日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

茨城県水戸市視察。

2015年02月04日 01時18分12秒 | 日記
人と会い、話す事で見聞が広がっていきますね、いかわたいきです。

1月22日に前回のブログで記載しましたが、伊勢市での林英臣政経塾受講が終了次第、すぐに会派視察でもある茨城県水戸市に移動致しました。





水戸市に着いたのは午後9時。久々に移動で疲労感を感じました。

翌日は、気持ちとモチベーションを切り替えand引き締めのために吉田神社を早朝参拝。





そこからは水戸市役所にて、担当課からの説明と現地視察。今回の視察内容は、日田市の咸宜園、茨城県水戸市の弘道館、栃木県足利市の足利学校を共同での世界遺産登録を行う事に対して、他市はどう取り組んでいるか?を直接拝見しに行きました。














画像にはありませんが、今視察において、議長、教育長、担当課長、関係課等々が同席され大規模な視察となりました。理由をお聞きすれば、以前日田市を視察した際に盛大な歓迎を頂いた御礼との事。
遠く離れた地にて日田市の事をお聞きし、私自身感慨深いモノがありました。市役所、関係各者に心より御礼申し上げます。
しかし、視察になればそれは別です。私が水戸市弘道館を視察した感想としては、市民レベルまで世界遺産登録に持って行こうという思いは中々難しい部分もあると感じました。何故なら、教育レベルに関しては2年前から始めた事(咸宜園教育は前合原教育長が10年掛けて根付かせてきた)、水戸市教育長自身に質問した際に「分からない」という言葉が出た事。(少し専門的ですが、私が「当時幕府として朱子学を御用学問としていたが、徳川御三家の1つが相反する様に陽明学を主体とした弘道館を設立したのは何故か?」の質問です。)、市民周知に関しても始まったばかりのため認識不足が否めない事が挙げられます。
これは日田市にも言える事ですが、行政主体と行わなければならない場面もあります。しかし、世界遺産登録をしたいというのは市民意識の醸成から始まるモノだと今回の視察で痛感致しました。旗振り役と持ち上げ役、そして盛り上げ役、この役割分担をしっかりと認識しなければなりません。





最後は、幕末時によく使われた「尊王攘夷」という言葉の「尊王」を初めて使ったのは徳川斉昭が書いた文字です。



では、また。

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