セツブンソウの開花進む 2019-02-07 16:39:38 | 2019 花 節分が過ぎて、セツブンソウの開花が進みました。 セツブンソウという名前も節分の頃に花をつけることに由来します。 本州の関東地方以西に分布し、高さ10センチほどの小さな花で、枯れ葉の間から茎が伸び花をつけます。 キンポウゲ科の多年草で、京都府の絶滅危惧種に指定されています。 小さな花で見過ごしてしまいそうになります。
石見神楽 鈴神楽、塵輪、道反し、大蛇(オロチ) 2019-02-07 05:37:25 | 定年後生活 三日松尾大社の節分祭で行われた、石見神楽の奉納です。 10時囃子のリズムと共に演舞の開始です。 演目の最初は「鈴神楽(すずかぐら)」 奉納神楽の一番最初に舞う舞で、鈴の音で清めているそうです。 一人で手に鈴と扇を持って舞います。 第二演目は「塵輪(じんりん)」 八調子では神2人鬼2人が対決する鬼舞の代表的な神楽です。 第十四代帝・帯中津日子の天皇が塵輪という、身に翼があり、黒雲に乗って飛びまわり人々を害する悪鬼がいると聞き、天の鹿児弓、天の羽々矢を持って高麻呂を従え討伐に向かい、激戦の末に退治します。 第三演目は「道反し」 鬼反(きがえ)しとも言います。 常陸の国、鹿島神宮(茨城県鹿島町)の祭神である武甕槌(たけみかづち)の命が世界各地を荒し廻った大悪鬼を退治する神楽です。 神と鬼が立ち会いとなるが、鬼は破れて降参するが許されるという話です。 鬼を殺さずに道の途中から反すので道反しというそうです。 「大蛇(おろち)」有名な八岐大蛇の神話からの神楽です。 大蛇は石見神楽の代名詞とも言うべき神楽でそのスケールの大きさは他の神楽の比ではないと言われています。 ちょうちん蛇胴の考案により、石見神楽に一大改革を起こしました。 大蛇の舞手は身体を胴の中に隠し身体を見せずに舞わなければならないそうです。 悪業のため高天原を追われた須佐之男命が出雲の国・斐川にさしかかると、老夫婦が嘆き悲しんでいた。 訳を尋ねると、夫婦には八人の娘がいたが、大蛇が毎年あらわれて、七年に七人の娘をとられ、最後の一人も取られる運命にあるという。 命は大蛇退治を約束し、毒酒を作らせ、これを大蛇が飲んで酔った所を退治した。 この時大蛇の尾から出た剣は、天の村雲の剣(のちの草薙の剣)として天照皇大神に献上され、三種の神器の一つとして熱田神宮に祀られている。須佐之男命は助けた娘、奇稲田姫と結婚した。 日本書紀=巻一第七話 八岐大蛇(要約) 高天原を追放された素戔鳴尊〔須佐之男命〕は、出雲の国の簸の川の辺に来た。その時、川のそばですすり泣く声が聞こえるので声のする方に行ってみると翁と媼が真ん中に一人の少女を抱いて泣いていた。「お前達、何をそんなに悲しんでいるのだ?」と素戔鳴尊が問うと、翁は 「私はこの地に住む脚摩乳という者です。これは、妻の手摩乳、そしてこの童女は、私どもの娘で奇稲田姫といいます、私たち夫婦には八人の娘がいましたが毎年、八岐大蛇という怪物がやってきて娘達を次々に呑んでしまいました。今年もその八岐大蛇がやってくる頃になりました。私達にはどうしようもありません。それで悲しんでいるのです。」と翁と媼は答えた。哀れに思った素戔鳴尊は、二人に「私が八岐大蛇を退治してやろう。ただし条件がある、その娘を私の嫁に呉れんか。」と言った。 翁は「八岐大蛇を退治して下さるなら、よろこんで奇稲田姫をさしあげます。」というと、素戔鳴尊は続けて言った。「では、強い酒を用意してくれ。」素戔鳴尊は棚を八面に区切り、それぞれに翁達に用意させた酒の入った樽を置いて大蛇を待った。奇稲田姫は見つからないように爪櫛に変えて自らの髪に挿した。 しばらく待っていると、八岐大蛇が現れた。頭と尾が八つあって、眼は酸漿の様に真っ赤にで、背中には松や柏が生えていて、八つの山八つの谷に広がっていた。八岐大蛇は、酒を見つけると八つの樽にそれぞれの頭を入れて飲んだ。大蛇は酒を飲みほすと酔って眠ってしまった。この時を待っていた素戔鳴尊は、腰に下げていた十握の剣で八岐大蛇を切り刻んだ。その際、尾を斬るときに剣の先が少し欠けた。そこでその尾を割いてみると、中から一つの剣が出て来た。これが天の村雲の剣、後に草薙の剣といわれる物である。 素戔鳴尊は「なんとすばらしい剣だ。これは私のような者が持つ物ではない。」と、その剣を、天つ神に献上した。 その後、素戔鳴尊は奇稲田姫と結婚するのに良い土地をさがして、出雲の須賀に来たときに言った。「この土地はなんとすばらしい地だ。私の心がこんなに清々しい」と、この地で結婚することに決め、そこに宮を建て、素戔鳴尊と奇稲田姫は夫婦の交わりをした。身籠もった奇稲田姫は大己貴神〔大国主〕を産んだ。