ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

好きこそ物の上手なれ

2009年09月25日 | こんたく堵




「絶対音感の持ち主!?」

うちの末娘は、
小さい頃から、上娘のエレクトーンを見よう見まねで弾いておりました。
一度も習いにいったことはありませんし、上娘が教えていたわけでもありません。
なのに、曲を一度聞いただけで、ほぼ弾けてしまいます。しかも両手で ・・・

そんな末娘は、
校区の公立中学校へ入学して、当たり前のように吹奏楽部に入部しました。
性格的に上級生との軋轢は多少あったのでしょうが、持ち前の明るさで乗りきり、
最高学年では部長となって下級生の面倒を見ていたようです。1、2年でやっていた
お気に入りのアルトサックスをあっさり後輩に譲り、ちょっと地味なバリトンサックス
にスパッと転向した末娘を、何気に心強い存在に思えたのは親の欲目(親バカ?)
でしょうか ・・・

その末娘も、
この夏、部活(吹奏楽部)を引退して、受験生として苦しい秋を迎えております。
まあ、何せ勉強が何よりもキライな子ですので ・・・ 毎日、イライラしてるようです。
その反動でしょうか?家では床が抜けるほど部屋でダンス(もうすぐ学祭で発表?)、
そして、風呂で歌(エコーの利くバスルームでお隣まで聞こえそうな大声で熱唱?)
に没頭しております。

( 写真は、最後の演奏会、代表で挨拶と曲紹介を無難にこなしました  )


「親として、大人としてのジレンマ」

親としてできる限り、
本人が後悔しないような将来の進路を選択させてやりたいとは思うのですが、
そう簡単でないことも事実です。昔(私たちの時代)と簡単には比較できませんが、
高校受験そのものより、その先に向かう道筋にハッキリ見てとれる道標がない
ような気がします。時代の流れでしょうが、カラクリが非常に複雑でネチネチした
印象すら持ちます。もちろん、答えは用意されているのでしょうが ・・・

今の時代、
昔よりは若干、個性的な人間を受け入れる社会になってきたかもしれませんが、
それでも選択肢は多くはありません。“自分の個性を発揮して何かやりたい!” と
思っても、その何かを決定しなければ前へ進めないのです。いきなり壁にぶつかる
わけです。その何かを決めれるようなら苦労はしませんし、悩むことも、イライラする
こともないのです。15歳で何を決めろというのでしょうか ・・・

結局、
どの高校を目指すか決めることになります。成績が良ければ選択肢は広がります。
しかし、成績の良い子が個性的な学科があるという理由で、偏差値の低い高校へ
行くでしょうか?その高校が自分にマッチしていると本気で思えるでしょうか?
逆に、成績の悪い子がハッキリと、この高校のこの学科で学びたいと思っても、
偏差値が足りなければ、試験に合格しなければ、入学できないのが今の日本の
教育システムであり、誰かが細~く引いたラインの選択肢を通って、我慢した結果
のみで将来がほぼ決まるわけです。


「これもビジネス社会の弊害?」

特に高校・大学は、
入学する為のハードルを高くするより、いかに本気で学ぼうとしているか、そして、
本当に学べたかを評価するような仕組みに変えなければ、個性が個性でなくなり、
同じような思考の人間が増えるだけの社会になってしまい、それこそ、時代錯誤
と言えるのではないでしょうか ・・・ 。

テレビのクイズ番組で、
街頭インタビューしている姿をよく見かけます。派手めな格好の女性(女子大生)に
“イギリスの首都は?” といった失礼な質問をします。ところが答えられない人が
けっこういるのです。“パリ ・・・?” “アメリカ ・・・?” “首都って何 ・・・?” という
女の子まで ・・・ そんな状態でも卒業できるシステム。そして、就職までも ・・・
戦後の社会構造、あるいはビジネス優先の弊害ではないでしょうか ・・・ 。


「後悔しない選択を!」

定年を迎え、
リタイア後にやっと自身の好きな事を始めて、生き甲斐を見つけたという事例を
紹介しているテレビ番組を観ることがあります。ほとんどが、元サラリーマンの方々
です。逆に言えば、手に職を持って長い年月、職人の仕事一筋にやってきた方々
には無い方向転換です。どちらが幸せか判り兼ねますが、今の若い方々には、
できる限り後悔しない選択をしてほしいものです。と思うと、今の社会では ・・・



■ こんたく堵 ■

得意な分野で身を立て
人生を全うしたいと思ふ人

自然に身をまかせその日
その日を楽しみたいと思ふ人

それぞれに生き方があり
それぞれの生き様となる

ただ、

自分は何が得意なのか?
これからどう進むべきなのか?

袋小路に迷い込んだ人にとって
生き方探しは簡単でないだろう

そう、周囲が理解でき助け合える
社会こそが求められているのでは ・・・


第五大成丸