選挙日の翌日、秋のバラの花の香りを慥かめたくて、フラワーパークのバラ園に行った。生憎明け方まで降雨があり、花弁に雨水が溜まっていて香りを楽しむことはできなかった。帰りに鉢植えの花でも買おうかと売り場に立ち寄ったら、室外のフジバカマの鉢棚に、アサギマダラが1頭、吸蜜に来ていた。バラの香りを補って余りある、今年初めて見たアサギマダラに癒され、帰途についた。 . . . 本文を読む
私がこの齢になるまでの長い間、互いに心が通じ合ったと確信できた人々とのことを想起する時、その人たちの全てから、心意気というものを感じていたように思う。交誼を結ぶ期間の長短は関係ない。どんなに長くても、心意気の介在しない関係は、泡沫のようなものである。徒に長い交際期間があっても、心意気の缺けている人物とは、誼が深まらなかった。肝胆相照らす関係には、心意気という割符が必要不可欠であると思う。心意気とい . . . 本文を読む
今回の衆議院選挙は、私たち選挙民にとっては、旧来の選挙における陋習を脱する画期的かつ有意義な選挙だったと思う。それと同時に、メディアの選挙報道の無用性と選挙をエンターテイメントと同列に扱う軽薄性を浮き彫りにした。国政選挙というものは、私たち庶民に、社会のゆがみやひずみを浮き彫りにしてくれる貴重な機会である。観察の機会を提供してくれる貴重なイべントである。候補者というものは、得票のために選挙活動の過 . . . 本文を読む
衆議院解散総選挙も終盤に入った。各党選対本部は当落予想に一喜一憂、テコ入れに応援を奔らせる。候補者は最後の頑張りに、全力を投入している。候補者の政見を聴いていると、段々、それぞれの候補者の置かれた立ち場と切迫度が伝わってくる。この騒ぎも、27日で終わる。与党の当選回数がそこそこの議員は、当選したら公約などそっちのけ、新内閣での閣僚や党の役職しか、眼中に入らなくなるだろう。前ブログで書いたが、老生は . . . 本文を読む
民主主義というものは、登山に喩えるなら、削ぎ立った狭い尾根の一本道を行くようなものではなく、両側の谷が視野に入らないほどの広尾根を歩くようなもののように思える。ガスっていれば、中央部を歩いているのか、滑落の危険のある両側の谷に臨む縁(へり)を歩いているのか、判然としない広い尾根・・・山歩きをする人なら先刻ご承知だろうが、最も道迷いし易いのは、このような広尾根である。常に尾根の中心を歩めるなら安全だ . . . 本文を読む