年齢のせいか、半生を振り返ることが多い。
中学2年の時に、初恋らしきものを経験した。一方的で先方の気持ちを確かめた訳でもなく、恋の範疇には入らないような仄かな感情だが、初恋らしきものという外はない。
ただ普通でないことに、ほとんど同時にふたりの女性に似たような感情を抱いた。決して軽佻浮薄な気持からではなく、それぞれの女性と接する生活空間が異なっていて、そのどちらの生活空間も自分にと . . . 本文を読む
この時季の自然の移ろいは足が早い。
坂道のスイカヅラの花がめっきり減って、代わりにテイカカズラの花が目立つようになった。
リス坂にヤマザクラの巨木があることをこれまで気づかなかった。あまりに木が高すぎて、幹の脇を往来しながら花が目にはいらなかったのかもしれない。
中学校の傍に下る坂を降り、民家の庭のホタルブクロを観賞しながら川に出て橋を渡る。
淵では、小ガモが二羽、追い . . . 本文を読む
「若気の至り」という言葉は、若い時の破廉恥な振る舞いに対する免罪符のように使われる。懐旧の思いを籠めて「若い時ゃ莫迦ぁやったもんだ!」と老人がよく口にする。今は違うという主張が、言外に表れている。時効となった放埓を、ちょっぴり誇る気分がある。
「そんなこたぁない!」今でも相変わらず莫迦をやっているのだ。自分を客観視できていないのと、年の功と社会的地位が、批判の防波堤になっているだけのことだ。人の . . . 本文を読む
今頃の季節は野鳥の行動が活発で、住宅地であっても外にはいろいろな鳥の鳴き声が満ちている。それをウチの中から聴くのも嬉しい。 空が白む頃、目覚めてまだぼんやりしている時に、キジバト(ヤマバト)の遠い鳴き音を聴くのはとても心地が好いものがある。
ベッドの中はほどよく温かく、外周りで鳴くスズメの声もしじゅう聞こえている。その声が何かで途絶えた僅かの合間を縫って、キジバトの声が . . . 本文を読む
毎年ハイキングに好適な今頃になると、川の土堤や草原などで、一面に広がるチガヤの白い穂が風に波打っている光景を目にする。古く万葉の時代には「チ」と呼ばれていたらしい。この穂をツバナと呼ぶ。
イネ科チガヤ属の国内ただ一種の植物で、日当たりの良い場所に好んで生えるから、農村地帯の草刈りを頻繁にしている一帯に広く群生する。川の堤も常に刈り込まれているので群生地になる。 同じ . . . 本文を読む