織田信長は、その人生の絶頂の時に、最も信頼していた重臣、明智光秀に討たれた。
四囲の強敵の同盟に怯むことなく各個制圧し、天下を統一したかに見えた戦国の覇者信長も、人の子だったということだろう。
信長親子を討った光秀は、恃みとする盟友で娘の舅の細川藤孝(幽斎)に合力を拒絶された上、筒井順慶の裏切りに遭い、山﨑での羽柴秀吉との決戦に敗れた。敗走中に落武者狩りの土民の手にかかり討取られた。細川藤孝の支援拒絶は、予想外だったろう。
人から生まれた人の子は、必ず誰かを信頼せずには生きられない。また人は、愛する者が多ければ多いほど、愛する者の安泰のために人を恃むようになる。
恃みとする気持ちが相手に弱みを伝えることになり、自ら相手の謀叛や離反を招き寄せてしまう。
史実を閲すると、英雄も権力者も、敵より味方、すなわち身内または腹心や股肱、譜代の臣など、信頼している者の裏切りによって命を落とす例が多い。信頼が警戒心を弛緩させるのだろう。
権力の頂点に在る者にとっての最も危険な人物とは、最も信頼するに値する人物ということになる。
豊臣秀吉は、幼少の時から庇護者の極めて少ない環境で成長し、人を恃むことと無縁だった。だが、人を篤く信頼する風に見せる演技が、同僚の武将の誰よりも巧く、人誑(人たらし)しと陰口されるほどに、人心を収攬にする能力に長けていた。その能力は、敵の武将を調略する局面で、遺憾なく発揮された。
秀吉は、人間というものを誰よりも知り抜いていたということだろう。人間理解の天才だったと言える。
ただし、秀頼という最愛の存在を得てからは、老いの衰弱も加わり、人を恃みとするように変質した。
今太閤と呼ばれた田中角栄は、ロッキード事件の後、腹心の竹下登の裏切りに遭った。権力の頂点を極めようと、官僚を意のままに使おうと、所詮は人の子、誰かを信じ頼らないではいられなかった。
世の中人を恃まない者が最も強い。頼る気持ちは人の子故、従って誰もが弱点無しには生きられない。
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