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仏教思想:中国華厳思想概要(その1)

2021-01-20 08:36:56 | 仏教思想
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 「中国天台思想の概要」の最終回から4か月半ほど経ちました。
 右眼の緑内障の悪化もあって、続きの「中国華厳思想の概要」は中断中でしたが、1日30分を一応の限度として少しづつですが整理を再開しています。週に2,3日ですからトータルでも1,2時間と超スローペースですが、整理出来た部分をご紹介していきたいと思います。
 
 インドにて成立・発展した仏教はシルクロードなどを経て中国にもたらされました。その中国では、主な宗派として理論仏教の「天台宗」と「華厳宗」、実践仏教としての「禅宗」と「浄土宗」の4大仏教宗派が成立・発展しました。
 この中にあって、天台智顗を事実上の開祖とする天台宗は、現実の改革によるさとりの世界を説き、実践面でも坐禅、念仏と仏教修行の基礎を確立し、華厳宗、禅宗、浄土宗それぞれに大きな影響を与えます。一方、華厳宗は天台思想の強い影響を受けながらも、中国独自の思想(老荘思想)や唯識説などの思想を取り込み、「真理の純粋性」を強調する独自の仏教思想を確立して発展します。
 理論仏教としての天台思想も非常に難解でしたが、中国華厳思想は、独自理論の展開を強調する意味からか、細部に亘る理論展開がなされており、さらに難解と私には思えます。
 著書『仏教の思想6 無限の世界観<華厳>』により作成したノートをもとに、概要を整理中ですが、再び一部は本を読み直しながら整理中です。ということで、いつ終わるか分かりませんが、整理出来た範囲を少しづつUPしていきますので、よろしければお付き合いください。正直、付き合わないのも正しい選択の気もします。

 それでは、(その1)として、まずは、中国天台同様、中国華厳宗の全体像をつかんでいただくための、華厳宗成立・発展の系譜についてみていきたいと思います。

1.中国華厳宗の成立と発展
1.1.中国華厳宗の系譜
 中国華厳宗(以下華厳宗と称す)の思想を説明する前にまず、華厳宗がどのように成立し発展したかをみてみたいと思います。
 成立過程の説明の前に、華厳宗の成立・発展に関与した主な人物と組織を系譜で示します。(下図1参照)



1.2.中国華厳宗の成立
①中国における仏教の成立
 ブッダ没後五、六百年の紀元前後、後漢と中央アジアとの交通発達にともなって貿易商人などの渡来と一緒に隊商達の守護神として仏像や教誡師(きょうかいし)としての僧侶のたずさえた経典などによって、中国へ仏教は伝来します。
 伝来した経典は、渡来僧などにより漢訳されます。(~4世紀前半頃)。やがて、4世紀後半には、当時中国において儒教に変わり発展した道教の老荘思想により仏教は解釈(格儀仏教)されようになり、中国における定着の基礎が作られます。
 同時期に、道安(312-85)やその弟子の慧遠(314-416)は、格義仏教は、老荘の「無」と仏教の「空」を同一視する考え方であり、格義仏教を排斥して真の仏教へ回帰すべきとの仏教思想運動を起こします。この結果、外来宗教の仏教が、彼らにより中国社会に確実に定着しました。

②中国華厳宗の成立過程
 道安や慧遠により仏教が中国に定着した時期に、『華厳経』の最初の翻訳(旧訳または晋訳と称す*)が、東晋において、ブッダバドラ(仏陀跋陀羅)により行われます。これにより、中国における華厳宗の成立への歩みがスタートしました。以下、成立までの概要を、既述の系譜図と一部重複しますが、下図2にて示します。
*旧訳に対して、唐の則天武后時代に2回目の翻訳がシクシャーナンダ(実叉難陀)により行われ、これを新訳または唐訳と称す。


 本日はここまでとします。次回は、中国華厳宗の成立・発展に影響を与えた思想や宗派、さらに華厳宗を支えた高僧について取り上げる予定です。しばらくお待ちください。




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