ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

「街に存在する価値」 という概念

2009年07月10日 | 二升五合




「本町チェック」

数ヶ月ぶりに
大阪本町へ向かいます。街並みに大きな変化はありませんが、以前、たぶん
改装工事中でシートに覆われていたビルが、装い新たにお披露目されていたり、
1ブロックに1~2店舗ほど、飲食店の看板が付け変わっていたり(代替わり?)、
といったプチ変化は案外あるものです( あちこち店舗チェックができました )。
所用も終わり、お気に入りのパン屋さんに寄って帰ることに ・・・


「媚薬の販売?」

このパン屋さんには、
パンの匂い(香ばしさ)以外に、人を惹きつける匂い(パンから媚薬?)がある
ような気がします。しかも、それは流行りの匂いや “パンを焼いてます!” という
過剰にアピールするようなものではなく、ずっと昔からある懐かしいお店というか、
仕事を終えた堅物のパン職人が仕事場で趣味の野菜ケーキを焼いているような
“通常外” の楽しげな匂いです(もちろん、お店のパンは今風の匂いです!)。
その心地良い匂いに誘われるままに、客たちは店に吸い込まれていきます。
店内はそう広くないですが、引っ切り無しに往来する客でスタッフは忙しそうです。


「セレクトショップのような ・・・」

もちろんこのお店、
同じパンを10個も20個も整然とトレイに並べて売っているお店ではありません。
どちらかと言えば、アパレルや雑貨店の個人オーナー自らが海外へ買い付け
に行って、買ってきたお気に入りの商品を感性で陳列している、いわゆる、
街の 「セレクトショップ」 のような商品の扱い方です。1アイテムにつき2~3個を
テーブルに直置きしています。スタッフはその売れている状態をみて、バック
ヤードから追加商品や差し替え商品を持ってきて、新たに陳列を作り直します。
こういったスタイルのお店が増えていると感じます。ただし、うまく活かせている
お店はまだまだ少ないとも感じます。





「何にこだわった?」

“こだわりのお店”
と紹介され、一瞬、世間の注目を浴びるお店があります。先日も、一年くらい
前に買った雑誌の特集で紹介されていた “こだわりの飲食店” をチェックする
ために10軒ほど回ったのですが、うち1店舗が、ここ最近閉店。もう1店舗は
既に違う屋号に変わっていました。昔から飲食という業界は “知らん間に ・・・”
ということは当たり前に起こるので驚きもしませんが、それにしても早やっ!
まあ何とあっけないことか ・・・ あのお店は何にこだわっていたのか?
( こんなことが何度もあると、メディア発信の信頼度も下がるでしょうね )


「個のライフスタイル」

アート作品の展示であれば、
テーマに相応しいロケーションに在るギャラリーで、時期やスペースをセレクト
してディスプレーすればよいのですが、事、商品(特に日用品や頻繁に使用する
買回品)となれば、雰囲気だけでは続かないものです。いくらそれが趣味の域
であっても、家族が居る生活の中に入れるとなれば、個の感覚だけでは肯定
しきれない要素も生まれます。よって、ライフスタイルとは、個だけでは成り立ち
にくいものなのです。ファミリーならもちろんですが、シングルライフであっても
最低限、「街」 との関わりは無視できないものだと言えるような気がします。


「街に存在する価値」

“この街が好きでこの街で暮らす”
という場合、その街の自然環境や歴史も一つの要因です。ただ、それで全てが
網羅できるかと言えば、そんなことは有り得ません。特に、都会の場合、自然や
歴史より、その街の環境特性(利便性やファッション性など)が大きく影響してくる
ケースが往々にしてあります。その範疇において、物販のショップや飲食の店舗も
少なからず影響を与えることは事実です。ですから、いくらしがない小さな飲食店
であっても、街に暮らす(街を訪れる)街人たちは、その店が “街に存在する価値”
が有るか無いかを知らぬ間に量っているものなのです。裏を返せば、店側がまず
“この街でこの価値を与える(役割を果たす)” という自負を持って行動しなければ
受け入れられないということだと言えるのではないでしょうか ・・・ 。



■ 二升五合 ■

「街に存在する価値」
という概念

難しい表現やけど
“何で、この店なん?”
“何で、この街なん?”
にすればわかりよい

今、革めて思ふ
店舗のコンセプトが
ブランドの核になるし
街の血液にもなるんやと ・・・


第五大成丸



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