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仏教思想:中国華厳思想概要(その3)

2021-02-03 08:42:44 | 仏教思想
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 中国華厳思想概要の3回目です。前回(その2)、前々回(その1)は、序といった内容で、中国華厳思想の成立。発展の系譜、関係する思想・人物をみてきました。
 今回は、その序の部分の最後となります。中国華厳思想の影響を受けた人々、それと三祖法蔵以降の中国華厳宗の動向についてみていきます。

1.5.華厳宗の影響を受けた人々
①『華厳経』信仰グループ・斎会(さいえ)
 南北朝時代から、斎会(さいえ)といわれる僧侶と一般人の修行のための集会(元来は食事を布施する行事)として「法華斎」、「華厳斎」などがありました。
 華厳斎はやがて、規模が拡大し結社化されていきます。(下表6参照)
 
 グループ信仰の対象例としては、「入法界品」の求道者善財童子に対する信仰や、文殊菩薩・普賢菩薩への信仰、さらに文殊菩薩の霊地としての「五台山」信仰が一般民衆のなかに根付いたということです。

②法蔵以降の華厳宗
 法蔵以後の華厳宗は一時衰退しますが、四祖澄観(738-839)の時に再び盛んとなり、五祖宗密(780-839)と引き継がれます。
 (下表7参照)
 
 華厳宗としては第五祖宗密で一応、学統が途絶えます。しかし、その思想は中国史の中に深く浸透して大きな影響を与えたといえます。

③華厳宗の禅宗への傾斜と明恵上人
 華厳宗第四祖澄観、五祖宗密の時代、華厳宗に代わり禅宗が勃興、華厳思想は禅の中へ形を変えて生かされていくことになります。
 また、日本においては、中国同様、奈良時代にはもっぱら学問的関心のみであった『華厳経』に対して、鎌倉時代にはそれへの実践者が登場します。それが明恵上人(1173-1232)です。(明恵の経歴 下表8参照)
 
 明恵は、「仏光(ぶっこう)三昧観」という観法を修しました。これは、禅との関係からと考えられます。明恵の禅は栄西から受けましたが、「臨済禅」というわけではなく、「一切の求める心を捨て、ただ無所得の心をひっさげて行うところの無所得の行道こそが真実である」としています。
 また、明恵と道元(1200-1253)には多くの共通点がみられます。(下表9参照)
 
 道元の思想である「只管打坐(しかんたざ)」の仏教の中には華厳の思想が指摘でき、明恵の華厳が道元に影響を与えているのではと推測できます。


 本日はここまでです。次回からいよいよ本論に入っていきます。まずは中国華厳思想の元となった『華厳経』についてみてみたいと思います。しばらくお待ちください。




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