地元新聞の「続・憲法を考える」という連載インタビュー(共同通信)で、山崎正和氏の「見えざる憲法」という言葉を知った。
山崎氏は、憲法とは国家と国民との約束事であり、そこで戦争放棄を謳っても「相手国には通用しない」。かつて田中美知太郎先生が「法に戦争禁止と書いて済むなら、台風禁止も書けばいい」とおっしやったとも聞く。憲法に未練のある人にいくら理を説いても、情でしばられているのでは届かない、と俗物は思うが。
さらに山崎氏は、憲法には条文で書いてある「見える憲法」もあれば、時々の政府の解釈による「解釈憲法」もあり、現に20万を越す自衛隊の存在を認めてきた国民の同意に基づく「見えざる憲法」もあるという。「声なき声が私を支持している」と同じ都合の話かもしれない。
「見えざる憲法」が戦争をしたいとは思っていないのなら、根こそぎ憲法を変えなくても、必要な部分について「国民投票」を行い、憲法に「修正条項」を付け加えればよい、というのが氏の大人の知恵のようであるが、戦争に相手があるように、国民は大人ばかりではないので相手にされないかもしれない。
そこを見越して氏は、憲法修正に必要な賛成は、アメリカ式に「三分の二以上」ではなく「二分の一以上」でないと、何も前に進まなくなる、とも。そこでアメリカが出てきますか、と一息ついてしまう。
なんだか話の入り口にもどったような気持ちになるが、今更見ざる言わざる聞かざる、ではないとはしっかり思う。憲法9条を紙に書いて本にして売って喜んでいる人もいるが、見えない憲法に責任があるのは商業媒体ではなく、「声なき声」の持ち主一人一人だと思う。
山崎氏は、憲法とは国家と国民との約束事であり、そこで戦争放棄を謳っても「相手国には通用しない」。かつて田中美知太郎先生が「法に戦争禁止と書いて済むなら、台風禁止も書けばいい」とおっしやったとも聞く。憲法に未練のある人にいくら理を説いても、情でしばられているのでは届かない、と俗物は思うが。
さらに山崎氏は、憲法には条文で書いてある「見える憲法」もあれば、時々の政府の解釈による「解釈憲法」もあり、現に20万を越す自衛隊の存在を認めてきた国民の同意に基づく「見えざる憲法」もあるという。「声なき声が私を支持している」と同じ都合の話かもしれない。
「見えざる憲法」が戦争をしたいとは思っていないのなら、根こそぎ憲法を変えなくても、必要な部分について「国民投票」を行い、憲法に「修正条項」を付け加えればよい、というのが氏の大人の知恵のようであるが、戦争に相手があるように、国民は大人ばかりではないので相手にされないかもしれない。
そこを見越して氏は、憲法修正に必要な賛成は、アメリカ式に「三分の二以上」ではなく「二分の一以上」でないと、何も前に進まなくなる、とも。そこでアメリカが出てきますか、と一息ついてしまう。
なんだか話の入り口にもどったような気持ちになるが、今更見ざる言わざる聞かざる、ではないとはしっかり思う。憲法9条を紙に書いて本にして売って喜んでいる人もいるが、見えない憲法に責任があるのは商業媒体ではなく、「声なき声」の持ち主一人一人だと思う。