ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

北淡震災記念公園(野島断層)

2009年09月13日 | 造形憧憬




「阪神・淡路大震災」

1995年1月17日 午前5時46分
明石海峡の地下約14kmが震源、マグニチュード 7.3 最大震度 7 を
記録した兵庫県南部地震 「阪神・淡路大震災」 では、6,434名の方々が
尊い命を失い、阪神地区や淡路島北部に大きな被害を与えました。

この地震は、活断層である 「野島断層」 が動いたことで起こったようです。
淡路島北淡町(現淡路市)でも、長さ10kmの地震断層が出現しました。中でも
小倉地区は断層による道路、生垣、畑の畦などの破壊状況が各所で見られた
ようで、今尚、地震のエネルギーの巨大さと断層運動による地表面の変形が
自然の脅威を物語っています。





「北淡震災記念公園」

「断層保存館」 を中心とした 「北淡震災記念公園」 に立ち寄ってきました。

“震災を語り継ぎ、教訓を未来に活かし、
将来起こりうる大地震で少しでも犠牲者を減らしたい。”
という想いで、地表に現れた 「野島断層」 を保存することになったようです。
( 「野島断層」 は平成10年7月31日に、国の天然記念物に指定されています )






「野島断層保存館」

エントランスホールには、いきなり、
あの国道43号線に倒壊した阪神高速道路と落下したトラックの模型があります。
( やはり、この画(画像や動画)をみると、激しく揺れたあの日を思い出します )
断層保存ゾーンは百数十メートルあります。大きな大きな施設ですが、よくある
アトラクションなどの無駄な施設とは一線を画し、凛とした空気感があります。妙な
言い方ですが、激しく活動した断層が休んでいる(眠っている)ような様子で、少し
不謹慎かもしれませんが、断層の寝息が聞こえてきそうな感覚さえあるのです。
( ずぅ~っと、寝ててくれることを期待しますが ・・・ )


「その他の施設」

活断層の真横にある一軒の家(民家)が倒壊せず残っています。
この “地震に強い家” は 「メモリアルハウス」 として保存されています。
( 鉄筋コンクリート?2階建、昭和40年前後に多く建てられた家だと思います )
「震災体験館」 では 「震度7」 の揺れを体験できます。意味のわからないまま、
ダイニングのセットに座った団体入場者(外国人)は一様に驚いた様子でした。
( セットが強く揺れ、思っていた以上の感覚だったようです )
「活断層ラボ」 は展示スペースで、地震の仕組みや日本・世界の活断層、
揺れやすい液状化の実験など、触って学べる施設になっています。





「神戸の壁」

昭和2年頃、
神戸市長田区の若松市場の延焼防火壁として建てられたものだそうです。
第二次世界大戦の神戸大空襲(1945年)に耐え残り、阪神・淡路大震災では、
周囲の建物が倒壊全焼する中、この壁だけは倒れず、焼けず、その姿を
とどめていたという説明があります。今年の震災記念日(平成21年1月17日)に、
震災の記憶を風化させないために、この公園内に移設されたようです。

今は裏側に鉄骨を入れて補強していますが、震災時、焼け落ちた商店街で
この壁だけが残っている映像が何度も何度もニュースで流れていたことが強く
印象に残っています。空襲にも震災にも耐えて “生き残った強い壁” です。
折角、淡路まで行って、こうして写真まで撮ったのに、肝心の “触る” のを
忘れていました。( “強さをちょっと分けてもろたらよかったかなぁ ・・・ ” と後悔 )



■ 造形憧憬 ■

人は自分が 直接関わると

人であろうが 物であろうが
場所であろうが 時間であろうが

強い思い入れが生まれ
殊の外 大切にできるものである

心を突く辛い思い出さえ
違わず 大事に感じるものである

心に深く 仕舞い込むものである

忘れられない と云う人がいる
忘れてはならない と云う人もいる

ならば、誰かが
伝えなければなるまい ・・・


第五大成丸