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仏教思想:中国華厳思想概要(その2)

2021-01-26 08:34:49 | 仏教思想
 『今朝の天気』


(7:30頃)

 今朝の温度(7:00) 室温 リビング:18.5、 洗面所:20.0、 湿度(リビング):37%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:13.2、最低気温: 3.8
  本日の予想気温 最高気温:14、最低気温: 3)



 中国華厳思想概要の2回目です。前回(その1はこちら)は中国華厳宗成立の系譜についてみてきましたが、今日は、前回予告のように、中国華厳宗の成立・発展に影響を与えた思想や宗派、さらに華厳宗を支えた高僧について取り上げます。


1.3.中国華厳宗の成立・発展に影響を与えた思想、宗派
①「即事而真」の思想の継承
 南北朝末期から隋代(西暦六〇〇年前後)において、北周の武帝の廃仏毀釈による仏教の発展の遮断後、隋の仏教復興運動によって、インド仏教とは違った、漢民族の精神生活の支柱となる中国仏教の形成をみます。
 それは、現実の中にこそ真理が存在するという考え方で、皮肉にも廃仏毀釈を行った武帝の「即事而道」(現実の中に道を見いだそうとする考え方)の考え方に強く出ています。
 この考え方は、大乗仏教のなかにみられる「煩悩に即して菩提をみる」という考え方と結びき、現実の中に真理をみようとする「即事而真」の思想を成熟させるものであったのです。
 この即事而真の思想は、鳩摩羅什の弟子であった僧肇(そうじょう、374-414)や、やがて宗派的に対立する天台宗開祖智顗(ちぎ、538-597)に強くみられる思想であり、この思想を華厳宗も継承することとなります。
(僧肇、智顗にみる即事而真の思想の源 下表1参照)
 
 華厳宗第二祖智儼は以下のように説いています。
→大乗仏教の根本理念である「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」の考え方は「即事備真」を表すと。(「備」とは具すること)
→完全なる真は事に即さなければ存在するものではない。
 ↓
 華厳における事と理の融即を説く思想の基盤となった思想といえます。

②唯識系諸宗派の成立
 現実に立脚した真理としての「即事而真」の思想を継承することとなった華厳宗ですが、同時に、華厳宗の成立・発展に強い影響を与えた思想があります。それが「唯識思想」です。
 唯識は、インドの仏教思想家の無着(アサンガ310-390頃の人)と世親(ヴァスバンドゥ320-400頃の人)兄弟により大成された思想です。
 兄弟により著された著作が漢訳され、それらの著作をもととした仏教宗派が中国で成立、それらの宗派が華厳宗の成立・発展に大きな影響を与えました。
(華厳宗に影響を与えた仏教宗派 下表2参照)
 

1.4. 華厳思想を形成した高僧
  華厳宗は、杜順(557-640)にはじまり、第二祖智儼(ちごん 602-668)、第三祖法蔵(643-712)によって集大成されたといわれています。
 新宗教の成立には二つの要因が必要であり、一つは神通力をそなえた特異な宗教者の出現(=開祖者)、もう一つはその宗教者の宗教体験の内容を説明するためのもの(=組織者)の出現があげられます。華厳宗の伝統説にしたがうと杜順が開祖者ということになりますが、異説もあります。
 以下、開祖者杜順、二祖智儼、三祖法蔵のそれぞれの人物像をみていきます。

①杜順の伝記とその神秘性
 信ぴょう性の高い杜順の伝記には、道宣の『続高僧伝』(七世紀中葉)や法蔵の『華厳経伝記』などがあげられます。
『続高僧伝』では、杜順は、性は杜氏、雍州(ようしゅう)万年県の人、十八歳で出家、因聖寺の僧珍(*)に仕えたとあります。
 また、『華厳経伝記』などによると、杜順は「普賢行」を修していたと推定され、普賢行こそ華厳の実践であり、それによって華厳宗の開祖とすることはできます。(唐代の澄観(第四祖)、宗密(第五祖)の時代に杜順を開祖としたものと思われる。)
  普賢の行願とは、『華厳経』「普賢行願品」第四十に説かれている10種の広大な行願を意味します。(下表3参照)
 
 特に(9)は、あらゆる衆生に随順することだが、衆生の能力は各々異なり、それら千差万別の衆生一人一人に対して暖かき目をもって見守ることが求められます。
 杜順は民衆の崇敬を受け、それは口伝され、人々の知るところとなり、晩年長安に迎えられ、多くの人の崇敬を集めたのです。
*僧珍:野に伏して止観行を修していた人、遊行僧と思われる。学問研究者ではなく、ひたすら坐禅を修していた人と思われる

②智儼の学風
 智儼の経歴を以下に示します。(表4)
 
 智儼は、単なる学解の人ではなく、どこまでも坐禅や止観を合わせて修した究道の人であったという。『入道禅門秘要』という究道の書物があったと伝えられています。

③華厳思想の大成者・法蔵
 中国華厳思想は三祖法蔵によって大成されたといわれています。(詳細は後述)
法蔵の経歴を以下に示します。(表5)
 
 法蔵が生きたのは、女帝則天武后による武周王朝時代でした。則天武后は、『大雲経』(妖僧懐義(えぎ)、法明が参画して作ったもの)を利用して、宗教的権威をも得て、悪逆無道をつくします。しかし、反面、純粋に仏教を保護しました。
 法蔵も多くの被援助者同様、武后の支持を受けながら、華厳の教えを説いたのです。
 法蔵の主な著書としては、 綱要書としての『華厳経五教章』(略称:『五教章』)と注釈書としての『探玄記』があげられます。

 

 本日はここまでとします。次回は中国華厳思想の影響を受けた人々、それと三祖法蔵以降の中国華厳宗の動向についてみていきます。しばらくお待ちください。





 (本日コメント欄お休みをいただいております。)





仏教思想:中国華厳思想概要(その1)

2021-01-20 08:36:56 | 仏教思想
 『今朝の天気』


(7:30頃)

 今朝の温度(6:30) 室温 リビング:17.5、 洗面所:19.5、 湿度(リビング):26%
 (昨日の外気温 東京、最高気温: 9.5、最低気温: 1.2
  本日の予想気温 最高気温: 8、最低気温: 1)



 「中国天台思想の概要」の最終回から4か月半ほど経ちました。
 右眼の緑内障の悪化もあって、続きの「中国華厳思想の概要」は中断中でしたが、1日30分を一応の限度として少しづつですが整理を再開しています。週に2,3日ですからトータルでも1,2時間と超スローペースですが、整理出来た部分をご紹介していきたいと思います。
 
 インドにて成立・発展した仏教はシルクロードなどを経て中国にもたらされました。その中国では、主な宗派として理論仏教の「天台宗」と「華厳宗」、実践仏教としての「禅宗」と「浄土宗」の4大仏教宗派が成立・発展しました。
 この中にあって、天台智顗を事実上の開祖とする天台宗は、現実の改革によるさとりの世界を説き、実践面でも坐禅、念仏と仏教修行の基礎を確立し、華厳宗、禅宗、浄土宗それぞれに大きな影響を与えます。一方、華厳宗は天台思想の強い影響を受けながらも、中国独自の思想(老荘思想)や唯識説などの思想を取り込み、「真理の純粋性」を強調する独自の仏教思想を確立して発展します。
 理論仏教としての天台思想も非常に難解でしたが、中国華厳思想は、独自理論の展開を強調する意味からか、細部に亘る理論展開がなされており、さらに難解と私には思えます。
 著書『仏教の思想6 無限の世界観<華厳>』により作成したノートをもとに、概要を整理中ですが、再び一部は本を読み直しながら整理中です。ということで、いつ終わるか分かりませんが、整理出来た範囲を少しづつUPしていきますので、よろしければお付き合いください。正直、付き合わないのも正しい選択の気もします。

 それでは、(その1)として、まずは、中国天台同様、中国華厳宗の全体像をつかんでいただくための、華厳宗成立・発展の系譜についてみていきたいと思います。

1.中国華厳宗の成立と発展
1.1.中国華厳宗の系譜
 中国華厳宗(以下華厳宗と称す)の思想を説明する前にまず、華厳宗がどのように成立し発展したかをみてみたいと思います。
 成立過程の説明の前に、華厳宗の成立・発展に関与した主な人物と組織を系譜で示します。(下図1参照)



1.2.中国華厳宗の成立
①中国における仏教の成立
 ブッダ没後五、六百年の紀元前後、後漢と中央アジアとの交通発達にともなって貿易商人などの渡来と一緒に隊商達の守護神として仏像や教誡師(きょうかいし)としての僧侶のたずさえた経典などによって、中国へ仏教は伝来します。
 伝来した経典は、渡来僧などにより漢訳されます。(~4世紀前半頃)。やがて、4世紀後半には、当時中国において儒教に変わり発展した道教の老荘思想により仏教は解釈(格儀仏教)されようになり、中国における定着の基礎が作られます。
 同時期に、道安(312-85)やその弟子の慧遠(314-416)は、格義仏教は、老荘の「無」と仏教の「空」を同一視する考え方であり、格義仏教を排斥して真の仏教へ回帰すべきとの仏教思想運動を起こします。この結果、外来宗教の仏教が、彼らにより中国社会に確実に定着しました。

②中国華厳宗の成立過程
 道安や慧遠により仏教が中国に定着した時期に、『華厳経』の最初の翻訳(旧訳または晋訳と称す*)が、東晋において、ブッダバドラ(仏陀跋陀羅)により行われます。これにより、中国における華厳宗の成立への歩みがスタートしました。以下、成立までの概要を、既述の系譜図と一部重複しますが、下図2にて示します。
*旧訳に対して、唐の則天武后時代に2回目の翻訳がシクシャーナンダ(実叉難陀)により行われ、これを新訳または唐訳と称す。


 本日はここまでとします。次回は、中国華厳宗の成立・発展に影響を与えた思想や宗派、さらに華厳宗を支えた高僧について取り上げる予定です。しばらくお待ちください。




 (本日コメント欄お休みをいただいております。)








仏教思想:中国天台思想概要(その6、完)

2020-08-30 08:20:57 | 仏教思想
 『今朝の天気』


(7:00頃)

 今朝の温度(6:30) 室温 リビング:29.5、 洗面所:29.5、 湿度(リビング):61%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:35.0、最低気温:26.9
  本日の予想気温 最高気温:36、最低気温:28)


 今朝は雲が多いですが、一応晴れてもうかなり暑いです。先週の東京は昨日が唯一の猛暑日で、やや気温は下がったものの猛暑日近い気温が続き、相変わらずの厳しい残暑の週となりました。
 今日明日も猛暑日が予想されていますが、もっともどうやらこれがピークのようで、その後は少しは涼しくなるようです。ただ、気温は30度を維持して、今年の9月は「暑い9月」となるようです。

  【8月24日から29日の天気】
 

 さて、日曜日ですから温度統計の報告日ですが、明日で8月分がまとまりますのでご報告は9月に入ってからとさせていただきます。
 それと眼に負担をかけない生活ということで、「音を楽しむ生活」のご報告をさせていただいていますが、それも今週はお休みをいただきます。今日は、2か月ほど中断していました中国天台思想概要の続き(第6回)、最終回のご報告とさせていただきます。
 やたら硬いお話になりますが、よろしければお付き合いください。今日の部分はあまり難しくありません。(中国天台思想概要を最初からという方は、カテゴリー「仏教思想」で遡及いただけます。)

 第3回から本論に入り、第3回では中国天台の空観について、第4回ではその空観に基づく中国天台の世界観について、そして前回第5回では実践論である「止観」についてみてきました。
 最終回の今回は、智顗によって確立された中国天台思想が、智顗以後中国国内で、さらに日本天台へとどのように展開して行ったかをみていきます。

 3.4.智顗以降の展開
 (1)中国天台の展開
 ①天台宗と華厳宗の対立
  既述の中国天台の系譜でも示したように、六祖妙楽湛然(みょうらくたんねん711-82)のころ、華厳宗と思想的に対立します。
 両者は、基本的には否定即肯定の「第三の絶対」に立ち、また両者とも「一即多・多即一」という点で思想的には共通の立場に立っていますが、以下の点では相違しています。(下表6-1)
 
 一方、両者は対立しつつも相互の思想を取り入れて、それぞれの思想を発展させてもいます。(下表6-2)
 

 ②山家派・山外派の論争
  天台宗の系譜でも簡単に説明しましたが、天台宗は、湛然以後百年余、唐末や五代の争乱、廃仏運動などで暗黒時代を迎えました。そして、十世紀の趙宋の代に入り、復興のきざしが見えます。しかし、その復興は天台と華厳の論争を天台内部に持ち込んだ、山家(さんげ)と山外(さんがい)、両派の争いでもあったのです。両者の主張の特徴を以下に示します。(下表6-3)
 


(2)日本における展開
 ①最澄の生涯
  以上のように、中国天台は華厳との対立、内部分裂と展開しますが、その後山家派により明代まで本流としての布教が続いたことは中国天台の系譜で既述したとおりです。
 一方、上記の山家、山外両派の課題の中でも示したように、両者とも総合統一が課題であったために批判・対決の観念は消え失せるという問題を抱えることとなりました。そして、その問題解決は結局日本において果たされることになります。
 それには二つの理由が考えられます。一つは、仏教の諸経論が総決算の形で日本に入ってきたこと、いま一つは、平安末期の古今にまれな社会不安・動乱があげられます。
 日本に来て、真に強い批判精神と対決意識が実り、ひいては現実変革としての強力な生成も、日の目を見たのです。そして、これを実現したのは中国にて天台宗をはじめ仏教思想を学び持ち帰った最澄であり、その後継者達でした。(最澄の経歴を以下に示します。下表6-4)
 

②日本天台の進展と天台本覚思想の確立
 最澄における最大の課題は大乗戒壇の建立でした。当時、叡山で得度し、沙彌になっても、戒を受けて正式の僧になるには奈良におもむき戒壇をふむ必要があったのです。天台法華宗は公認されても、奈良仏教界の支配から脱するには叡山に独立戒壇を設ける必要があったのです。その戒壇の建立は最澄の死7日後に実現します。
この結果、天台法華を中心として、華厳・密教・禅などの諸思想が統合され、叡山天台が最澄以降仏教ないし思想としては絶頂ともいうべき最後的段階まで発展(総合統一的仏教体系の確立)していきます。
さらに、浄土教をも融合して「普遍・具体・生成」の真理の三要素を完全に近い形にまで結晶させていった、仏教思想の珠玉というべきものが成立します。→天台本覚思想の確立。

 ③天台本覚思想の問題点と鎌倉新仏教の成立
  天台本覚思想の形成者たちは、真理の殿堂の奥深くにあって、もっぱら思索にふけった究理の徒であって、そのあまり絶対一元の境地にひたりきりとなり、現実に対して傍観的となるきらいがありました。生成の原理は十分とりいれながら、現実対決ないし改革という強力な生成の働きは出ないでしまったのです。
 時代背景として、平安末期の古今未曾有といわれるほどの社会動乱・不安は、この現実に目をそそぐとき、真理の殿堂奥深くあって絶対一元にふけることを不可能ならしめたのです。
 その結果、法然・親鸞・道元・日蓮など、叡山に学んだ代表的な僧が出現、天台法華を土台にまた批判材料として、現実社会を見据えた新たな思想を展開します。→鎌倉新仏教の成立
 これらの四人の代表者のうちその時代背景の違いもあり、法然と他の三人(親鸞・道元・日蓮)とは、思想的に明確な差がみられますが、それらをまとめてみると、(下表6-5)のようになります。
 
 天台法華あるいは仏教思想が歴史形成の原動力となり、現実改革・理想実現の積極的な生成力動を発揮した好例を、鎌倉新仏教に見い出すことができます。

                                                        以上

 ということで、中国天台思想概要の最終回でした。日本の仏教の修行道場としての比叡山、その元となった『法華経』「中国天台思想」ということで、仏教を勉強する上では、とても難解ですが、その理解が非常に重要な思想かと思います。
 中国ではその後、華厳宗、実践仏教である禅宗、浄土宗などの宗派が唐代・宋代と成立・発展していきます。それには天台の思想、実践行が大きく影響しています。
 眼に負担をかけない生活ということで、仏教思想の勉強も一時中断していましたが、毎日30分程度ですが再開しています。この後も1時間を限度に少しづつですが続けて、残った中国仏教(華厳、浄土、禅)についても何とかまとめたいと思っています。ともかく難しくて、翌日になると前日の内容は忘れているといった塩梅で短時間では遅々として進みませんが、出来る範囲でまとまった部分をご報告していきたいと思います。
 よろしければ、引き続きお付き合いください。次回からは「中国華厳宗」に入っていきます。















仏教思想:中国天台思想概要(その5)

2020-06-05 07:56:04 | 仏教思想
 『今朝の天気』


(7:15頃)

 今朝の温度(5:00) 室温 リビング:26.5、 洗面所:27.0、 湿度(リビング):24%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:27.6、最低気温:20.6
  本日の予想気温 最高気温:29、最低気温:21)



 中国天台思想概要の続き(第5回)です。
 第3回から本論に入り、第3回では中国天台の空観について、前回の第4回ではその空観に基づく中国天台の世界観についてみてきました。
 そして、今回からこれらの天台思想がどのように展開され、実践面での「止観」にどうつながるかを、止観の内容とともにみていきます。引き続きかなり難解です。興味のない方は無理せずパスすることをお勧めします。(その1、その2、その3、その4はカテゴリー「仏教思想」にて遡及できます。)


 3.3.天台思想の展開
 (1)天台の絶対観
 ①一般の絶対と仏経・『法華経』の絶対観
  人はすべてなんらかの形で「絶対」を求め、それをささえとして生きています。一般的な絶対は、相対的な現実と対立したかなたに、その存在は設定され、人間にたいして神を絶対者として立てたり、此岸(しがん)に対して彼岸に絶対界をたてたりするのがその例です(霊魂不滅説の霊魂や、バラモン教のアートマン)。
 これに対してシャカの説く絶対は、現実にあるものでもなく、現実と対立・隔絶してあるものでもない、超越の超越、絶対の絶対としています。これは「空」「空性」また「虚空(まったく無限定という意味)」につながります。
 『法華経』では、積極的表現として、真の絶対的真理をいいあらわしたものとして「一乗妙法」、真の絶対的世界をあらわしたものとしては「諸法実相」と称しています。
 以上をもととして、天台智顗は以下の三種の絶対を説きました。

 ②天台智顗の絶対観-三種の絶対
  智顗は、『法華経』の「妙法」の解釈をとおして真の絶対の明確な論理づけを行い、「妙」は「絶」であり、「妙法」は絶対の真理である、と説きました。
 また、妙に「相待妙(そうだいみょう)」(相対的絶対)と「絶待妙(ぜっだいみょう)」の二種類があり、後者を真の絶対と説いたのです。さらに、「絶待妙」を二つに分け、三種の絶対により、真の絶対を説明しています。(下表5-1 参照)
 
 
 


 (2) 天台法華の実践論-『摩訶止観』
 ①三種の止観-円頓止観
  天台智顗の実践論は「止観」の二字に要約されます。止観は大別して三種たてられ、これは天台智顗が師の南岳慧思から伝授されたとされています。(下表5-2 参照)
 
 『次第禅門』は、金陵の瓦官寺で講義したものを、大荘厳寺の法慎(ほっしん)が筆記したもの。『摩訶止観』と同様10章からなり、章名、構成もほぼ同じですが、禅が主軸となった初期の著作。坐禅の方法に詳しく、禅宗坐禅儀のもととなった『小止観』はこの『次第禅門』を要約したものとされています。
 智顗は彼の実践論の主著である『摩訶止観』(智顗の講義を二祖灌頂が筆録)において、その主論である「円頓止観(えんどんしかん)」について説いています。

 ②『摩訶止観』の構成と内容
  『摩訶止観』は十巻十章より構成されます。以下はその構成概要です。(下図5-3 参照)
  
  さらに、その構成詳細とその内容は以下のとおりです。(下表5-4 参照)
 
 
 

 ③相待止観と絶待止観-円頓止観
 『摩訶止観』の大半は、第七章の「正修」(止観の実践法)に割かれていますが、思想的な論点は第二章の「釈名」にあります。ここでは、前述の天台智顗の絶対観をあてはめて、止観には相待止観と絶待止観の二つがあり、絶待止観こそがまさに「円頓止観」であると説かれています。(下表5-5 参照)
 
 智顗は円頓止観について以下のように説いています。書き下しの文語和訳でかなり難解ですが参考に付記しておきます。
(下表5-6)
  
 なお、智顗は、「絶待止観において、悪もまた止観の対象である。貪欲即是道などと説いている。しかし、貪欲・煩悩のおこるまま、よしとするのではない。そのように受けとって欲望をほしいままにする者は、仏法を滅ぼすものである。」と強くいましめています。

 ④十乗・十境(十乗観法)と不説
  止観の実践法は『摩訶止観』の第七章で詳しく述べられています。そこでは、止観行の観察の対象として「十境」を立て、観察の方法として「十乗」という. 十種の観法が述べられています(これを一般的に「十乗観法」と呼ぶ)。
 解説は、まず十境から説明をはじめ、その後、十境のそれぞれに十乗をあてはめて説明しています。(下表5-7参照)(十乗観法の詳細は後述します。)
 
 十境のうち、増上慢、二乗、菩薩については不説となっています。
『摩訶止観』は智顗の人間として人生を生きていく方途を示したもので、日常生活におこる身近な問題を中心として展開されており、このため、後部は不説としたものと思われます。

 ⑤「止」の実践法-四種三昧
  話が前後しますが、『摩訶止観』第一章・第二項「修大行」では「止」の実践法である「四種三昧」が説かれています。
 三昧とは、サマディの音写語で、定とか、等持と訳され、心の散乱をおさえて、一所に安定させることを意味します。
 伝教大師最澄の例では、叡山の学生教育に際して、「法華コース(止観)」と「密教コース(遮那業)」を設けましたが、前者は四種三昧を実習の中心としました。
 中でも「常行三昧」は 後世の浄土信仰に大きな影響を与えました。中国の南岳や五台山に常行三昧堂が建立され、日本においては慈覚大師円仁が帰朝後叡山に常行三昧堂を建立したのに始まり、日蓮も初期の絶対的一元論(仏凡一体・娑婆即浄土)から晩年には、釈迦浄土(霊山浄土)を彼岸に対置し、それに生まれゆくことを説く(相対的二元論へ)に至っています。
 智顗自身も、臨終に際しては西方浄土の彌陀を念じたとのことが伝記に見えます。(四種三昧 下表5-8参照)
 
 
 

 ⑥十乗観法の内容
  前後しましたが、ここで十乗観法(十境・十乗)の内容を説明しておきます。
 前述のように、止観の実践法は『摩訶止観』の第七章で詳しく述べられています。そこでは、止観行の観察の対象として「十境」を立て、観察の方法として「十乗」という. 十種の観法が述べられております(これを一般的に「十乗観法」と呼ぶ)。
 十境及び十乗の説明を以下に示します。(表5-9,10)
 

 
 
 
 

 ⑦止観のまとめ
  最後に本文では「止観の真の成就」として、以下のようにまとめています。
 「十境十乗のもとに真理の体得ないし実践(観法)がなされていくが、そこで体得され実践される真理内容は、「空・仮・中」の三諦に尽きる。
 その三諦を即空即仮即中と総合的、一体的に体得・実践するのが、止観の究極なるものである。すなわちこれが「円頓止観」であり、「一心三観」である。
 そうして即空即仮即中から、空が必要な時には空が、仮が必要な時には仮が、中が必要な時には中が、時と場合に応じて自在に、また十全に発揮されるようになれば、ここに止観が、真に成就したことになるのである。」と。


 本日はここまでです。冒頭でもお話ししたように、今回は、中国天台の空観、世界観をもととした実践論(『摩訶止観』)についてでした。
 少し前ですが、TVで比叡山の修行の内容が紹介されていました。それは「常行三昧」でした。智顗が説いた四種三昧、その一つが、最澄を経て、修行の方法も智顗が説いたそのままに今日まで続いているわけです。歴史の重みみたいなものを感じます。

 さて、次回は「3.4.智顗以降の展開」について取り上げます。智顗以降の中国天台の動向、そして日本への影響についてです。そして、次回が最終回です。思想内容というより、史実が中心となりますので、少しは気軽に楽しんでいただけるかもしれません。よろしければ、引き続きお付き合いください。






 
  

 

 







仏教思想:中国天台思想概要(その4)

2020-05-16 08:01:52 | 仏教思想
 『今朝の天気』


(7:30頃)

 今朝の温度(5:30) 室温 リビング:25.6、 洗面所:26.5、 湿度(リビング):21%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:26.5、最低気温:15.2
  本日の予想気温 最高気温:26、最低気温:16)



 中国天台思想概要の続き(第4回)です。
 前回も丁度5月に入って急に暑くなった時期でしたが、今回も今度は本格的な夏入りの時期となりました。そんな時にまたまた頭が痛くなるような記事ですが、よろしければ、お付き合いください。前回から本論に入りしたが、引き続きかなり難解です。興味のない方は無理せずパスすることをお勧めします。(その1、その2、その3はカテゴリー「仏教思想」にて遡及できます。)


 3.2.天台思想の世界観
(1)十如是と智顗による三転読
 ①十如是とは
  前述の天台法華の真理観から、もろもろの存在のありかたが規定され、また全体的な世界観が形成されてきます。十如是(じゅうにょぜ)は、存在のありかたを10のカテゴリーであらわしたものです。
 鳩摩羅什訳による『法華経』「方便品」第二には以下のように整理されています。(下表4-1参照)
  
 原典や他の訳本では五個ないし、そのくりかえしになっており、表現もあいまいですが、十如是は、それまでに立てられていた事物の存在・性起(しょうき)についてのカテゴリーを鳩摩羅什が集めて、補整し、整合したものと考えられます。
 10個のすべてに「是(かく)の如き」の訳語が冠されているところから「十如是」と呼ばれ、この十如是が本末一貫した法として、もろもろの事物にそなわり、それぞれをささえる規範となっている。逆にいえば、もろもろの事物ないし、それをささえる規範(諸法)の具体的なあり方を示しています。つまりは「諸法実相」ということです。

 ②智顗による三転読
  智顗は、十如是を空・仮・中という真理のあり方についての三つのカテゴリー(三諦)にあてはめて、転読しました。これを「三転読(さんてんどく)」といいます。
(『法華玄義』巻第二上による「如是相」と「本末究竟等」の場合 下表4-2、3参照)
 

 
 つまり「究竟等」とは、空・仮・中の三法が即空即仮即中として円融具足されていること、空がいわれる時は一空一切空として空が十全に発揮されること、仮・中もまたそうであること、究極的にはここまでこなければならないことが説かれています。

 (2) 十界互具
 ①十界と大乗仏教における人間存在
  大乗仏教になると、もろもろの存在を価値的に10の階層に配列づけるようになります。これを十界(じっかい)といいます。
 (十界の構造 下表4-4参照)
 
(補足説明)
 六界(地獄~天上)までは大乗仏教以前に成立し、残りの四界は大乗仏教により成立しました。『法華経』では、六界を三界と別称し、「三界火宅(さんがいかたく)」とも称しました。また、六界(三界)は迷いの世界で、迷いがその間を流転することから、「六道輪廻(ろくどうりんね)」などといわれます。 
 この十界における人間存在のあり方を、大乗仏教では次のようにとらえました。「人間は善悪・苦楽、あるいは無と一切との中間者である。人間存在の悪なる面を段階的に極限までひきのばすと、阿修羅から地獄までの系列が立てられ、善なる面をひきのばせば、天上から仏までの系列が立てられる。
 逆にいえば、極悪の地獄から極善の仏界まで伸張された十界は、人間存在に求心的に集約されるといえる。人間は地獄と仏の両面、善と悪の両面がある厄介な存在といえる。」と。

 ②他宗教の人間観(例)
  仏教の人間観に対して、例えばキリスト教では、人間の二重性を多く霊と肉(体)の葛藤という形でえがきます。その結果、イエスに従って、肉を捨て、霊によって歩み、霊によって生きること、それが信仰であり、そこに救いが訪れるという善行主義を唱えました。
 また、ジャイナ教では、霊と肉、善と悪を峻別し、一方をとり、他方を捨てることで、救いを見いだそうとした、霊欲二元論に立ち、悪の根源は肉体の欲望に在るとし、断食などをして、徹底的に肉体の力や欲望をおさえつける方法、タパス(tapas)を奨励した苦行主義を唱えました。

 ③仏教における人間観-二元峻別的考え方への反論-
 他宗教の人間観に対して仏教は次のようにその問題点をとられます。「霊と肉、善と悪の二元峻別に立って唱道された善行主義ないし苦行主義は、人間から救いの可能性を取り上げ、絶望の淵に落とし込む結果となる。これらの主義は逆に、反動・反逆の現象を誘発することにもなる。悪行主義や快楽主義がそれである。 その原因は、霊と肉、善と悪との架け橋を取り外して、両者を断絶せしめたことにある。」と。
 仏教では、二元峻別を捨て、次のように説いています。「善と悪、精神(心)と肉体(色)とは本来、個別的な実体を有して存在するのではなく、ともに空であり、その意味では両者は不二である(「善悪不二、色心不二、物心一如」)。現実の相下においては、善と悪、精神と肉体とは相対立する二として存在するが、永遠の相下においては、両者は対立をこえた不二として存在する。」と。

 ④天台智顗の「十界互具」説
  智顗は以上の大乗仏教の人間観をもとに、彼独自の人間観「十界互具(じっかいごぐ)説」を以下のように説きます。
 「十界において、善悪・色心の相対は天上界までであって、声聞からは善悪・色心の不二が志向されていく、さらに、本来、究極の相からすれば、十界全体が善悪・色心不二である。
 仏界は現実相としては究極の世界と考えられるが、本来は善悪二元対立をこえた善悪不二・一如をもって究極とする。同様に地獄も現実相は極悪だが、本来は善悪不二・一如に包まれたものである。
 このことは、十界すべてにあてはまる。つまり十界は、現実相としては10の異なる階層をなしているが、本来は善悪不二を共通背景として、相即・円融するものである。したがって、めざされるべきは、善ないし精神の一辺ではなく、善と悪、精神と肉体との統一である。両者は断絶して相容れないものではなく、相通ずるものということから、悪に即して善あり、善に即して悪あり、肉体に即して精神あり、精神に即して肉体ありといえる。
 地獄に仏界あり、仏界に地獄あり、十界それぞれに十界が備わっているということになる。(「十界互具」)」と。

(3)対立の統一と性悪説
 ①対立の統一としての人間存在
  以上から、仏教では「悪をなくして善の一辺になったときに、肉体を捨てて精神(霊)の一元になったところに、救いが達成され、永遠の生命がみいだされるものではない。善と悪の相克、精神と肉体との相関の当処に、救いは光り輝き、生命は脈打つのである。一口でいえば、対立の統一(「不二而二(ふににに)・而二不二」)である。」ということが明らかになってきます。

 ②善と悪の相即-性悪説
  さらに、智顗はこの善悪の不二・空という仏教の根本的考え方を踏まえつつ、その積極的表現化につとめました。
《善悪相資説》(『法華玄義』第五より 下表4-5参照)
 
 これらの善悪相即論が十界互具説に結び付けられて、ここに仏の本性として悪ありという「性悪説(しょうあくせつ)」がうちだされました。この説は、後世まで大きな影響を与えました。

 (4)一念三千論
 ①一念三千論とは
  天台智顗の十界互具説や性悪説などの背景をなすものは、智顗の総合統一的、全体的世界観であり、それが結実したものが、いわゆる「一念三千(いちねんさんぜん)」論といわれるものです。
 智顗は、『摩訶止観』(巻第五上より)にて、以下のように説いています。(下表4-6参照)
 

 以下、ここでの「三千世間」と「一念」について順次説明し、一念三千論についての内容分析してみます。

 ②三千世間と一念
 「三千」とは、極大の全体宇宙のあり方を表出したもので、以下のような計算法によるものです。(下表4-7参照)
 
 一方、「一念」とは、 極小、極微の世界をさしたもので、必ずしも心に限定されないが、存在に対する主体的把握の尊重から、一念とか一心ということばで表現したものです。

 ③一念三千論のまとめ
 「一念三千」とは、以上の一念と三千が相即していることを表わしたものです。一念は三千に遍満し、三千は一念に凝集され、このように一念のミクロと三千のマクロが相即・相関しつつ、宇宙の全体世界が構成されるということで、これが天台の一念三千論の帰結です。
 智顗は、一念と三千の相即のしかたについて、『摩訶止観』(巻第五上より)にて以下のように説いています。(口語訳の解説 下表4-8参照)
 


 今日はここまでです。相変わらず難解ですが、仏教の世界観をもとに、中国天台宗の世界観が見えてきます。他宗教と仏教の世界観の違いなどかなり興味深い説明もあったように思います。

 次回は「3.3.天台思想の展開」についてです。智顗の功績の一つ、その後の禅宗や浄土宗など実践派の仏教に大きな影響を与えた「止観」についても取り上げます。