Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

Greenspace Scotland

2005-07-31 | Japan
Sunday, July 31, 2005
*1年越しの某出版に所収予定の原稿をようやく脱稿した。タイトルは「グリーンスペース・スコットランドによる緑環境のマネージメントの体制」。2002年、スコットランドで都市部の緑環境の保全創出再生を目的に設立されたチャリティ団体の機構と活動状況について解説したもの。日本の官民パートナーシップ、民民パートナーシップがいかに皮相的であるか! 一息ついて明日の授業の準備。。。

*農大のスズマコ先生から、『海外の日本庭園』所収原稿の補筆依頼のメイル。8月中にはまだほかに3本の原稿が待ちかまえている。そのほか、忙しさにかまけて手をつけられないでいるプロジェクトが3本。そろそろ準備にとりかからなきゃならない論文が2本。授業のない8~9月はかき入れ時だ。10月からの大学院の授業の構想も練らなきゃならないし、10月末にはまた中国出張(上海)も控えている。その前に造園学会の論文提出。やれやれ。

どうする、原稿!

2005-07-30 | Japan
Wednesday, July 27, 2005
*講義「緑をデザインする」最終回。
*環境デザイン実習4(日建設計の森山明さん:目黒川河川環境整備、プランニングネットワークの松崎喬さん:地形センサーとしての道路計画)の講評会に参加。

Thursday, July 28, 2005
*流山ゼミ打合せ。プレゼンに向けて課題を整理。
*巣鴨関連業務打合せ。
*流山市から8月から始まる某委員会の参考資料がどっさり届く。どうする!

Friday, July 29, 2005
*前日深夜から息子が発熱し、午前中小児科へ。急性扁桃腺炎との診断。高熱にもかかわらず本人はいたって元気。
*午後、大学院博士課程入学を希望する学生さんと面談。

Saturday, July 30, 2005
*息子の熱が下がった。朝早くから起き出して、ウルトラマン・マックスをみる。ピグモン、レッドキング登場(←懐かしすぎ)。
*スペースシャトル関連のニュースに思う。シャトル打ち上げの目的にはほとんど言及せず、ひたすら「ノグチさん」にスポットを当て続ける報道はいかがなものか???
*オープンキャンパスのため休日出勤。午前と午後の2回、学内を案内して回る。

Sund Region

2005-07-27 | Media
landscape architecture, July 2005, Vol. 95 No. 7, ASLA
*Beyond Spring Break, By Lake Douglas

LANDSCAPE JOURNAL, Vol. 24 No. 1, 2005, The University of Wisconsin Press
*Dan Kiley and Classical Modernism: Mies in Leaf, By Marc Treib
*Can Gardens Mean?, By Jane Gillette

TOWN & COUNTRY PLANning, May 2005, Vol. 74 No. 5, TCPA
*Cross-boundary failings dog RSS, By the TCPA
*Towards a national strategy: A vision for England's future, By Nick Green
*Branding places - lessons from the Sund Region, By Gert-jan Hospers

日本造園修景協会編集委員会編『都市の緑化戦略 街づくりにおける緑の継承と展望』ぎょうせい、2005

(社)日本公園緑地協会公園緑地研究所『平成16年度公園緑地研究所調査研究報告』

Zoning or Patchwork?

2005-07-27 | Japan
Monday, July 25, 2005
*「公園計画論」講義11週目
「施設化を指向する公園とパッチワーク:ゴミ箱化を支えてきたもの」と題して、パッチワークの起源としての日比谷公園、パッチワークとゾーニングの違い、施設と空間の違い、ゴミ箱化とパッチワークの相互依存関係などについて概説。

*流しそうめん@ゼミ打ち上げ
前期のゼミが一区切りついたので、学生が打ち上げパーティを企画した。目玉は「流しそうめん」。構内の竹藪からマダケを切り出してきて半分に割って、節をぬいてトイを数個こしらえセットした。たいしたもんだ。始めて半時も経たないうちに雨が降り出したので、場所を移動。再度トイをセット。焼き肉と一緒においしくいただいた。

Tuesday, July 26, 2005
僕がイギリスでお世話になったカレッジに留学したいというので、推薦状を書いてあげた学生が「受かっちゃったみたいです」と研究室にやってきた。なんだか自分のことのようにうれしくなってしまった。よし、これでサテライトができたぞ。

公園三昧

2005-07-25 | Japan

Saturday, July 23, 2005
午後、息子の要望で「おっぱい公園」(正式には「川萩公園」)へ。地震発生! 息子はコンクリートの築山のてっぺんにいてびっくりした様子。子ども達と一緒に公園に来ていたお父さん、お母さんの携帯電話が一斉に鳴る。。。口々に「あっ、いま、おっぱいこうえん。すごいおおきかったねぇ~」。なんか、大のおとながみんな「おっぱい公園」と叫んでるのがおかしい。そのうち妻からも電話。やはり無意識に「おっぱい公園」と叫んでいる自分がそこにいた。

Sunday, July 24, 2005
午前中、仕事。昼過ぎ妻から電話があり同じ宿舎の息子の友達のK君ご家族と昼食に出かけた。午後、自宅に戻り近所のコンビニまで息子と買い物に行くと、今度はコンビニで息子の友達のAちゃん父子(これまた同じ宿舎の住人)に会った。Aちゃん父子とはその場ですぐに別れたが、帰り際になって息子が「おにぎり公園」(写真。正式名称は「三丁目児童遊園」だけど、おにぎりのような記念碑があるのでこの名が付いた)に行きたいというので、行ってみるとなんと別れたばかりのAちゃん父子がいた。一緒に遊ぶ。子どもは子ども同士遊び、父親は父親同士世間話をする。しばらくして現れたもう一組の家族連れは、どうやらAちゃんと幼稚園で一緒のクラスのようだ。

そうこうしているうちに、また見慣れた顔が登場。先ほど昼食をともにしたK君父子だった。子ども達はまた意気投合して遊んだ。父子三組揃い踏みである。日本も変わったものである(イギリスではよく見かけた光景)。折悪しく、K君が自転車に乗って現れたものだから、息子も「自転車に乗りたい」と騒ぎ出したので、やむなく自宅に自転車を取りに戻る。せっかく持ってきたら、みんなでジャングルジムで遊びはじめ、自転車はそっちのけ(←そうくるか)。K君はジャングルジムでなんだか親しげに女の子と話している。その女の子は、我々が来る前からお母さんと一緒に公園で遊んでいて、聞けばK君とは保育園仲間という。そして、その後現れたK君のお母さんは公園に隣接するお宅の窓ごしに何やら話していた。結局、夕方のひととき、この公園で遊んでいた親子はみな知り合いだった。世間は狭すぎる。

企業倫理と景観

2005-07-22 | Japan
Thursday, July 21, 2005
午前中、人間ドック。午後、2本の委員会と2本の打合せを済ませ、夕方、「巣鴨まちづくり協議会」へ。移動中の車内で、伊藤滋「「醜い日本の景観」リスト初公開」文藝春秋8月号を読む。まあ、いろいろと言いたいことはあるけれど、伊藤滋のような立場の人間が、文芸春秋のようなメディアで、有名企業を名指しで批判するということの(ジャーナリスティックな)意味は少なからず評価してあげてもよいと思う(専門誌でこの内容だったら問題)。「権威」の正しい行使の仕方という意味で。でも、その根拠が学生による調査の結果(ある意味で学生に責任を押しつけている)というのはいただけないが。結局、この人は、景観、景観といいつつ、「デザイン」のことがわかってないんじゃないか。

東アジアランドスケープ研究会

2005-07-19 | Japan
Saturday, July 16, 2005
朝7時半に起きて息子と新番組「ウルトラマン・マックス」をみる。ストーリーに凝った前作「ウルトラマン・ネクサス」と本作の関係は、ちょうど40年近く前の「ウルトラセブン」と「帰ってきたウルトラマン」の関係に似ている。この、内容にみる「非対照性」は、ネクサスが終わって間髪を入れずにマックスが始まったということからして、意図的なものであるだろう。

息子を階上の友人夫婦お願いして、妻が企画した、日中韓の若手ランドスケープ系研究者・実務者を構成員とする「東アジアランドスケープ研究会」に出席。

Sunday, July 17, 2005
息子にせがまれて、通称「おっぱい公園」へ。お椀を伏せたようなコンクリート製の築山が二つあることから子ども達にそう呼称されている。「乳首」があるか無いかを息子と賭けていざ出陣(僕は「無い」ほうに賭けた)。結果は僕の負け。たしかに築山のてっぺんにポコッと、これまたコンクリの突起がついてました(笑)。公園の正式名称は川萩公園(昭和40年開園、三矢小台、松戸市)。開園当初の遊具が残る昔懐かしい旧児童公園。近所の住民らによって手厚く維持管理されている。

自宅に戻り、妻を乗せて和名ヶ谷クリーンセンターへ。図書館でリテレール編集部編『上海パラダイス』メタローグ、小池滋監修『読んで旅する世界の歴史と文化 イギリス』新潮社他を借りる。カフェテリアで昼食を済ませ、スーパーで買い物をして帰宅。

海の日 Monday, July 18, 2005
終日自宅で仕事。子どもと一緒なので能率はよくない。行きつけの、と言うほどではないが、小岩の韓流中華料理店までクルマを走らせて夕食。総武線小岩駅北口の一角は完全なリトルコリア。店の看板、行き交う人々、飛び交う言語、ほとんどが韓国語だ。息子の言語OSが素早く韓国語にスイッチ。

Tuesday, July 19, 2005
流山市公園緑地課の方が、「緑の基本計画」策定委員会委員長の委嘱にみえた。

イースト・プリンスィズ・ストリート・ガーデンズ East Princes St. Gardens

2005-07-16 | Great Britain

オールドタウンとニュータウンを分かつ谷間につくられた公園。この谷間、もとはエディンバラ城の濠でノース・ロッホ(North Loch、いわば北湖)と呼ばれていたところ。現在は平和的な風景をもつこの公園も、中世のいわゆる「魔女狩り」の時代には、多くの女性がこの湖に沈められ、「浮かんできたら魔女」として処刑された。運良く浮かんでこなかった場合でも、溺れていずれにせよ水死することが多かったという、暗い過去をもつ。ニュータウンの建設(1766~)と共に干拓、土地が取得(民有地化)され、1816年以降、プリンスィズ・ストリート沿道住民のためのプライベート・ガーデンとして整備された。その後、住民の反対運動にも拘わらず、1844年から1846年にかけて北英国鉄道(North British Railway)が建設される(写真右手、植栽の後ろが鉄道用地。植栽によって巧く遮蔽されている)に及んで庭園は分断される。1876年、鉄道用地以外の部分がエディンバラ市の手に渡り、ロバート・モーハム(Robert Morham)のデザインによって公共庭園(Municipal garden)に生まれ変わる。大規模なボーダー花壇を含む後期ビクトリア時代のあらゆる特徴を兼ね備えた公共庭園。英国で最も古い花時計(Floral clock)があることでも有名。また、英国最古の公園(public park)のひとつという記録もある。

Princes Street Gardens, Edinburgh, Scotland, UK
References:
・Ian Nimmo『Edinburgh's Green Heritage』The City of Edinburgh Council, 1996
・Christopher Taylor『Parks and Gardens of Britain』Edinburgh University Press, 1998

「ライブ8の深層」に寄せて

2005-07-14 | Great Britain
7月7日付「Sketches Of GB」にトラックバックしてくださったライブ8の深層をご紹介します。実に興味深いことが書かれています。このような歴史的事実、事の真相というのを十分に理解したうえで、断固とした態度で外交や政治にあたるべきというのが、この筆者の見解だと思います。僕も大賛成です。そのうえであえて以下のことを申し上げたいと思います。

・『世界は腹黒い』って、あたりまえですね。それが経済ってものでしょう。そのこと自体を批判してもしょうがないです。いや、べつにきれい事言ってもいいですけど。それで、政治的リーダーシップがとれるのであれば。
・要は、日本は外交が情けないほど下手くそですね。(それを理解させるのがねらいで「ライブ8の深層」が書かれたとすれば大いに納得ですが、そうでなければただの「負け惜しみ」にしか僕には読めません。へんなナショナリズムを煽りかねないぶん、このような言説はむしろ心配のほうが先に立ちます)
・(たとえ両者の間に何の脈絡がなくとも)持てるものが持たざるものに援助の手を差し伸べる、というのは英国の文化です。この、「寄付」の文化は日本人にはなじみが薄いですね。
・英国国内でどれだけ金持ちや企業が自らの財産を社会還元しているかを目の当たりにすれば、アフリカとは縁もゆかりもない日本にこのような「寄付」を強制してくるのは少しは理解できると思います。
・ただし、日英の債権額の巨大な差を無視して、債権帳消しを日本に求めるのは確かに筋が通りません。
・ロックスター/アーティストが政治的にふるまって何が悪いのでしょうか?(たとえ政治家に担がれたとしても)
・政治家に担がれるも、アンチな態度をとるも、いずれも「政治」に相違ありません。
・仮に、アンチ政治、アナーキーがロックスターの本懐であるとしても、それさえも日本にはいないですね。
・彼我の歴史認識の十分な開陳もさることながら、彼我の精神・文化的土壌をも相対化する必要があります。
・そのうえで、あえて英国(というかアングロサクソン)に苦言を呈するとすれば、自らの精神文化を絶対視するきらいが大いにあるということでしょう。

都市構造と公園

2005-07-12 | Japan
Monday, July 11, 2005
*「公園計画論」講義11週目
港北ニュータウンのオープンスペース・システム形成過程における公園緑地の位置づけについて概説。事業制度の確立した公園緑地という限られたパイを「レクリエーション」と「緑地保全」が奪い合うという不自然な構図に、公園緑地が無意識のうちに前提としている、空地と緑地のワンセット化された空間イメージ(ゴミ箱化の初源的形態)を指摘した。そして、そのような制度の空間的イメージがオープンスペースのネットワーク形成上阻害要因として働いたほか、公園緑地機能の低次化をもたらしたことを考察した。

Saturday, July 9, 2005
*『ランドスケープ批評宣言』増補等
既刊landscape network 901*編『ランドスケープ批評宣言』INAX出版の重版・増補が決まったとのことで、原稿依頼をいただいた。その他、別の出版企画のための原稿依頼もいただいた。問題は両方とも締め切りが目と鼻の先ということ。これはまずいなと、引き受けてからせっぱつまるのがいつものパターン。

セミ・ディタッチドハウス Semi-detached house

2005-07-09 | Great Britain

英国で伝統的に見られる、いわゆる2戸1住宅。ドアが2つ見えるのは別々のお宅である証拠。建物の真ん中は壁で仕切られていて(敷地境界線が走っている)、当然のことながら行き来はできない。庭も同様(ファサードや間取りは左右対称)。こうする(2戸が別々に建築しない)ことで、庭をより広くかつ有効に使用することができる。このお宅は僕が泊まったB&B(向かって左側の車が止まっているお宅)。19世紀後半から20世紀初頭の建築になるスコットランドのエドワーディアン・タウンハウスの典型。石材はサンドストーン。
Ashdene House, 23 Fountainhall Road, Edinburgh
http://www.ashdenehouse.com

ブレアの演説

2005-07-09 | Great Britain
Friday, July 8, 2005
さすがに田中さんいいいこというなぁ。ぼくが英国をひいき目に見てしまうという点を差し引いても、ロンドンテロ後のブレア首相の演説に感じた、強い憤りを感じながらも、それを心の奥底に押し止め、なにか世界を包み込むような感覚(ブッシュのバカ演説とは明らかに異なる)というのは、そういうふうに解釈すればいいのか。納得。

園芸・景観計画シンポ@山東農業大学

2005-07-07 | East Asia

Thursday, June 30, 2005
無事成田に帰還。今日は成田で一泊して明日の早朝青島へ。夜、プレゼンの準備(←またかよ)。

Friday, July 1, 2005
ソウル経由で青島へ。青島空港で韓国のメンバーと合流して、クルマで泰安へ。400キロの距離を約5時間で走り抜けた。日本の感覚では明らかにクルマで移動する距離ではないが、彼らにしてみるとどうってことないという感じである。20時頃、シンポジウム会場の山東農業大学のゲストハウスに到着。

Saturday, July 2, 2005
朝早くから会議。会議の主題は「人間的、科学的、芸術的な造園園芸景観をつくりだすために」。園芸系の研究者、実務者と同席する貴重な機会だった。僕は「Pastoralism in Context」と題して講演。東アジア文化圏にある我々は、欧米のパストラリズムが市民社会により獲得・受容されたものであるという点を見落とし、パストラリズムの形態だけを東アジア諸国の都市空間に恣意的に導入する一方で、東アジアの伝統的な庭園様式の近代化を怠った点を指摘した。

これに対して、18世紀の風景式庭園、ピクチャレスク概念の起源は中国(庭園やそれ以前の詩人達の見立てた風景)にあるのだ、という意見を中国人の研究者からいただいていささか驚いたと共に、あらためて中国人の文化感覚というものを思い知らされたような気がした。僕は、いわゆるシノワズリが西洋文化に多大な影響を与えたことを確認しながらも、それが西洋自然主義の起源であるとする意見には賛同できなかったのであえてその点は言明を避けた。

これは、日本でも最近川勝平太のような人が英国庭園の起源は自然を尊重した日本庭園にあると言っていたりして、とうてい賛同できるものではない。どちらが先かなんてことはこの際重要じゃない。問題は「いまの風景」がいかなる「根拠」や「説得力」をもちうるか、いかに「リアリティ」を与えうるか、ということである。起源論をもち出したのは、そうなっていない(根拠がない)ということを言いたかったからだ。

Sunday, July 3, 2005
中国国家風景名勝区(いわゆる国立公園)及び世界遺産(自然遺産)指定の「泰山」(標高1532m)に登る(ただしバスとロープウェイ使用)。山岳全体がひとつの芸術作品であり文化財である。昼休み、お世話になった朴教授の研究室を訪問。午後、新学期から学生1万人が通学することになるという「山東農業大学新校区」を視察。すばらしい設備。

市街に戻り「岱廟」を見学。歴史に浸る。岱廟と泰山はワンセットの文化財で、古来中国の皇帝達がそうしたように、泰山参りは岱廟を起点に参道を歩くのが本来の姿。岱廟で写真集と孔子の名言をあしらった日めくり、及び玉製の彫り物2つほどを購入。夕食後、泰安市で一番の高級デパート「銀座商城」で陶製の人形を土産に購入。

Monday, July 4, 2005
山東省の西南に位置する曲阜市にある「孔廟」「孔府」「孔林」を見学。ずさんな管理状態。中国政府は文化財の保全・整備にお金をもっと廻すべきである。世界遺産が泣く。19:10泰安駅発の夜行列車が1時間30分遅れで出発。車内泊。

Tuesday, July 5, 2005
朝6時過ぎに青島駅着。サウナに入り朝食をとり、皆と別れてホテルを探す(僕以外の日本・韓国のメンバーはこの日帰国。僕だけ5日の便がとれなかったので1日延泊)。幸い、あたりをつけたホテルに空室があり午前中からチェックインできた。一休みして市内へ。今日は中国出張中唯一のフリーな日。

「青島海浜風景区」内(www.qdseaside.cn)にある魯迅公園、第一海水浴場等を見学。海沿いの遊歩道を歩いて租借時代の別荘地「八大関景区」へ。蒋介石の旧居宅「花石楼」等を見学。超高級住宅地で、いまではホテルやレストランになっている地所も多い。うっそうとした樹木や街路樹に覆われた敷地は最低でも200~300坪はあろうか。公園も至る所に配され、街角毎に警察官が立っているので安心して歩ける。花石楼で建築関連の写真集と絵はがきを購入。

一旦ホテルに戻り、朴さんと連絡をとるもつながらず、タクシーを呼んでもらい、一人で「桟橋」「中山路」へ。「天主教堂」「旧総督府(ドイツ)」等を見学。ドイツの建築様式をもつ租借時代の歴史的建造物群が残念ながらしだいに巨大な高層ビルに変わっていっている。修復を行っている登録建築物や旧様式風に改築するホテルや商業ビルなどもありかろうじて雰囲気が保たれている。

Wednesday, July 6, 2005
午前中、ホテル近くの「五四広場」を見学。沿道緑地帯(メタセコイアの5本列植)が気持ちいい木陰をつくりだしている。林床ごしに忙しいクルマの往来がみえる。ウィークデイの午前中だがゆっくりと木陰でくつろぐ人々あり。手入れの行き届いた公園の緑の芝生越しにそびえ立つ摩天楼。その多くは高級高層住宅や大手企業のオフィスビル。中国でもこのような風景が状態となりつつある。朝早くから係員によって芝刈りやゴミ拾いが行われ、手入れが行き届いている。かたや世界遺産、国の重要文化財に指定されている、貴重な歴史的文化財が荒れ果て、おざなりの維持管理しかされていない。この、新旧文物に対するケアの「質」の差がまずは大きな問題。

ついで、色々な面での都市のビジュアル面での「格差」。これも著しい。当然のことながらそこに住む人々の見かけの印象も異なる。経済特区に指定された都市や発展著しい都市と内陸部の小村、小都市の環境や景観の質の差は歴然としている。この、たぐいまれな「歴史の国」が経済に呑み込まれていく姿を見るのは辛い。どん欲な資本の目がギラギラと世界中からこの国に注がれている。みよ、世界の製造業が集中する中国の大都市郊外部はいまや「世界の工場」である。自国ではサステイナブルとか言って快適な暮らしをしている連中が、中国で荒稼ぎ。。。国、がだめなら、せめて研究者が発言すべき時ではないか。韓国の仁川(インチョン)経由で成田へ。

42nd IFLA @ Scotland

2005-07-07 | Great Britain

Friday, June 24, 2005
午前中、同僚と打合せをして雑事を住ませてから昼頃自宅に戻り成田へ。妻は韓国で開催されるシンポジウムに出席するため息子を連れて釜山に向かった。妻子を見送ってからフライトまでの空いた時間を仕事(プレゼンの準備)に充てた(悲)。待合スペースはAC電源(のそばの席)が取り合いだ。用を足すちょっと僅かの間に他の人にとられてしまった(笑)。みんな忙しいのね。

Saturday, June 25, 2005
早朝4時(現地時間)にパリに到着、乗り換えに約3時間あったので、まだ人影まばらなドゴール空港のPCスペースでまた仕事。結構はかどった。朝8時過ぎ、1年ぶりのエディンバラに到着。涼しい! シャトルバスで中心街へ。勝手わかった街は気楽である。それでもやはり懐かしい。終点で路線バスに乗り換えて予約してあるB&B(Ashden House)のあるメイフィールド(Mayfield)へ。ここも懐かしいところで僕が3年前にはじめてスコットランドにやってきて旅装を解いたのがやはりこの地区のB&Bだった。

荷物を預けて、街に戻る。今日の目的は書店での資料収集。なんとエディンバラ大学御用達の街で一古い書店ジェイムズ・スィン(James Thin)が違う本屋ブラックウェル(Blackwell's)に変わっていた。ショック。変わったのは残念だけど、地誌・町史のコーナーの充実ぶりはあいかわらず。むしろ増えた感じだ。帰りに買う本を物色して別の書店へ。今度は大型チェーンのウォーターストーン(Waterstone)。昼、マークス・アンド・スペンサー(Marks & Spencer)でサンドイッチとLIST(エディンバラ/グラスゴーの情報誌)を買って、プリンスィズ・ストリート・ガーデンズ(Prince's St. Gardens)へ。土曜のお昼とあってものすごい人出。

ところで、今年のエディンバラは大騒ぎである。もうすぐ、フェスティバルやその前夜祭フリンジのシーズンが始まるということもあるが、今年はそれに加えてG8サミット(パースシャーのグレンイーグルズ)が来月開催されるのに合わせて、様々なイベント、Make Poverty History(アフリカ救済)やLive 8(ロックアーティストのボブ・ゲルドフが主催)等、対G8の政治的集会が開催されることになっている。その余波に街は既に包まれ始めている。3秒間に一人の幼児が亡くなっているという世界の実態を改善することに貢献できたのだと、後生に誇れるような偉大な世代に我々はならなくてはならないというのが、彼らのスローガン。くだんのLISTもめずらしくそういった政治的なメッセージを強調している。もちろん、アフリカの困窮はかつてそこを植民地化した自分達(英国をはじめとする列強諸国)がことの発端なんだから、他国の政治やシステムを問題視したり、助成の手をさしのべる前に自ら反省しろという冷めた論調もあり、世論は決して一枚岩ではない。そうこうしているうちに、プリンスィズ・ストリートを関連のパレードがやってきた。

昼飯の後、ウェイバリー駅(Waverley Station)のネットカフェに行くが、なんとここも無くなってコンビニに替わっていた。15時過ぎ、ローヤルマイル(Royal Mile)経由で先の書店(Blackwell's)に引き返し、『MAKING EUROPEAN SPACE』という本を買い、ついでに行政コーナーでスコットランド自治政府(Scottish Executive)のフリーの資料をいくつか手に入れ帰路につく。BBに戻る。シャワーを浴びてから、チャイニーズのテイクアウェイに行く予定が、寝不足後の強行軍がたたってすっかり寝込んでしまった。目覚めたのはのは23時過ぎ(まだ薄明るい)。食べるものはあったけど眠気が勝った。

Sunday, June 26, 2005
朝食時、たまたま泊まりあわせた日本人と会い歴史、庭園談義に花が咲く。メドウ(Meadow Park)経由でローリストン・プレイス(Lauriston Place)へ。王立病院(Royal Infirmary)が郊外に移転したのを機に、その跡地と建物が複合ビルに修復されることを知る。エディンバラでできた唯一にして最高の友達 ボビー(Greyfriars Bobby)に挨拶し、キャンドル・メーカー・ロウ(Candle Maker Row)を下ってグラスマーケット(Grassmarket)へ。さらに、ヴィクトリアン・ストリート(Victorian St.)からキャッスル・ヒル(Castle Hill)に上がり、ラムゼイ・ガーデンズ(Ramsay Garden)を通ってマウンド(The Mound)に出る。ウェスト・プリンスィズ・ストリート・・ガーデンズ(West Prince's St. Gardens)で一休みし、シャーロット・スクエア(Charlotte Square)へ。ナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(National Trust for Scotland)が管理するジョージアン・ハウス(Georgian House)を見学。関連資料を数冊購入。

ローズ・ストリート(Rose Street)のネットカフェ「EasyInternetCafe」でメイルのチェック(30分1ポンド)。マウンドに引き返し、そこから42番バスでジョージ4世橋(George 4th Bridge)の懐かしのイタリアン・レストランへ。日替わりスープとカプチーノで遅めの昼食。見知った店子さんはいなくなっていた。昼食後、チェンバー・ストリート(Chambers St.)経由でサウス・ブリッジ(South Bridge)に出、ニコルソン・ストリート(Nicolson St.)のブラックウェルへ。チェックしておいた『Landscape and Western Art』を購入。最寄りのバス停から8番バスに乗りメイフィールドのB&Bに戻り、プレゼンの準備。

Monday, June 27, 2005
会議初日。都心を迂回する45番バスで会場のヘリオット・ワット大学リッカールトンキャンパス(Heriot-Watt Univ., Riccarton)に向かう。9時スタートなので、朝食もとれずに、8時のバスに乗る。久しぶりに忙しそうな英国の朝の風景に触れて身が引き締まる思い。近所の雑貨屋で「Scotsman」を買い小脇に抱えてバスに乗る(←悪い癖)。ついでに「Scots Magazine」もゲット(←さらに悪い癖)。名門パブリック・スクール「George Heriot's School」のあるローリストン・プレイスでは、親の運転する高級車に乗って登校の子ども達が続々と降り立つ(エディンバラ中心街の文教地区で有名高校、大学等がひしめいている。どこの国も文教地区というのは皆同じような雰囲気をもっている。おしなべて、高台で、見るからに環境や治安が良さそうである)。

45番バスは乗って正解。クレイグロックハート(Craiglockhart)、ジュニパーグリーン(Junipergreen)等々、絵に描いたようなパストラルな集落をバスは通り過ぎてゆく。朝の素晴らしいショートトリップだった。9時ちょっと前に会場に到着、この日のテーマは「Urban Growth and Decline」。会議の進行が実にいい加減。というのは日本の見方で、押さえるところは押さえ、余計な神経は使わずリラックスしながら大きな問題なく議事が進行するという感じだ。会場の大学で、兵庫県大の一ノ瀬さん、北京林業大のミスター劉、そして、3年前にお世話になったキャサリンと再会。曰く「プログラムに(あなたの)名前があったので来ると思ってたわ」。家族共々みんな元気とのこと。

会議について。あらためて「公園(の再生)」が着目されていること。一ノ瀬さんの発表会場が変更になったことが関係者に全く知らされないまま、人影まばらな会場で彼を含む2名の発表が行われた(チェアマンもいない)。機械係のオッサンが「質問はありますか?」と、急遽、司会の代役(笑えたぞ)。さすがに事務局側は謝って、明日、発表の場を設けさせていただきます、と。それにしても、ずさんな進行管理だ。

会議終了後、エディンバラ植物園(Royal Botanic Garden Edinburgh)に場所を移して(バスで送迎)、公式レセプション。20ポンド(約4千円)とられたが、出たのはグラスワインと簡単なつまみだけ。おまけに7時について8時に終わりだと。おいおいそりゃないだろ。レセプション会場でシェフィールド大学(Univ. of Sheffield、www.shef.ac.uk/landscape)とキングストン大学(Kingston Univ., www.kingston.ac.uk/landscape)の卒業制作の作品集をもらう。内容はともかく、アピアランスはすばらしい。

一ノ瀬さんと連れだってバスで中心街へ。ローズ・ストリートのとあるパブに入り、エールで乾杯。ジャケットポテトとサーモンで食事。(不味くはないが美味くない) 時すでに22時。まだぜんぜん明るいのだが、バスでそれぞれの宿に帰還。睡魔に襲われ、バス停を3駅ほど乗り過ごす。歩いてとぼとぼ帰る。宿に戻り、シャワーを浴び、明日のプレゼンの準備をと思うも、眠気に勝てず就寝。

Tuesday, June 28, 2005
5時起床。発表の準備。今日も朝食抜きで会場へ。会議のテーマは「Rural Growth and Decline」。9時開場。「cabe space」の活動について報告があった。また、SNH(Scottish Natural Heritage)の職員が、スコットランドのランドスケープの特徴について、僕の発表の前に報告したのだが、あとで関係の書物をみると「Landscape Character Assessment」のプロジェクトに関わった重要人物であることが判明。く~、もっといろいろ聞いておけばよかった。メイルでも出してみよう。12時ちょっと前から約20分間、僕のプレゼンテーション。昨年関わった佐倉市の「市民文化資産条例」について紹介、質疑応答を行った。あるおっさんが、よく意味が理解できない、へんな質問(おそらく経済活動と文化的バックグラウンドの違い、ルーラルランドスケープの保全の両立についてどう思うかみたいな質問だったと思う)をして困った。

ランチを食べて午後は一ノ瀬さんと中心街に出た。それぞれ目的があったので、夕方落ち合う約束をして別れた。僕はコックバーン・ストリート(Cockburn St.)にある市役所の開発課へ。「Edinburgh City Local Plan」の「Consultation Paper」、スコットランド自治政府の「Tree Preservation Orders Consultation Paper」等を手に入れたほか、Nicolson St.のBlackwell'sで『Understanding Historical Landscape』を購入。竣工間近のスコットランド議会棟(Scottish Parliament)再訪。微妙! 古地図センター(Old Map Heritage Centre)へ。地図好きには目が眩むような店。高くて手が出ないが)で一ノ瀬さんと落ち合い、ジョージ4世橋のイタリアンレストランで夕食。

Wednesday, June 29, 2005
朝6時に宿を出発。タクシーを呼んでもらい、ウェイバリー・ブリッジ(Waverley Bridge)で空港行きのシャトルバスに乗り換えエディンバラを後に。また来る日まで。それにしても今回は短かったが実り多い都営(→渡英)だった。エディンバラ空港で「Back to Nature」という見出しに引きずらて、「Newsweek」を買い機内で読んだ。人口減少により疲弊した農村地帯を森林にもどすこと、ドイツにオオカミがもどってきたこと等。