前日の続きです。
第二章 暁斎とコンドルの交流
暁斎50歳の時、29歳のコンドルが入門してきます。
きっかけは、明治14年博覧会で最高賞を取った絵を見たことです。
「枯木寒 鴉 図」
『枯れ枝に鴉のとまりけり、秋の暮れ』 という芭蕉の句の世界を描いた作品です。
師弟関係となった暁斎とコンドルの交流は、暁斎の絵日記にも記されています。
週1回人力車でコンドルの家に出稽古に行きます。
食事も一緒に行います。
コンドルは正座が苦手なため、腹這いで絵を学びます。
描き上がった絵を見る暁斎
コンドルが暁斎から受けた指導は、師の絵の観察、師の説明を聞くこと、細部の仕事で師の助手をつとめることがほとんであったと。
コンドル作「百舌図」
暁英という名前ですが、イギリスの暁斎という意味だそうです。
暁斎とコンドルは何度も写生旅行にでかけました。
日光に行くため、上野駅に集合した暁斎とコンドル
「日光地取絵巻」
コンドル作「暁斎先生、日光にて」
第三章 暁斎 驚異の筆づかい
コンドルは暁斎から学んだ技法を丹念に記録しています。
スサノオミコトの九頭竜退治
「鯉魚遊泳図」
第四章 暁斎色彩のマジック
「大和美人図屏風」暁斎の代表作の一つ
暁斎とコンドルの師弟関係は、暁斎の死で終わりましたが、暁斎は息を引き取るときコンドルの手を握って息を引き取ったとされています。
いかがでしたでしょうか。
暁斎58歳、絵師として円熟期に亡くなりましたが、もう少し長生きしてその後の絵も見たかったという思いです。
放送で紹介された以外の作品を紹介しておきます。
「北海道人樹下午睡図」1886
「花鳥図」1881
「幽霊図」1883
「釈迦如来図」1876