2005.01.28
私が敬愛してやまない御仁のお一人、曽宇氏と久方ぶりにお会いする。氏とお会いするのはいつもきまって高田馬場の修景社(代表:辻野五郎丸さん)である。いささかお痩せしたようにお見受けしたが、眼光の鋭さはあいかわらずである。直接的な用事は、同窓会の会場の予約(千葉大学園芸学部)とその際に法人化後の大学の変化についてご紹介するという企画のお手伝いである。氏によると、卒業後、5年ごとに日本を巡回し欠かさず行ってきた同窓会を、みんな年も年だし今年で終わりにするのだという。そのフィナーレの場として母校を選んだそうだ。フィナーレというと聞こえはいいが、本音は「母校の見納め」で、しかも昼食をとってキャンパスを一巡りして、貸し切りバスで日光へというシェジュール。貸し切りバスで日光というのは、「母校の見納め」という、じつに平凡な同窓会のコンセプトにふさわしい企画だろ、と氏。いちいち話にスジを通そうとする氏らしい皮肉っぽい物言いである。
用件を済ませた後は、仕事中の辻野氏を横目に、みっちり1時間30分ほどのレクチャー。話題は大学のことから、ランドスケープのこと、ランドスケープ批評宣言のこと、計画戦略のこと、計画原論はありうること、システムとベクトルのこと、構成と布置について、対象と問題について、概念装置としての「図式」のこと等々について、カント、デリダ、ドゥルーズ、柄谷・浅田、東(あずま)らを参照しながら、息もつかせず延々とまくし立てる、と言ったら、おおよその雰囲気をイメージしていただけるであろうか。途中、何度となく僕の携帯電話がバイブしたが、とても出られるような雰囲気ではない。むろん、氏の話を100パーセント理解したなどとは思っていない。だからこうして日記に書いて反芻しているわけである。
辻野氏を交えた食事後、帰りの山手線の中で氏が、フランスでのある事件に絡んで述べられた(日本の)「景観法」の話はちょっとものすごいものであった。景観法のよって立つ根本の部分がひっくり返るような「問題」であるわけだが、ちょっとおもしろすぎてここに書くのはもったいないので書かない。しばらくじっくり考えてみたい。氏には、なるべく早く901インタビューを仕掛けなくてはならないだろう、と思う。