅までの距離が10メートルにも満たない。噴水よりむしろこちらが問題だ。設計以前に、計画レベルの問題である。
打開策として最も手っ取り早いのは、公園敷地境界部分への「防音壁」の設置であろう。植栽だけでは焼け石に水で、メンタルな効果すらも期待できないと思う。それほどに緑地帯の幅が狭い。防音壁は住宅の南面に位置することを考慮して、透過性の材質のものがよいと思われるが、住宅地側の温度上昇を避けるために防音壁の手前に植栽(なるべく密に)を施したほうがよいだろう。
しかし、より抜本的には、「子ども広場」(可能であれば噴水も)を他所に移動し(移動先はパークセンター西側の緑地帯がベター)、跡地に植栽を施したい。この植栽は、「自然観察池と流れ」をとりまく緑地帯を延長してくるイメージでよいと思う。加えて可能なら、「ボール広場」部分の緑地帯ももう少し厚くしたい。ただし、「ボール広場」は隣接する病院との関係(合意?)があるかもしれないので、この場合はその限りではない。
ところで、「自然観察池と流れ」はこれ自体がおそらくは住宅地との緩衝緑地帯として設けられたものであるはずだが、そうであれば「子ども広場」の部分も本来緑地帯にすべきであった。災害避難地としての位置づけのある公園でもあるのだから、住宅地に隣接する部分の植栽は延焼遮断帯として分厚くしておくのがセオリーである。こうした点からも「子ども広場/ボール広場」と住宅地の間の緑地帯の「薄さ」がじつに気になるところである。
今回の件は、騒音の意味や行政の対応のあり方、公園の公共性の問題等々、議論すべき事柄はほかにもたくさんあるのだが、専門的にはまずは公園の計画設計に落ち度がなかったか否かを考えてみた次第。果たして、設計というよりは計画レベルで大きな問題が認められた。これは、仮にも「公園サイド」にいる人間として、とても残念な結果であるというのが正直な気持ちである。しかし、これを機に、公園デザインの重要性、必要性にたいする社会的な認知度が高まることを期待したい。
最後に、裁判所の判断や多くのマスコミ報道で見られるように、今回の一件の原因が「噴水の設計にあった」とする見解は間違っているという点だけ指摘しておきたい。東京地裁八王子支部は「水に親しむ施設に公共性はあるが、それが今回の公園のような形である必然性はなく、工夫次第で子どもたちが過度に興奮して歓声を発することがない施設を設けることができたはずだ」と指摘している。しかしこれは間違っている。子どもが歓声をあげる噴水の設計に問題があったのではなく、噴水をあんな(住宅に近い)場所に配置したことが問題なのだ。噴水自体に全く責任はない。まして子どもに責任はこれっぽっちもない。噴水や遊具に臨んで、子どもを騒がないようにさせるとか、興奮させないようにするとか、そういう発想は間違っている。そんな施設なら置かないほうがよい。
以下、余談。
個人的にはこのフィールドワークはもっと別な点からじつに面白いものであった。これについてはまた後日。以下要点だけ。
・民間プロジェクトと比べた際の、公園デザインのレベルの低さについて。
・にも拘わらず、お金はけっこうかかっているので、自治体の財政難はデザインの低レベルの理由にはならないことについて。
・低コストでもっと利用者本位でローメンテで質の高いデザインはいかにあるべきかについて。
以上は、木下個人の見解であり、同行したメンバー全員の同意を確認しているものではない点を付記しておく。
追記:こちらも参照!
身辺メモ:「西東京いこいの森公園」に行ってきた
追追記:
hidetox.com blog:西東京いこいの森公園の設計業者選定プロセス