ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

社会の歪みがもたらす取捨選択

2009年07月24日 | 造形憧憬




「選択の自由」

昔、新鮮だった
“どうぞご自由に!(ご自身の好きなものを選んでください)” という言葉 ・・・
今はそこら中に溢れています。ビールだけの話ではなく、各業界のありとあるゆる
商品やサービス、ヘタすれば、環境まで 「選択の自由」 がウリになったりします。
しかしこの流れ、果たして本当に喜ばしいことなのでしょうか ・・・


「どこのモノ?」

“やっぱ、○○○(ビール)が一番やねェ!”
と言えば、誰もが知っている国産ビールメーカーのことであり、そのメイン商品の
ことでもあり、それと判るラベルから商品コピーまで、みんなが共有できた時代が
数年前まであったような気がします。しかし今はそうした話すらできない ・・・ 。
商品名やラベルを見ただけでは、一瞬、どのメーカーのモノか判らないということ
がありますよね ・・・。( 私だけ ・・・ )


「面倒で不幸な時代へ」

ビール・発泡酒・第三のビール・海外のビール ・・・
最近のスーパーマーケットのビールをはじめとする酒類の品揃えは、専門の酒屋
以上です。というより、品揃えだけ考えるなら、専門の酒屋など必要性が皆無で
あるということです。個々のライフスタイルや趣味趣向であれこれモノを気軽に
選べる時代になったということの一端を実感できます。ただ、モノを選ぶ楽しさより
数ある商品をそれぞれ把握して、取捨選択しなければならない面倒が上回ってきた
時代ともいえます。豊かな時代になったという実感を超え、一層、面倒で不幸な
時代に向かおうとしているような気がしてなりません。( これも私だけ ・・・ )


「後付けが得意」

”お客様のニーズにお応えした”
という言葉、本当は作り手・売り手が生き残りのため、ニーズ探しをしているだけの
ような気がします。過去あった商品の購買行動をデータ分析して、後付けでニーズ
を商品に組み込み改良を加えて商品化、そして、売れる品揃えと陳列を行うという
流れのような気がします。もちろん、そうした創意工夫が日本(日本人)の得意分野
だということは否定しませんが ・・・ 。


「薄っぺらい時代」

何かワクワクするような
新たな動きへの期待感が閉塞しています。経済や流通などビジネスの分野だけ
でなく、スポーツやエンタテインメント、あるいはサイエンス、もちろん政治も例外
ではありません。二者択一、三者択一を超え、星ほどある選択肢の中から自身に
見合うモノ、必要だと感じるモノを選ぶという作業は増加する一方です。情報の
氾濫、モノ余り、売れたら増産、売れなければ廃盤、という薄っぺらい時代です。
今の若者がワクワクできるはずもありません。


「失敗しないように ・・・」

結果として、
インディーズやアンダーグランドに向かう風潮が出来上がります。昔のように
選択肢がなく、モノが無い時代ならまだしも、今の時代にそうした流れを作るような
社会とはどうなのだろうか ・・・ 時代や社会が成熟すれば、成功したいという思い
より、失敗したくないという視点が広がることは事実です。企業にしろ、個人にしろ、
過去の成功例や失敗談をもとに、“失敗しない道” を選択して推し進めるのです。
しかし、それでは ・・・


「やりきれない時代」

先を見通す力(先見の明)も
過去のデータがベースです。データを信じて動くことが正解だと言い切ります。
政界(政治家)も同様です。国や地方のために何ができるかを考えるより、自身が
失脚しないためには、どうすればよいか(どの党で、どの人の考えに賛同するか)
考えて行動する(過去のデータで動く) ・・・ すべては、保身でしかありません。一般
民衆はその様子を見ながら取捨選択しなければならない時代 ・・・ やりきれなさが
蔓延します。


「誰の責任?」

さて、今の薄っぺらい社会、
チャラチャラした今の一部の若者の責任なのでしょうか ・・・ ?
それとも、昔、大した選択もせず生きてきたくせに、結果として
勝ち残った多くの大人(大人のフリした大人)の責任なのでしょうか ・・・ ?



■ 造形憧憬 ■

他人の
“シコウ” ではなく

自身の
“シコウ” を信じて

モノを考え モノを作り
そして モノを世に出す

そんな “シコウ” が
必ず時代を動かすはず。


第五大成丸



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