人生において、
人は何人の人と出会うだろう ・・・
「出会いは “縁” !?」
都会では家を出ると必ず人に出会います。
もちろん、単に、街で擦れ違って二度と会うことのない他人がほとんどです。
しかし、いつも同じ時間に、同じ駅から、同じ電車の車両に乗っていれば、
名前はわかりませんが、顔見知りになる人が何人かはできるものです。
これって、何かの “縁” でしょうか ・・・ ?
「出会いは “タイミング” !?」
クルマでも同様です。
毎日、同じ時間に同じ道を走っていると、交差点での信号待ちや対向する
クルマに、“この前会った ・・・” “昨日も対向した ・・・” ということがあります。
お互いが、その時間その場所を選択しなければ出会うことはないはずです。
これって、やっぱ “タイミング” なんでしょうか ・・・ ?
「出会いの印象は “インパクトと興味” で違う !?」
写真は、高速道路と幹線道路が並走する大きな道ですが、様子は至って平凡な
ものです。例えば、この写真にデコトラやハーレーの軍団が写っていれば、相当
インパクトがありますし、興味がある人からすれば、“わっ、出会えていいなぁ~”
となるかもしれません。逆に言えば、そういった余程のインパクトや自身の興味が
ない限り、流してしまう出会いが多いというのも事実です。また、出会った全ての
人やクルマを憶えているという人はいないはずです。
「出会いは “偶然” !? それとも “必然” !?」
さて、出会いは “偶然” なのでしょうか? それとも、“必然” なのでしょうか?
“偶然に出会ったけど、これも何かの縁ですね” なんて言葉をよく耳にしますが、
“縁” を感じる出会いというのは、その人やその出会いに対して、良い印象がある
から、そういう言葉になるのであって、嫌いな人や嫌な出会いだと感じれば、その
言葉にはならないはずです。ということは、“偶然” というより、元々そういう流れが
あるはずです。人は、嫌いな人が居そうな場所や嫌な出会いがありそうな場所に
好き好んでは行かないはずです。出会う可能性があったという意味では、限りなく
“必然” だと言えるのではないでしょうか。
“悪い出会い” は、出会う前から、その可能性が高いものです。夜の繁華街で、
裏路地に入れば、“こんな道を通っていると、ヤバいお兄さんかお姉さんに声を
掛けられそう ・・・” と思うものです。そして、そういう方々にきっちり出会うものです。
これは “必然” で、誰もそれは否定しません。逆に、自分とって “良い出会い” と
思える場面で、一瞬、“偶然” に見えるシチュエーションがあります。しかし、それも
“必然” である可能性が高いと言えるのです。元々、無意識であろうが、そういう
出会いを求めて人は行動しているのですから ・・・ 。
もちろん人生では、そうしたことを全て裏切るような出会いがあることも事実です。
絶対に彼女(彼氏)とは出会わない場所であると確信を持って、別の異性と遊びに
行った先で、彼女(彼氏)とバッタリ出会う ・・・ これは、偶然? それとも、必然?
この場合、“最悪!” と思うでしょうね。しかし、私は、この出会いこそ “縁” がある
のだと思います。この “縁” は大事にすべきだとも感じます。(なかなか無い出会い)
人生で出会える人の数は人によって違います。当たり前の話ですが、その数が
多ければ良いというものではありません。ただ、人と出会うことで幸せを感じたり、
自身の成長に大きな影響を与えることもあるものです。そういう意味からすれば、
多くの人と出会うことは悪くありません。できれば、“良い出会い” で ・・・ 。
ほとんどの出会いが、“偶然” でなく、“必然” だとする私自身の考え方が正しいと
すれば、“良い出会い” を増やす為には、自身が “良い” と思える 「像」 を明確に
持つ必要があります。例えば、仕事では明確な “人材像” を持つことで、その環境
に、そういった人材が集まってくるということはよくあることです。プライベートでも、
“好きな異性像” を明確に持って行動することで、出会える可能性はアップする
はずです。要は、“イメージを明確にして行動する” ということが開運の鍵になる
ということだと思います。
今、それを一番怠っているのは私自身かもしれない ・・・
■ こんたく堵 ■
出会いには、必ずタイミングがあり
元々、出会うに値する縁もあるはず
インパクトのある出会いには驚きがあり
興味のある出会いでは幸福感さえ生まれる
出会いの良し悪しは数ではなく
自身の在り方を確認できるチャンスであり
自身の在り方を人に知らせるチャンスでもある
第五大成丸