日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

初の電話取材

2011年03月31日 21時37分21秒 | 日記
3月30日付けの読売新聞に電話取材ですが、僕の言葉が記事になりました。初めての経験で緊張しましたが、それなりに答える事ができました(笑)


↓記事参照

大分県日田市議選(定数24)に立候補する無所属新人の男性(28)は、障害者の兄を持つ立場から、「障害者政策を充実させたい」と出馬を決意した。
1月に大手建物賃貸会社を退職し、長野県から地元に戻った。自転車で福祉施設を回ったり、通行人にいきなりあいさつしたりして支持を訴えている。知名度の無さを痛感しるが、その中でもこう感じている。
「20~30歳代は政策的な話も的を得た質問もできる。でも、政治への参加を呼びかけると、『格好悪い』とか、『政治は裏で何かしている』と思っているようだ。若い人達が政治や選挙に参加する懸け橋になりたい」


今は本当に20~30歳代の投票率は低いです、若者は政治に興味が無いのか?僕は違うと思います。イチローや本田圭介やダルビッシュのようにカッコいいと思えるスターがいるから皆興味を持って、そのスポーツを始めると思います。
マズイ定食屋にお客様が来ないのと一緒です、政治家にカッコいいと思えるスターが居ないんです。僕がカッコいいと思われなくてもいいんです。「あんなヤツが政治家になっているなら俺でもできるんじゃない?」と思って選挙や政治に興味を若者が
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2011-03-27 13:38:13

2011年03月27日 13時38分13秒 | 日記
本日は、市議会議員立候補予定者の事前説明会が市役所で行われました。

立候補予定者方々一同に顔を合わせたのですが、年配の方が多く、僕が最年少のせいかかなり目立ってました。市役所内でも28歳で出馬すると話題の一つにはなってるみたいです。

そして市議会議員の定数24に対して立候補予定者は同じく24名、選挙になるかどうかと言うのも話題の一つになってます。

話題になり注目される事によって投票率が少しでも上がればそれだけ民意をしっかり反映できると考えます。

私は選挙になる、ならないとか関係なく「今自分が出来る事」をやるだけです。
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東北関東大震災

2011年03月26日 14時49分32秒 | 日記
東北関東大震災からもうすぐ2週間が経とうとします。
未だに発見されてない人、安否不明者等多々あります。
私の友達は福島県に居ますが、知っている限りでは全員と連絡が取れました。原発には戦々恐々としていますが…

震災により亡くなられた方々に心からご冥福を祈ります。


下記の文は私の尊敬する市議会議員の一人、西宮市の今村岳司議員の言葉を抜粋しました。




16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。
それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。
記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。

今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。
でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。
吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。
でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。

いらい、日々仕事に集中していても、
何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い感覚があります。
不安なことや面倒なことを抱えているときのような。
よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。

ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。

震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、
大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。
ある教授はこういいました。
「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、
 試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」
研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に
「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。
部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、
被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、
腹が立ったからだとわかりました。

記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、
他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、
記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。

自分が育った家がなくなったこと、
小さなころの写真が一枚もないこと、
家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、
大好きだった街が廃墟になってしまったこと、
そんなことは、もうなんとも思っていないのに。

私はこの地震で何も失っていない部外者です。
そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。
ただの「被災していない人」です。
被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。

政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。

「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。

次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、(被災地に送られてくる)千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。

そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。

安否確認したいのは被災していない側で
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福島県の友達

2011年03月18日 18時54分04秒 | 日記
福島県の友達で最期まで連絡が取れんかった友達とやっと繋がりました。

僕は自分の事以上に嬉しくなり、何を言ったか解りませんが、とにかく言葉にならない声を出したと思います。


電話をくれた友達から



「お前が落ち着け!何言ってるか分からん!」

有難いツッコミです。しかし、彼が受けた現実は壮絶でした。

家は倒壊はしてないがヒビが入ってる。

道路も亀裂が入り、家の近くにある湖は決壊し、付近の家は流されて10人前後が行方不明。

福島原発のせいで自宅退避、復旧作業(彼の家は建設会社)もできない。

いつ爆発するか分からないから常にびくびくしてる。


「映画じゃないけど、本当に日本沈没だ、俺は先が見えねーよ。」



昨日に引き続き、又言葉が出ませんでした。

そんな空気を察してか、友達が最期にこんな言葉を掛けてくれました。


「でも俺は元気だし、メシも食えてるから心配するな」


元気づけるつもりがこっちが元気づけられてました。


友達の強さに……

心から尊敬します。

必ず、必ず落ち着いたら会いに行くから。
いつかこの話が酒飲んだ時の過去の話になるくらい、今は頑張ろうや。








すいません、今日は言わせて下さい。


僕は自分の事で一杯一杯ですが、地元の友達の話で、兄が警察官で被害地に応援に行かれます。


家族としての心配や意見が多々あると思います。その人は結婚もしていて、奥様からしたら気が気でないと思います。


僕は第三者として、友達に加減もせずに言葉をぶつけてしまいました。


譫言の様ですが、僕は自分の無力さを誰かにぶつけたかったと思います。



そんな友達を傷付けた事を後悔してます。


ごめんなさい。でも兄が無事に帰ってこれるように本当に祈ってます。
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福島県

2011年03月16日 09時50分59秒 | 日記
福島県の友達の話ですが…

何度か連絡をとって、やっと繋がった友達の事です。
とりあえず自分と家族は無事だと…。


ホッとしました。




しかし、職場は地震により倒壊。


親戚が地震より家の倒壊で亡くなられたそうです。


明日は葬式で今の今まで寝る暇も無い位、事故対応で忙しかったそうです。




僕は、


『無事で良かったね。』


の一言が出ませんでした。




実際友達の親類が亡くなられ、本人も憔悴しきってました。


何も言えませんでした。


テレビやラジオではないリアルがそこにありました。


クルアーン、メシア、イエスキリスト、仏陀、お釈迦様…


誰でもいいです、一人でも多く救って下さい。
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