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すべての中国人の戸籍は、農村戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられている。農村戸籍が約6割、都市戸籍が約4割で、1950年代後半に、都市住民の食糧供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入された。
以来、中国では農村から都市への移動は厳しく制限されていて、日本人のように自分の意思で勝手に引っ越ししたりはできない(ちなみに都市で働く農民工、いわゆる出稼ぎ労働者がいるではないか、と思われるだろうが、彼らは農村戸籍のまま都市で働くので、都市では都市住民と同じ社会保障は受けられない)。
徐さんの戸籍はもともと農村戸籍。徐さんは上海の大学に進学する際、上海の都市戸籍のひとつである団体戸籍に入った。農村から都市の大学に進学する際に一時的に与えられる戸籍だ。
”条件付き”戸籍への不安
在学中は医療や福祉などの社会保障サービスが受けられるので、一見すると都市戸籍保有者と待遇は変わらないのだが、卒業したら、基本的に戸籍は原籍に戻されてしまうという“条件付き”。徐さんの場合、日本留学を経て、上海で就職したので、現在は上海の勤務先団体戸籍というものに所属している。こちらも、仕事の都合上与えられるもので、現在は社会保障などを受けられるものの不安定だ。
スマホを操作する農村出身の女性。学歴が高く努力家なのに、生活は厳しい
都市戸籍はもともと都市に住む限られた人たちのものであり、農村戸籍保有者に比べて、圧倒的に有利な内容になっている。都市戸籍と農村戸籍の違いや差別は、結婚やマンション購入などあらゆるところに存在するが、最もわかりやすい差別は大学入学時の扱いだ。
中国では大都市に戸籍を持つ学生が優遇され、経済水準の低い農村戸籍の学生は不利にな立場に置かれている。これは、各省の大学合格者の割り当て人数が異なっているためだ。北京市出身者と、四川省出身者では、同じ北京大学を希望していても合格ラインは異なる。
つまり、北京大学に入るには、同じ成績でも北京出身者より地方出身者のほうが圧倒的に不利ということだ。
その差はどんどん広がっている。かつては優秀でさえあれば、勉学の成績だけで都市の大学に入学できたが、今では北京大学や復旦大学などの都市の名門大学に農村出身者が入学できる割合は「全体の2割程度しかない」、と言われている。
たまたま農村に生まれた、というだけの理由で、同じ成績でも北京大学に入学するのは都市の人より何倍も努力しなければならない。これは生まれながらにしての差別、といわざるを得ない。日本で「出身県」によって東京大学に入学できる合格点が異なり、しかも引っ越しも自由にできないなど、想像もできないことだろう。
就職も同様だ。やっとのことで都市の大学に進学できた農村出身者は、都市戸籍がある人に比べて、条件は不利だ。企業側が採用の際、最初から「都市戸籍保有者であること」を応募条件として掲げることが多いからである。
そのため、地方出身者は最初から職業選択の幅が狭まってしまう。大学のランキングがどうのこうの、という以前の問題である。特に、国有企業や公務員、銀行員などの場合は、戸籍所在地がどこか、は就職の際に必ずチェックされる。
「蟻族」「反日」とも無関係ではない
数年前に中国で社会問題化し、日本のメディアでも取り上げられた「蟻族」という言葉を覚えている人も多いだろう。
「蟻族」とは、地方の農村戸籍出身者が都市の大学に進学したものの、企業に採用してもらえず、かといって、せっかく無理をして都市の大学に進学させてくれた田舎の親に顔向けもできず、帰省できないまま、都市の狭いアパートで、まるで蟻のように小さくなって暮らす人々のことを指す。日本でも紹介されたが、実は、「蟻族」が生まれた背景にも、この戸籍問題が隠れていた。
このように、中国社会で現れる現象には、必ず背後に日本人には想像もできないような制度が関係している。2012年に発生した大規模な反日デモなども、仕事に恵まれず、日々の暮らしに不満を持つ下層の若者が中心となっていた。日本では「反日だ」と騒がれたが、彼らの不満の矛先が必ずしも日本ではなく、中国社会の制度からくる日常の不満にあるのだ、ということは、中国人ならば誰もが知っていることだ。
そして、戸籍制度によって、進学や就職の門戸が狭められることは、一部の中国人にとって非常に大きなストレスとなっている。生まれ落ちた場所や戸籍で差別されることは理不尽であり、本人には無関係のことだからだ。
以前、東京都内で働くある中国人男性(29歳)に取材したとき、こんな印象的なことを言っていた。
「日本に住んでいれば、戸籍とかいちいち面倒くさいことを考えなくていいから、とても気が楽なんです。中国に住んでいたら、こんなに気楽な生活はとてもじゃないけどできないですよ」(拙著『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』より引用)
彼は北京生まれで、最初から都市戸籍を持っており、北京の大学を卒業したという、中国の中では恵まれた人だ。そんな彼でさえ、日本に住むようになって、中国人の個人の人生に絡む煩わしい戸籍制度や濃すぎる人間関係から解放された、とすっきりした表情で話してくれた。
戸籍は、中国人にとって深刻かつ切実な問題であり続けている。最近も「都市戸籍をもらえるという条件である会社に入社できることになった。でも、給料は2000元(約4万円)だと言われた」という悲惨な例を聞いた。
都市戸籍があれば社会保障を確保できるので、給料よりもそちらの条件を優先せざるをえない、というかわいそうな若者も多い。日本と同じく、若者の貧困も問題となっているが、日本と中国ではその“内実”はまったく異なるのだ。
「努力して勉強すればいい大学に行ける。自分の夢にも近づける」と考え、何事も自己責任という考え方に慣れているのが今の日本人だろう。
戸籍はひとつで、社会保障サービスも基本的にはすべての人に等しく与えられる――。そんな日本人の目に、この中国の現実はどう映るだろうか。
一見すると非常に豊かになり、日本人とさして変わらない生活をしているように見える中国人だが、実はさまざまな“足枷”をはめられて生きている。それがGDP世界第2位の国・中国に暮らす、彼らの現実なのである
すべての中国人の戸籍は、農村戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられている。農村戸籍が約6割、都市戸籍が約4割で、1950年代後半に、都市住民の食糧供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入された。
以来、中国では農村から都市への移動は厳しく制限されていて、日本人のように自分の意思で勝手に引っ越ししたりはできない(ちなみに都市で働く農民工、いわゆる出稼ぎ労働者がいるではないか、と思われるだろうが、彼らは農村戸籍のまま都市で働くので、都市では都市住民と同じ社会保障は受けられない)。
徐さんの戸籍はもともと農村戸籍。徐さんは上海の大学に進学する際、上海の都市戸籍のひとつである団体戸籍に入った。農村から都市の大学に進学する際に一時的に与えられる戸籍だ。
”条件付き”戸籍への不安
在学中は医療や福祉などの社会保障サービスが受けられるので、一見すると都市戸籍保有者と待遇は変わらないのだが、卒業したら、基本的に戸籍は原籍に戻されてしまうという“条件付き”。徐さんの場合、日本留学を経て、上海で就職したので、現在は上海の勤務先団体戸籍というものに所属している。こちらも、仕事の都合上与えられるもので、現在は社会保障などを受けられるものの不安定だ。
スマホを操作する農村出身の女性。学歴が高く努力家なのに、生活は厳しい
都市戸籍はもともと都市に住む限られた人たちのものであり、農村戸籍保有者に比べて、圧倒的に有利な内容になっている。都市戸籍と農村戸籍の違いや差別は、結婚やマンション購入などあらゆるところに存在するが、最もわかりやすい差別は大学入学時の扱いだ。
中国では大都市に戸籍を持つ学生が優遇され、経済水準の低い農村戸籍の学生は不利にな立場に置かれている。これは、各省の大学合格者の割り当て人数が異なっているためだ。北京市出身者と、四川省出身者では、同じ北京大学を希望していても合格ラインは異なる。
つまり、北京大学に入るには、同じ成績でも北京出身者より地方出身者のほうが圧倒的に不利ということだ。
その差はどんどん広がっている。かつては優秀でさえあれば、勉学の成績だけで都市の大学に入学できたが、今では北京大学や復旦大学などの都市の名門大学に農村出身者が入学できる割合は「全体の2割程度しかない」、と言われている。
たまたま農村に生まれた、というだけの理由で、同じ成績でも北京大学に入学するのは都市の人より何倍も努力しなければならない。これは生まれながらにしての差別、といわざるを得ない。日本で「出身県」によって東京大学に入学できる合格点が異なり、しかも引っ越しも自由にできないなど、想像もできないことだろう。
就職も同様だ。やっとのことで都市の大学に進学できた農村出身者は、都市戸籍がある人に比べて、条件は不利だ。企業側が採用の際、最初から「都市戸籍保有者であること」を応募条件として掲げることが多いからである。
そのため、地方出身者は最初から職業選択の幅が狭まってしまう。大学のランキングがどうのこうの、という以前の問題である。特に、国有企業や公務員、銀行員などの場合は、戸籍所在地がどこか、は就職の際に必ずチェックされる。
「蟻族」「反日」とも無関係ではない
数年前に中国で社会問題化し、日本のメディアでも取り上げられた「蟻族」という言葉を覚えている人も多いだろう。
「蟻族」とは、地方の農村戸籍出身者が都市の大学に進学したものの、企業に採用してもらえず、かといって、せっかく無理をして都市の大学に進学させてくれた田舎の親に顔向けもできず、帰省できないまま、都市の狭いアパートで、まるで蟻のように小さくなって暮らす人々のことを指す。日本でも紹介されたが、実は、「蟻族」が生まれた背景にも、この戸籍問題が隠れていた。
このように、中国社会で現れる現象には、必ず背後に日本人には想像もできないような制度が関係している。2012年に発生した大規模な反日デモなども、仕事に恵まれず、日々の暮らしに不満を持つ下層の若者が中心となっていた。日本では「反日だ」と騒がれたが、彼らの不満の矛先が必ずしも日本ではなく、中国社会の制度からくる日常の不満にあるのだ、ということは、中国人ならば誰もが知っていることだ。
そして、戸籍制度によって、進学や就職の門戸が狭められることは、一部の中国人にとって非常に大きなストレスとなっている。生まれ落ちた場所や戸籍で差別されることは理不尽であり、本人には無関係のことだからだ。
以前、東京都内で働くある中国人男性(29歳)に取材したとき、こんな印象的なことを言っていた。
「日本に住んでいれば、戸籍とかいちいち面倒くさいことを考えなくていいから、とても気が楽なんです。中国に住んでいたら、こんなに気楽な生活はとてもじゃないけどできないですよ」(拙著『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』より引用)
彼は北京生まれで、最初から都市戸籍を持っており、北京の大学を卒業したという、中国の中では恵まれた人だ。そんな彼でさえ、日本に住むようになって、中国人の個人の人生に絡む煩わしい戸籍制度や濃すぎる人間関係から解放された、とすっきりした表情で話してくれた。
戸籍は、中国人にとって深刻かつ切実な問題であり続けている。最近も「都市戸籍をもらえるという条件である会社に入社できることになった。でも、給料は2000元(約4万円)だと言われた」という悲惨な例を聞いた。
都市戸籍があれば社会保障を確保できるので、給料よりもそちらの条件を優先せざるをえない、というかわいそうな若者も多い。日本と同じく、若者の貧困も問題となっているが、日本と中国ではその“内実”はまったく異なるのだ。
「努力して勉強すればいい大学に行ける。自分の夢にも近づける」と考え、何事も自己責任という考え方に慣れているのが今の日本人だろう。
戸籍はひとつで、社会保障サービスも基本的にはすべての人に等しく与えられる――。そんな日本人の目に、この中国の現実はどう映るだろうか。
一見すると非常に豊かになり、日本人とさして変わらない生活をしているように見える中国人だが、実はさまざまな“足枷”をはめられて生きている。それがGDP世界第2位の国・中国に暮らす、彼らの現実なのである