唐突ですが、明日宮崎に行ってきます。
九州を尋ねるのは10年ぶりです。
留守のあいだは更新出来ないかも・・・。
そこで、祖母が亡くなり、尋ねた時の想いを書き留めた10年前の文章を掲載したいと思います。
長々とした文章ですがお付き合い下さいませ。
二章は、結局着手出来ませんでした。
で三章は昨年ご紹介させていただいたものです。
第三章
一節
二節
三節
お時間があるときにでもどうぞ。
それでは、第一章の始まりです。
九州へ(第一章)
その電話が鳴ったのは、まだ布団の中だった。
何時だろう?
また娘への電話だろうか、今年中学になった長女は親から言うのはなんだが、変なとこに真面目でソフトボールの朝練を休んだことがない。
同期のクラブメイトは、仮病か本当に調子悪いのか、よく連絡係りに使うのである。
「おーい、またA加じゃないのか!」
まあいいか…早起きは三文の得だ。新聞を取りに行こうと玄関へと向かった。
「お父さん!おじいちゃんからだよ」
A加がいうおじいちゃんとは、もちろん私の父である。新聞も取らずに慌てて引き返した。
「もしもし、Sか?おばあちゃんが今朝亡くなった!おまえ今日会社休めるか?」
「…」
近い将来そんな電話が来るだろう、とは予感していたが祖父の方だろうと思っていた。確か祖父は94歳、祖母は90歳位だろうか、福岡で病院とケアハウスに別れて生活していたはずだ。いずれにしても大往生だ。受話器を置くとこれからの行動を寝起きの頭の中で思い描いた。
会社はすぐには休めない。昼まで仕事をして午後から休むことにした。妻は慌ただしく旅の準備に取りかかるが、子供達の学校の仕度と重なり思うように捗らない。一度戻ろう私はそう決めて家を出た。11月20日の朝である。
外は、澄みきった秋晴れだった。11月中旬にしては寒くもなく、なんと爽やかなことか、生前のその人の生き方は天気に表れるというが、少ない記憶の中おばあちゃんの人柄を思ってみた。長身で凛とした姿勢、そして慎ましやかな笑顔、幼い頃の記憶の中でおばあちゃんの声が鮮明に蘇ってくる。最後に会ったのはいつだっただろうか。結婚して2年目の風林会の時かな、だとするともう14年も経つ事になる。「今年こそ遊びに行きます。」毎年、年賀状にはそう書いていたんだ。埼京線の殺人的な通勤ラッシュの中で福岡までの遠さを思った。
始業一時間前の会社は、まばらだが来ている人はいてPCの画面を覗いていた。博多までだと、今週一杯休むことになる。週末は三連休だから六日間だ。昨晩記しておいた予定表を軌道修正しながら引継ぎ書を作成した。午前中はあっという間だった。いつもこんな姿勢で仕事に取り組んでいたらもっと出世するだろうに・・。
「課長、飛行機予約したんですか?。まだなら、ネットで取りましょうか?」部下のM沢が、聞いてきた。
「いや、新幹線で行く。飛行機嫌いなんだ」
「マジですか!新幹線何時間かかると思ってるんですか?空だと一時間半ですよ!信じられない!課長新幹線だって!」
9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ、飛行機嫌いにとってはなおのこと過剰になるだろう。韓国への社員旅行だって大阪観光のグループにしたのだから・・。説得しようと駅すぱあとで調べ始めた彼に声を掛けた。
「なあ、のぞみだったら何時に、東京駅かな?」
家に帰ったのは2時過ぎだった。15時58分ののぞみ21号。九時頃の到着だ。何泊するのか決めてないがスーツと礼服、下着は2枚普段着一着、大荷物が嫌いな私はこれでよしとした。浦和の駅まで、妻と三歳になる次女のCが見送ってくれた。
「パパ行ってらったい!」
そうなんだよ!だから飛行機で行かないんだ。万が一だろうが憶だろうが落ちてこの子に会えなくなったら大変なことだ。そう自分を納得させながら手を振った。
仕事中の東京駅とは違って見えた。自分は今から新幹線に乗るんだという高揚感が確かに心を支配している。祖母のお葬式に出向くのに随分不謹慎ではあるが、出張の少ない会社に勤めているとそうそう新幹線に乗る機会もない。ホームまでのエスカレーターがもどかしいくらいだ。500系だ!世界最速の先がロケットみたいなやつ、まるで子供である。おのぼりさんになららない様にと注意しながらも先頭まで歩いてみた。
定刻通り銀色の車体は滑り出した。窓際の座席に腰を沈める。リクライニングにすると思ったよりゆったりしている。夕暮れには、まだ時間があるが富士山まで持つだろうか。見渡すと平日からかサラリーマンが多い。雑誌を眺める人、待ちきれず缶ビールを手にする人、モバイルPCを触っている人、移動の時を思い思い過ごそうとしている。旅慣れた人ばかりに見えてくる。なんだか日頃の自分の仕事がちっぽけに思えてくる。飛行機に乗るともっとそう感じるだろうか、ここに同乗した人皆、日本を世界をまたに掛けて働いている人に見えてくる。いかん、いかん別に「何年ぶりに新幹線乗ってます」ってタスキ掛けてる訳じゃないし…。萎縮しかけた心にはっぱをかけるようにビールを注文した。
熱海を過ぎた頃だろうか、すでに遠くの山あいは薄暗く稜線のシルエットが美しい。樹々のあいまに民家の明かりが点在し暮れ行く一日を告げようとしている。この小さな明かりの下で思い思いの生活があるのだろうな。そんなこと考えてる内2本目のビールと列車の揺れは催眠効果として充分だった。
つづく
九州を尋ねるのは10年ぶりです。
留守のあいだは更新出来ないかも・・・。
そこで、祖母が亡くなり、尋ねた時の想いを書き留めた10年前の文章を掲載したいと思います。
長々とした文章ですがお付き合い下さいませ。
二章は、結局着手出来ませんでした。
で三章は昨年ご紹介させていただいたものです。
第三章
一節
二節
三節
お時間があるときにでもどうぞ。
それでは、第一章の始まりです。
九州へ(第一章)
その電話が鳴ったのは、まだ布団の中だった。
何時だろう?
また娘への電話だろうか、今年中学になった長女は親から言うのはなんだが、変なとこに真面目でソフトボールの朝練を休んだことがない。
同期のクラブメイトは、仮病か本当に調子悪いのか、よく連絡係りに使うのである。
「おーい、またA加じゃないのか!」
まあいいか…早起きは三文の得だ。新聞を取りに行こうと玄関へと向かった。
「お父さん!おじいちゃんからだよ」
A加がいうおじいちゃんとは、もちろん私の父である。新聞も取らずに慌てて引き返した。
「もしもし、Sか?おばあちゃんが今朝亡くなった!おまえ今日会社休めるか?」
「…」
近い将来そんな電話が来るだろう、とは予感していたが祖父の方だろうと思っていた。確か祖父は94歳、祖母は90歳位だろうか、福岡で病院とケアハウスに別れて生活していたはずだ。いずれにしても大往生だ。受話器を置くとこれからの行動を寝起きの頭の中で思い描いた。
会社はすぐには休めない。昼まで仕事をして午後から休むことにした。妻は慌ただしく旅の準備に取りかかるが、子供達の学校の仕度と重なり思うように捗らない。一度戻ろう私はそう決めて家を出た。11月20日の朝である。
外は、澄みきった秋晴れだった。11月中旬にしては寒くもなく、なんと爽やかなことか、生前のその人の生き方は天気に表れるというが、少ない記憶の中おばあちゃんの人柄を思ってみた。長身で凛とした姿勢、そして慎ましやかな笑顔、幼い頃の記憶の中でおばあちゃんの声が鮮明に蘇ってくる。最後に会ったのはいつだっただろうか。結婚して2年目の風林会の時かな、だとするともう14年も経つ事になる。「今年こそ遊びに行きます。」毎年、年賀状にはそう書いていたんだ。埼京線の殺人的な通勤ラッシュの中で福岡までの遠さを思った。
始業一時間前の会社は、まばらだが来ている人はいてPCの画面を覗いていた。博多までだと、今週一杯休むことになる。週末は三連休だから六日間だ。昨晩記しておいた予定表を軌道修正しながら引継ぎ書を作成した。午前中はあっという間だった。いつもこんな姿勢で仕事に取り組んでいたらもっと出世するだろうに・・。
「課長、飛行機予約したんですか?。まだなら、ネットで取りましょうか?」部下のM沢が、聞いてきた。
「いや、新幹線で行く。飛行機嫌いなんだ」
「マジですか!新幹線何時間かかると思ってるんですか?空だと一時間半ですよ!信じられない!課長新幹線だって!」
9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ、飛行機嫌いにとってはなおのこと過剰になるだろう。韓国への社員旅行だって大阪観光のグループにしたのだから・・。説得しようと駅すぱあとで調べ始めた彼に声を掛けた。
「なあ、のぞみだったら何時に、東京駅かな?」
家に帰ったのは2時過ぎだった。15時58分ののぞみ21号。九時頃の到着だ。何泊するのか決めてないがスーツと礼服、下着は2枚普段着一着、大荷物が嫌いな私はこれでよしとした。浦和の駅まで、妻と三歳になる次女のCが見送ってくれた。
「パパ行ってらったい!」
そうなんだよ!だから飛行機で行かないんだ。万が一だろうが憶だろうが落ちてこの子に会えなくなったら大変なことだ。そう自分を納得させながら手を振った。
仕事中の東京駅とは違って見えた。自分は今から新幹線に乗るんだという高揚感が確かに心を支配している。祖母のお葬式に出向くのに随分不謹慎ではあるが、出張の少ない会社に勤めているとそうそう新幹線に乗る機会もない。ホームまでのエスカレーターがもどかしいくらいだ。500系だ!世界最速の先がロケットみたいなやつ、まるで子供である。おのぼりさんになららない様にと注意しながらも先頭まで歩いてみた。
定刻通り銀色の車体は滑り出した。窓際の座席に腰を沈める。リクライニングにすると思ったよりゆったりしている。夕暮れには、まだ時間があるが富士山まで持つだろうか。見渡すと平日からかサラリーマンが多い。雑誌を眺める人、待ちきれず缶ビールを手にする人、モバイルPCを触っている人、移動の時を思い思い過ごそうとしている。旅慣れた人ばかりに見えてくる。なんだか日頃の自分の仕事がちっぽけに思えてくる。飛行機に乗るともっとそう感じるだろうか、ここに同乗した人皆、日本を世界をまたに掛けて働いている人に見えてくる。いかん、いかん別に「何年ぶりに新幹線乗ってます」ってタスキ掛けてる訳じゃないし…。萎縮しかけた心にはっぱをかけるようにビールを注文した。
熱海を過ぎた頃だろうか、すでに遠くの山あいは薄暗く稜線のシルエットが美しい。樹々のあいまに民家の明かりが点在し暮れ行く一日を告げようとしている。この小さな明かりの下で思い思いの生活があるのだろうな。そんなこと考えてる内2本目のビールと列車の揺れは催眠効果として充分だった。
つづく
昨日は、楽しい宴となりました
やっぱり古くからの友人とのひとときは心地良いものです。
でね、道場六三郎のように『本日のメニュー』を書いたものの、
飲む方に重きを置いてしまいました。
だって、台所にたってるとさ、一人ぼっちでしょ。
せっかく久しぶりに会ったので、皆の輪の中に入りたかったのです。
でも食べてもらったの言うと、
お正月の前菜
大根と蛸のサラダ 自家製ドレッシング掛け
エノキと白髪ネギの柚子風味
お正月の筑前煮
煮豚
真鯛のなめろう
鶏肉のトマト煮だけでした。
メインはね、
真鯛の煮付け
和牛の霜降りステーキ
ふわふわ肉団子のゆず鍋
〆におじやだったのです。
皆さんごめんなさい。
余った食材が本日の我が家の夕食となります
お互い顔も体型も変わったけど、
皆の笑顔は一緒でした
やっぱり古くからの友人とのひとときは心地良いものです。
でね、道場六三郎のように『本日のメニュー』を書いたものの、
飲む方に重きを置いてしまいました。
だって、台所にたってるとさ、一人ぼっちでしょ。
せっかく久しぶりに会ったので、皆の輪の中に入りたかったのです。
でも食べてもらったの言うと、
お正月の前菜
大根と蛸のサラダ 自家製ドレッシング掛け
エノキと白髪ネギの柚子風味
お正月の筑前煮
煮豚
真鯛のなめろう
鶏肉のトマト煮だけでした。
メインはね、
真鯛の煮付け
和牛の霜降りステーキ
ふわふわ肉団子のゆず鍋
〆におじやだったのです。
皆さんごめんなさい。
余った食材が本日の我が家の夕食となります
お互い顔も体型も変わったけど、
皆の笑顔は一緒でした