秋も深まり、住宅地に馴染みの小鳥達が目立つようになった。鳴声を耳にして声の主を確かめると、それは夏の間姿を隠していたメジロやモズ、シジュウカラで、もっと寒くなれば、ハクセキレイやジョウビタキも加わる。
川に沿う散歩道を歩いていて、カワウが2羽とコサギが5羽、川中で戯れるように群れているのを見た。どちらも動きが若々しい。ウは潜水して縦横に泳ぎまわり、時々顔を水面に出す。サギはその鵜の泳ぎゆく先々へ舞い降りる。これを繰り返しながら、少しずつ川下へ移動して行く。
鳥の嘴にときどき銀鱗が躍るのが見えたから、採餌をしながらの行動だったのだろう。ウに追われ浅瀬へ逃れる小魚をコサギが待ち受けて捕食し、コサギは逆に浅瀬から深みへ魚を追いたててウの捕食を援ける。巧まずして、互いの連繋が効率的な狩りになっていたのかもしれない。
ウとサギの群れが消えたあたりまで下ると、1羽のアオサギが粛然と川中に立っていた。この鳥の飄々とした姿には雅味が感じられる。
少し離れた岸辺にはカルガモ数羽の中に1羽のオオバンが入った一団が餌を漁っていた。この川で最も多く見かける水鳥はカルガモ、次に多いのがオオバン、近年はオオバンの繁殖が著しいように見える。この2種は、仲良く一緒に居ることが多い。
観察を続けながら河口の公園に着いた。
亀が多い池の木柵に望遠カメラをセットしてカモフラージュの迷彩ネットをかけ、身を潜め待機している人がいた。何を狙っているのか訊ねたら、身体の向きを変え、声を殺して「カワセミ」と答えた。「冬になると、沢山の人が観に来る」と付け加えた。
カワセミが美しい金属光沢の羽毛を煌かせて水中に飛び込む瞬間は、ハイスピードカメラや高速シャッターカメラの独擅場であって、マニアックな世界。池の中心に張り出した観察用ステージでも、もうひとりが望遠カメラを設置してチャンスを待っていた。
生き物の生態写真を撮るには、気を抜かずひたすら待ち続ける集中力と忍耐力が必要だ。対象に熱中していることが、それらの力の源となる。
何事によらず熱中できるものがあって、それに専念している当人というものは、そのとき幸福に違いない。「幸福はつねに外に現れる」と言ったのは三木清だが、人が物事に熱中している姿というものは、見る者に安心と親近感を与える。彼の熱中するものが同好のものでなくても、同類としての共感を呼び起こされるからだろう。
本物の幸福は伝染し易い。
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