日本語には女性の魅力を表現する多様な言葉が用意されていて、選択に迷うほどである。それだけ男性の側から見た女性の魅力には、様々な態様があるということだろう。
大きく分けて女性美には、麗・艶ふたつの形容がある。
【麗】綺麗・美麗・豊麗・婉麗・・・
【艶】清艶・優艶・妖艶・濃艶・嬌艶・凄艶・・・
麗にも艶にも、実に多様な形容語が付く。
これらの言葉は中国に古くからあった言葉なのか、明治漢語の部類に属す造語なのかはわからないが、なんとなく日本で造った言葉のような感じがする。
もしそうだとすると、日本人は女性の美しさを【麗】(きれいさ)と【艶】(なまめかしさ)の両面で把握して来たということで、微に入り細を穿ち、極めて繊細な美意識をもっていたということになる。
麗は容姿の魅力の謂、艶は性的な魅力の謂の言葉かと思う。
思いつきで列挙してみても、艶の方が熟語数で上回るのは、それだけ日本人が艶にこだわりや関心が強かった証拠であろう。男性にしか理解不能な魅力である。
遺伝的に性ホルモンが不足気味で、ホモサピエンスとしての性徴がコーカソイドやネグロイドより未完成と推察される我々モンゴロイドでは、艶の魅力豊かな婦人は、麗の魅力に勝る婦人よりも絶対数に於いて少数であるように思う。グラマーの魅力がもてはやされるのは、戦後になってからことだった。それが彼女たちに稀少性のアドバンテージを与え、密かに男性の関心を惹きつけて来たと思われる。
それに較べ性ホルモンが充実していると聞き及ぶコーカソイド・ネグロイドは、男女共に性徴の完成度が高く、性的魅力が普遍に具わっているように思う。したがってヨーロッパ・中近東・アフリカの美女は艶・麗兼備が普通で偏りがなく、現地の男性たちは、日本人のように麗と艶とを分別する意識が無いか薄いのではないかと思うのだが・・・
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