私たちの国は、国土の4分の3が山地の山国である。というより、海から迫り上がった島々。島国と呼ぶのが適切だ。私たちは山岳民族でなく、フィリピンやインドネシアと同じ、島嶼民族であることを改めて自覚しておきたい。私たちの先祖は、海から川を遡って内陸に分け入った。そこからは、山道が縦横に巡らされていった。大昔から人が繰り返し歩けば、道は自ずとできるのだから、山道は島内至るところに通じている。人煙のあるとこ . . . 本文を読む
今日か明日かと待ち侘びていたスミレの花が、ようやく咲いた。道端で寒ささにめげず健気に咲くこの花を、今年初めて鉢で咲かせてみようと試みた。そのいくつかの株の中の魁。ポピュラーであっても、人の眼を惹かずには措かない春の花スミレ。花の咲き方こそ違え、秋のノギクに対置すべき野草かと思う。種類が多く、同定が難しいことも共通する。 . . . 本文を読む
今日では、銅壺(どうこ)と言っても、現物を見たことも触ったこともない人の方が圧倒的に多数だろう。それを使ったことのある人はもっと少ないに違いない。現物は、骨董屋さんでしか見られない。湯沸かしに電気とガスが使われる時代、銅壺は既に利用価値と存在価値を失って久しく、製造されてもいない。この名を知る人は少なくなっていることと思う。現物の画像を呈示できなくて申し訳ないが、銅壺とは、炭火の火鉢の灰の中に据え . . . 本文を読む
発想は思考の原点である。水の流れで言えば泉に該るものかと思う。私たちの頭の中では、日夜発想が湧き出ている。全て人夫々の発想は思考の流れとなって下り、思想という池や沼を形成している。発想が湧かなくては、人間何ひとつオリジナルなもの、その人ならではのものを生み出せない。思考して、思念を積み上げ思想を構築するには、絶えざる発想の湧出が必要である。この発想こそが、人の生命の核心そのものであることに遅れば . . . 本文を読む
私は60年近く前の20代の頃、病気で市内の病院に入院していたことがある。入院中のある日の深夜、救急の患者が搬送されて来たらしく、慌ただしい足音がして、看護師や医師が私の居た病室に出入りした。患者は私の隣のベッドに寝かされ、点滴や酸素吸入が施されている様子だった。翌朝、目醒めて隣を見ると、80歳ぐらいの老人が、酸素マスクをつけ横たわっていた。高熱を発しているらしい。その老患者は、ひとり暮らしで、風邪 . . . 本文を読む