hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

名物

2019-07-31 06:52:23 | 旅行


昨日は一日上高地でノンビリとしていました。
そして再び平湯温泉へ。その平湯温泉、長野県側から安房トンネルを抜けて、岐阜県側の高山市に入ってすぐにあります。
ということで、旅館の料理にも岐阜名物が登場です。お気に入りは、これ「ほうば味噌」でした。

今日は最終日。富士見高原、清里に寄って、猛暑の東京に帰ります。
昨日、信州へ2泊3日の旅とご報告しましたが、実際は飛騨・信州・甲斐の旅でした。

詳しくは、帰りましたら。

(本日コメント欄お休みいただいています。)



平湯温泉

2019-07-30 07:12:49 | 旅行


昨日ご報告した2泊3日のバス旅は信州への旅です。
昨日はまず、新穂高ロープウェイで2100mの西穂高、槍ヶ岳などを望む展望台に。
そして泊まりは、奥飛騨温泉郷の平湯温泉へ。
今日は、この後上高地へ向かい、泊まりは再び平湯温泉へ。
明日帰ります。

詳しくは帰りましたら。

(今日は、コメント欄お休みいただいています。)


奄美大島北部巡り

2018-12-20 08:59:59 | 旅行

(ホテルティダムーンにて)

 田中一村記念美術館訪問目的の奄美大島の旅(過去記事)、目的を果たしたとはいえ、さすがに日帰りは出来ませんので、ホテル(奄美リゾートホテルティダムーン)に1泊して、翌日(12月11日)は島全体は回れませんので、帰りの飛行機の時間(15:15発)までの4時間ほどホテルと空港近郊の奄美北部をタクシー観光しました。


(ホテルティダムーンにて)


 奄美といえば、やはり自然、それも南国の島のイメージですね。ということで、出来ればそんな風景が撮れればと今回は最近買ったばかりのユーティリティズームレンズ(24-240mm)を付けて、コンパクトカメラとともに一眼も持っていきました。
 ただ、前日は雨、当日も変わりやすい天気で、しかも身体をもっていかれるほど風も強くて、まともな写真はほとんど撮れませんでした。これまでも少し紹介済みですが主には、比較的条件の良かったホテルでの風景写真を中心に、4時間の奄美北部の旅をご紹介します。

 そのホテルティダムーンですが、空港からは車で10分、田中一村記念美術館(奄美パーク)からは5分ほどの海岸にあり、天気が良ければさぞかし海も綺麗で風光明媚なホテルかと思います。
 
 田中一村記念美術館の近くということもあって、一村のポスターが沢山飾られています。販売しているものもありますが、原寸大のスクリーン印刷は50万円ほどの値が付いていました。
 
 そして、旅行といえばやはり食事、夕食は「島会席」というものでした。島の料理らしく素朴でしたが、美味しかったです。(下左の2枚が地元名物の「鶏飯」というもので、ご飯の上に具材を載せてスープをかけて食べます。一杯飲む人には特に仕上げにいいかもしれません。下右端は朝食です。)


(ホテルティダムーンにて)


 さて、それではホテルをタクシーで出発、観光スタートです。

 

 ホテル近くの展望台経由で、最初に訪れたのが「大島紬村」でした。
 大島紬、高級反物として有名ですが、ここでは30分ほどの工場見学がありました。その見学で、何故大島紬が高価かがよく分かりました。
 詳しくはこちらをご覧ください。
 ともかく工程が複雑で手間が大変です。設計図にもとづいて糸を先染めするのですが、そのために木綿糸でまず機織り同様に絞りを入れます。それを木材の汁と泥で交互に何十回と染めて、あの独特の黒い色を出します。さらに黒以外の色は、その色を織り込んだ糸の一部に染色します。その後、織る順序に糸をほどいていきます。それを設計図どおり織り込んでいきます。当然、模様にズレが出来ないように、何度もズレを直しながら織っていきます。簡単にはこんな工程ですが、正確には何十工程もあるようです。
 
 上左から、染めに使うテーチ木、その木をチップにして煮だして染色液に、泥染めの工程、テーチ木染めと、泥染めを繰り返します。
 下左から、絞りを入れる織機、色付け工程、最後の2枚は織の工程
 経糸と横糸に模様を染めこんで、それらが交差した点を「絣(かすり)」といいます。つまり大島紬はこの絣(ドット)の集合で模様を作っていく点描画ということです。このドットが細かいほど手間がかかり高価ということです。また、紬とは、くず糸から繊維を取り出して数本を縒りをかけて糸にしていく技法のことです。大島紬は絹糸ですが、従来はこの紬の技法で作られていました。しかし、現在は生糸を使用しているということで、紬とは言えず、製法からは「大島絣」が正しいようです。
 以上、にわか勉強の成果でした。

 次に訪れたのが「蘇鉄」の群生地です。山全体に蘇鉄が植わっているのですが、これは植栽したものとのことです。目的は食用ということですが、現在もというより、戦中戦後の食糧難の時に、蘇鉄の実から澱粉を取って、おかゆのような物にして食べたということです。
 
 

 わずか4時間でしたが、整理してみると結構訪問してます。次に行ったのが西郷さんの謫居(たっきょ)跡でした。大河ドラマ西郷どんを観ていなかったので、「へ~」程度で終わりましたが、錦江湾に月照さんと入水自殺後、島津家がかくまった跡が観光地になっていました。
 
 六畳二間程度でしょうか、西郷さん三十三歳で、愛子さんという人と結婚していて、この家には2か月住んだだけということです。なお、近くの墓地には愛子さんのお墓があります。

 この後、奄美の景色が楽しめるところということで、2か所を訪れました。冒頭お話したように、雨と強い風でまともな写真が撮れていませんが、ご紹介して奄美大島北部巡りを締めたいと思います。

 「奄美自然観察の森展望台」
 
 


 「あやまる岬」
 
 












 

 

山口と安芸の宮島観光ツアー(5・完):安芸の宮島

2018-12-13 08:38:54 | 旅行


 山口・安芸の宮島の旅、最後・三日目は今回の旅のある意味最大のハイライト、「安芸の宮島」でした。というのも、そもそも今回の旅、妻が行きたいと言い出したのがきっかけだったからです。
 私は、高校の修学旅行と、仕事がらみで3回の都合4回宮島には訪れています。修学旅行ではさほどには感じませんでしたが、その後の訪問では、厳島神社のその神秘的な雰囲気というか、行くたびに霊気のようなものを感じて、いわゆるパワースポットとして、帰ってくると『また行こう』という気になる地です。
 そんな話を妻にしていたら、「私も行きたい!」となって、今回の旅となったわけです。

 その宮島、長門の大谷山荘をツアーではややゆっくり目の9時に出発、バスで宮島の対岸宮島口へ、そこからフェリーで10分宮島に上陸したのは11時半時ぐらいでしたでしょうか?それから昼食も含めて3時間の滞在でしたが、これが結構忙しくて、結果訪問したのは、厳島神社だけという結果でした。

 

 その厳島神社、宮島の船着き場から徒歩10分ほどでしょうか、有名な海の中の大鳥居の正面に位置します。

 
 (写真の手前側に桟橋があります)

 それでは地元のガイドさん、といってもお土産屋さんの店員さんですが、について厳島神社を巡り・お参りをしたいと思います。








 ガイドさんの先導でかなり忙しい参拝となりました。それと、丁度引潮の時間帯で、神社が海水に浸かっていないのはちょっと雰囲気が損なわれていた気もします。なお、出口付近にあるのは「大願寺」(写真の最後・右下)でここの9本松というのは伊藤博文が植えたものとのことです(小さいですが、写真でも中央・左に写っています)。

 厳島神社の後方には、五重塔と千畳閣(豊國神社)があります。



 ガイドさんに連れられて、急ぎ足での参拝が終わって、連れられて行った先は当然ながらお土産屋さんでした。お茶ともみじ饅頭をいただいて、少しだけ時間があり、近くでしたので、五重塔と千畳閣を見てきました。

 そして、今回の旅行の最後のイベントは、昼食の「牡蠣」でした。食べたのは名店「牡蠣屋」さん、狭いお店でしたが、確かに名店でした。

 昼食後少しだけ、島内を散策して、桟橋へ。いよいよ旅も終了、宮島口に戻り、バスで広島駅に、新幹線で東京に帰って来ました。宮島名物といえば、もみじ饅頭、牡蠣、それと「あなご飯」です。宮島口駅の近くに有名なあなご飯屋さんがあるのですが、ツアーのためそこでは買えないので、宮島で弁当を仕入れて、新幹線での晩御飯としました。〇でした。

 実は次の宮島は紅葉シーズンに行って、もみじを楽しみ、ロープウェイで頂上まで行って、と思っていたのですが、それは果たせませんでした。修学旅行では、秋芳洞にびっくりして、以来もう一度と思っていて、どうやら6度目の宮島訪問はその時なりそうです。今回の訪問地では、錦帯橋と瑠璃光寺は前から行きたいと思っていたところで、それは果たせました。それと、何より妻が宮島に行けたと大満足だったので、初期の目的は果たせた結婚35周年のいい旅になりました。


 以上で、「山口・秋の宮島の観光ツアー」の終演です。長らくのお付き合い、ありがとうございました。