野坂昭如の原作のエンディングは二種類ある。
- (朝日新聞【1941年2月23日】)
『帝国陸海軍ハ今8日未明西太平洋二オイテ米英軍ト戦闘二入レリ』
【野坂は戦中から戦後にかけて2人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、血の繋がりはない)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら荼毘に付したことがあるのも事実である。しかし西宮の親戚の家に滞在していた当時の野坂は、その家の2歳年上の美しい娘(三女・京子)に夢中であり、幼い妹・恵子(物語とは異なりまだ1歳6カ月で、8月22日に疎開先の福井県で亡くなった)のことなどあまり気にかけることなく、中学生らしい淡い初恋に心をときめかせていたという。食糧事情は悪かったものの、小説のようなひどい扱いは実際には受けておらず、家を出て防空壕で生活したという事実はない。
野坂は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には、兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒を見なくてはならなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたことを認めており、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあったという。西宮から福井に移り、さらに食糧事情が厳しくなってからはろくに食べ物も与えず、その結果として、やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく餓死している。こうした事情から、かつては自分もそうであった妹思いのよき兄を主人公に設定し、平和だった時代の上の妹との思い出を交えながら、下の妹・恵子へのせめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めて、野坂は『火垂るの墓』を書いた。】
一年四ヶ月の妹の、母となり父のかわりつとめることは、ぼくにはできず、それはたしかに、蚊帳の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、汗疹と、虱で妹の肌はまだらに色どられ、海で水浴させたこともある。(中略)ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。— 野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」
始めに断っておくが、あくまでも宮崎氏が政治的主張をしなければ、という注釈を付けての話である。
宮崎氏が作画と演出、体育氏が歌と演者、演出という意味では遥かに宮崎氏を凌駕しているとも言える。
収益という下世話な話も置いておくが、両者は何がウケるのかに対して非常にたけており、視聴する側の需要に対して絶妙なタイミングで供給しているとも言える。
つまり椀子そばの給仕にも似た供給過剰にあわせて客が操られついつい食べ過ぎてしまうが、お椀を伏せることで食べ終わる客とそれを阻止する様に素早く蕎麦を投げ込む攻防で成立する世界である。
これを可能にするには見る者の気持ちや視点になり何を望んでいるか、何が観たいのかを承知していないと話にならない。ただ自分がやりたい事だけを最高の技術で作っているだけでは駄目なのだ。
純真無垢な子供の視点、多少の差別や偏見も合わせ持つ自由な子供の目線を持った者が天才になり得る素質だろう。
宮崎氏は引退しており、安易に比較することは出来ないが、そう言う意味では政治的な事を語らない体育氏の方が前途洋々だろう。
全然違う、比べるな、とお叱りの声が宮崎ファンから届きそうだが、体育氏を持ち上げすぎたとも自省している。
宮崎《駿 》談---------------------------------
「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記をもとにして、零戦の物語を作ろうとしているんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それには僕は頭にきてたんです。子どものころからずーっと!」
「相変わらずバカがいっぱい出てきて、零戦がどうのこうのって幻影を撒き散らしたりね。戦艦大和もそうです。負けた戦争なのに」
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1位千と千尋の神隠し
18位風立ちぬ
45位永遠のゼロ
日本国内興行収益ランキングだけを見ても《ジブリ》映画の人気は不動のもので、その《所得》も莫大なものになるだろう。
そんな宮崎駿氏が同時期に重なった"永遠のゼロ"
と百田尚樹氏に対しての酷評だ。
百田尚樹氏ツイート---------------------------
「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う。文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからはパクリと言われ、右翼からは軍の上層部批判を怒られ、左翼からは戦争賛美と非難され、宮崎駿監督からは捏造となじられ、自虐思想の人たちからは、作者がネトウヨ認定される。まさに全方向から集中砲火」
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『嘘八百を書いた架空戦記をもとにして』
『宮崎駿監督からは捏造となじられ』
ここまで大差をつけて勝っておきながら何故宮崎駿監督は永遠のゼロを批判するのか。戦争に対する意識の世代間格差を象徴しているようにも感じる。
恐らく宮崎氏は永遠のゼロを見てもいないのだろう。
私は両作品はどちらもラブロマンスであり、反戦映画だと思う。
架空戦記をもとにしてと批判しているが宮崎氏も
堀越二郎氏が恋愛していたように堀辰雄氏の「風立ちぬ」を丸パクリでオマージュとしている。
零戦の製作者堀越二郎氏はお見合結婚である。
つまり、戦争と不幸を重ね美しい部分を投影して不幸から立ち直り逞しく生きて行くというメッセージを全面に押し出した感動の押し売りにしか見えない。
かたや永遠のゼロは死んでも想いが伝わるという単純でフィクションであるが、その想いに嘘は無いとの細かな脚色の必要のない日本人の連綿とした連続性を感じる作品である。
戦争を暗く描くか、暗く描かないかの違いはあるがどちらも反戦映画であり、戦争を賛美などしていない。
9条を賛美し、戦争をあまりに暗く、悲惨に描く反戦映画の時代は「過ぎさりぬ」だ。
百田氏の蛙の楽園の売れ方を見れば世代交代を痛感し、「海賊と呼ばれた男」の映画が封切りを迎えた。
どちらも作品として貶すつもりはないが、宮崎氏のイデオロギー丸出しの活動と性格には「人気たちぬ」と言ったところだろう。