先週のことですが、亡き父の納骨と1年祭(1周忌)のため、父の故郷である島根県津和野町を訪れました。私にとっては、高校の修学旅行以来三十ウン年ぶりのことでした。
いつからか、「山陰の小京都」と呼ばれるようになった静かな佇まいの小さな町を、拙い短歌を添えながらご紹介します。(★これより下の画像をクリックすると、大きい画像や別の画像が見られます。※印がついた画像には裏に別画像が入っています。)
山陰の小京都 ~鴎外の眠る町~
(左)新横浜から新幹線のぞみ号で4時間...新山口駅に降り立ちました。山口線に乗り換えます。
(右)♪川沿いの駅のホームでふと見やる 父の愛した橙の百合♪
画像はありませんが、お椀を伏せたような柔らかな稜線の山々と、その山々に抱かれるようにして線路の両脇に広がっていた水田が、とても印象的でした。
津和野駅前 あらあら、水道がSL!
日本一の水質を誇る高瀬川の支流、津和野川と、津和野の町
♪クマゼミがワシャワシャワシャと啼き亘る 森に囲まれた小京都♪
父は森鴎外の墓(右)のすぐ横にある、先祖代々の墓に入りました(神道では、墓ではなく「奥都城(おくつき)」と言います。寺にあるのですが、供養も墓も神道なのです)。
♪鴎外とともに眠らむ父御霊(みたま) 苔むす境内の永明寺(ようめいじ)♪
♪蒼然と苔むす墓所を吹き抜ける 一陣の風に紅葉(かえで)の実舞う♪
父を供養した神社の池に、アオサギが来ていました。神前の鴨居にはツバメの巣が......
♪祝詞(のりと)響く父の御霊の神前で 子に餌(え)を運ぶ番(つがい)の燕♪
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町のシンボルとも言える、殿町通りの鯉の掘割
♪津和野町錦鯉泳ぐ城下町 静かな山陰の小京都♪
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森鴎外の生家 「森鴎外記念館」
画像はありませんが、「葛飾北斎美術館」と「安野光雅美術館」も急ぎ足で拝観しました。3館とも、私の高校時代にはなかったものです。
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復路は、夏季の週末のみ1日に1本だけ走るSLに乗ることができました! 2歳のときにこの線で乗って以来のことでした。
♪田園を黒煙なびかせ疾走す 感孚風動(かんぷふうどう)*C571♪
*感孚風動とは、「四字熟語データバンク」によると「人の心を感動させ、感化すること」だそうです。このSLのポスターにあったので、使わせていただきました(#^.^#)
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(左裏)この辺り、特に徳佐という地方は、コシヒカリとりんごの名産地だそうです。
♪踏切でSL通過待つ車窓 笑みあふれて紅葉(もみじ)手振る子ら♪
(右)私たちが乗った車両は「オリエント急行」をモデルにした欧風車両で、内装にアール・ヌーヴォーのデザインが取り入れられています。アール・ヌーヴォーが浮世絵等日本文化に影響されているので、日本の列車に合わないこともないでしょうか???
(左)沿線一帯の家の屋根は、ほとんどこの色でした。
♪沿線の田んぼを彩る錆色の石見(いわみ)瓦と白いお蔵♪
(右)♪畔道で作業の手を止め佇める SL通過見送る人々♪
♪故郷(ふるさと)の山紫水明に抱(いだ)かれ 安らかなれや父の御霊♪
♪父呼んだ故郷の山に囲まれて 初めて悟る望郷の念♪
さ、よ、な、ら...父上.........
無事お父様の法事を終え、さぞかしホットなされたことでしょう。
お父様は津和野の方でしたのね。
夫の実家が島根なので、夏に帰省したとき、よく津和野までドライブを楽しみましたよ。
子供たちが小さかったので、SLにも、載りましたね。懐かしいです。
懐かしいといえば、森鴎外、
ベルリンへ行った時に、森鴎外の記念館を訪れて、鴎外が生活した跡を垣間見ました。
意外と小さな方だったのかなとベッドで知りました。
ドイツの東圏での生活、ここで舞姫を書いたのかと、いろいろ想像して感慨深き物があったこと、思い出されました。
津和野も暑かったのではありませんか?
お体ご自愛くださいね。
そうでしたね、にりんそうさんも島根とゆかりがあるのでしたね。私より足繁く行っていらっしゃるわけですね。SLにも!
ベルリンの鴎外記念館を? そうでしたか...。
幼くして医師になる志を立て、津和野から上京したのですから、立派ですよねぇ。今でこそ数時間で移動できますけれども...。
思ったほど暑くはなかったですよ。従兄によると、こんなに風が吹くのは珍しいと言っていたので、きっと父が私たちのために吹かせてくれたに違いないと言っておりました(#^.^#)
ベルリンの市街地に、森鴎外記念館があったのです。ここに行く予定いいえ全然知らなくて、街並みをあちらこちらと歩き回り、気がつくと
ここにたどり着いていたのです。
ドイツ語ばかりの中にここだけが日本語を話すことが出来てほっとした思い出があります。
森鴎外が間借りしていた家、お部屋がそのままにされていました。
ここでベルリンの若き娘さんと恋に落ちたのです。
もうかれこれここに訪れて7,8年経っているかと思うので、記憶も薄れていますが、このお部屋を拝見した時に
いろいろな思いが交差したような気がします。
ごくろうさまでした。
・・はなこころ
そのドイツ姫、日本まで追いかけてきたのに、その恋は叶わなかったのですね。
また、鴎外が最高位の軍人であったことも、今回改めて気づかされた事実でした。
っと、これを書きながら、私は今シューマンとクララの話をBSで聞いております(#^.^#) 全然関係ありませんでした(^_^;
山陰といえば、かなりはなこころさんのいらっしゃるところに近づいたのですよね。こんなことでもなければ、なかなか縁のない場所です。
父の両親は父が小学生のときに相次いで亡くなったので、津和野に里帰りすることはありませんでしたから...。
津和野は高校の修学旅行で行きましたよね。
私も小学生の頃から萩・津和野には何度か訪れました。田舎ののんびりとした情景のなかにも、小京都と呼ばれる洗練されたところを持つ素敵な町だと思います。ある意味、交通の便の良い山陽道から離れていて過度に観光地化されなかったことが幸いだったと思います。今後もぜひ昔のたたずまいを保っていてほしいものです。
日本の名所と呼ばれるところは、観光地化されるとともに標準化されてしまい、次々に地域の特徴を失っているだけに心配です。
BSでシューマンとクララのこと放映していたのですか?
見たかったです。
昨年かな、シューマンクララ愛の協奏曲
というタイトルの映画観ましたよ。
クララってとっても素敵な女性に描かれていましたが、そうでしたか?
ブログの中の映画のセクションで載せています。
よろしかったらどうぞ見てみてください。
九州育ちのだちょうさんは、津和野は修学旅行のときが初めてではなかったのですね。
今回はゆっくり観光できなかったのでよくはわかりませんが、当時と佇まいは変わっていなかったと思います。夏休み最初の週末だったにもかかわらず、観光客で溢れていたわけでもありませんでした。
ただ、英語が聞こえてきたときはちょっとびっくりしましたよ。外人が訪れる町になっていたのですね。
この番組、「名曲探偵アマデウス」という番組で、MCがコメディータッチのドラマ仕掛けになっていておしゃべり部分が多く、それほど踏み込んだ内容ではありません。にりんそうさんのように知識をお持ちの方には物足りないのではないかと...。
後ほど記事を拝見しにまいりますね。