京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

ぶらり相国寺 紅梅と白梅

2019-02-22 17:39:40 | 京都めぐり


18日の午後、寺町通りを散策したあと、相国寺に寄りぶらぶら境内を散策しました。
たしか梅があったはずです。


相国寺





法堂





庫裏










承天閣美術館





紅梅









浴室





塔頭慈照院で冬の特別公開が行われています。










法堂





白梅






















椿も咲いていました。






八幡宮





これで帰宅です。


寺町通り散策 十念寺、西園寺、天寧寺、上善寺、閑臥庵、御陵神社

2019-02-22 05:36:02 | 京都の町 町屋・建造物


寺町通りは南北の通りの一つで、豊臣秀吉による京都改造で、通りの東側に寺院が集められたことからこの名前になっています。
寺を集めた目的は、税の徴収の効率化と京都の防衛であったと言われ、東の御土居に沿うように寺を配置してあります。
現在は京都の都市化のなかで大きく様子が変わりましたが、それでも圧倒的に寺の多い通りです。

特に今出川通りから鞍馬口通りの約1kmは、往事が忍ばれる景観が残っています。
本満寺(+塔頭4院)、佛陀寺、十念寺、阿弥陀寺、光明寺、大歓喜寺、西園寺、天寧寺、上善寺が並んでいます。
私は毎年春に本満寺のしだれ桜、阿弥陀寺の桃桜を花見に出かけています。
先日18日、寺町通りの寺院を散策しました。


十念寺(西山浄土宗)

室町幕府第6代将軍足利義教が1431年(永享3年)、後亀山天皇(第99代天皇)の皇子・真阿の為に誓願寺境内に住房として創建した宝樹院に始まり、豊臣秀吉によってこの地に移されています。





狛札










本堂
従来の仏教寺院本堂とは思えない鉄筋コンクリートの近代建築です。
屋根には鳳凰がのせられてあります。
1993年建築家でもある大阪一心寺の高口恭行の設計によるものです。






庫裏






西園寺

1224年(元仁元年)西園寺公経が北山の山荘(現在の鹿苑寺の辺り)に創建したことに始まります。
公家である西園寺家は公経が鎌倉幕府と関係があったことから鎌倉時代には隆盛したが、鎌倉幕府が滅亡するに及び衰退。
室町時代に入ると3代将軍足利義満がこの地に北山第(現在の鹿苑寺)の造営に伴い、1352年(文和元年)室町に移った。
初めは真言宗の寺院であったが、その後浄土宗に改められ、1554年(天文23年)現在の寺地に移された。(wikipedia)





狛札











天寧寺(曹洞宗)

比叡山の眺望を一幅の絵のように見せる山門「額縁門」と、江戸時代の茶人金森宗和の墓があることで有名です。





額縁門





狛札





















観音堂





社務所





本堂表門










椿










上善寺(浄土宗)

京都六地蔵巡りの地蔵「鞍馬口地蔵」がある寺として有名で、毎年8月の22・23日の両日には多くの参拝者で賑います。
本尊として阿弥陀仏坐像が祀られているが、この阿弥陀仏坐像は、行基作と伝えられています。





狛札















閑臥庵

寺町鞍馬口通りを西に行ったところにあります。

梶井常修院の宮の院邸であった地に、後水尾法皇が王城鎮護の為に鎮宅霊符神を勧請、黄檗宗の禅寺として開山したのが1671年。鎮宅霊符には安倍晴明との由縁も伝えられています。宮中と禅と陰陽道といった、まさに京都の思惟なる場所、それが「閑臥庵」です。

中国風の様式が特徴です。





















散策の最後は御霊前烏丸東入るにある、上御霊神社です。

上御霊神社は相国寺の北にあり、怨霊を鎮めるために桓武天皇の勅願により造られた平安時代の御霊社の一つです。
上御霊神社は、下御霊神社に対する呼び名で正式名称は「御霊神社」です。
応仁の乱発祥の地として、門の外に石碑が建っています。
訪れ18日は囀(さえず)市が開かれていました