生田神社は
"縁結び" "恋愛成就" "安産" "健康長寿"
にご利益があるとされている。
コレ時点で可愛くお茶目な印象を受け11万票の過半数以上が若い女性であり、その人気が伺える。
ポストの「人事を尽くして天命を待つ」、「これまでの感謝を」からも伺えるように決して当選祈願をしないところも参拝の意味を理解されているクレバーさもその人気の要素であろう。
それにもまして若い世代のメディアリテラシーとネット活用の力も無視はできない。
生田神社の成り立ちは神功皇后元年(201年)に三韓征伐を終わらせて帰還するなか、船が現在の神戸港で進まなくなったために神占を行った。すると、稚日女尊が現れて「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭芽(うながみのいさち)に命じて生田の地に祭らしめ(私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)」との神託があった。そこで皇后は海上五十狭茅を神主として、現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に稚日女尊を祀らせた。これが当社の始まりであるという。
日本書紀にその成り立ちが書かれていることからもその歴史の厚みに圧倒されるが、神戸に出来たのではなく、生田神社があるから神戸と名付けられたのだ。
朝廷を守る家カンベ→コンベ→コウベである。
したがって県知事選の参拝で勝利の女神(神功皇后)が微笑んだことも納得である。