天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ナベツネの靖国論  98で逝く

2024-12-19 10:02:00 | 靖国


ウィキペディアより

『渡邊は、内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対している事で知られ、

「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。すべての日本人はいずれも戦犯がどのような戦争の罪を犯したのかを知るべきである。」

「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。…もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力で、それを倒す」

と述べ、靖国神社の代わりに無宗教の国立戦没者追悼施設を建設すべきと主張している(後述)。また

「内務班で受けた暴力をいまでも許せない、だから首相の靖国参拝には反対だ」

と本音を語っている。ただし極東国際軍事裁判の判決が絶対的正義でないと述べている。

2001年から2006年に靖国神社を参拝した当時の首相・小泉純一郎を「愚かな総理大臣」と辛辣に批判しており、小泉が自身の靖国参拝は「心」の問題だと語っていた事に対しては、日本遺族会が選挙における票田になっていることを挙げた上で、小泉が自由民主党総裁選挙の際、遺族会に向けて、自身が首相に就任すれば靖国神社を参拝することを約束していたとして、

「私はそれは偽善的であり、彼は心から参拝に行きたいと思っているのではなく、そういうパフォーマンスで、戦犯の遺族から得票を増やすためであったと思っている。」

と主張している。2006年、ニューヨークタイムズのインタビューに渡邊は

「(小泉純一郎は)歴史も哲学も知らず、勉強もせず教養も全くない」

という表現まで動員した。渡邊は

「小泉首相が『靖国参拝のどこが誤っているのか』『靖国を批判する国は韓国、中国しかない』と愚かな発言をするのは無知から始まったこと」

とも述べた。

旧日本軍の戦争行為に対する見方も厳しい。ミッドウェイ海戦とガダルカナル島の戦いでの大敗以来、大日本帝国陸軍・海軍から再び上申された神風特別攻撃隊に対しては

「今でも許せない軍の非人間的作戦」、

アッツ島の戦いで大本営が前線にいる兵士に全員自決せよとの命令を出した玉砕に対しては

「前線の将兵に対する鬼畜の行為」

と怒りを露わにし、石原慎太郎同様に戦陣訓を作成したとされる当時の陸軍大臣の東條英機を批判している。

渡邊曰く

「焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無い」「加害者と被害者を同じ場所に祀って、同様に追悼、顕彰することは不条理ではないか」。

靖国神社の遊就館に対しては、真珠湾攻撃などの日本が勝利を勝ち取った写真が展示されているため、

「非常に有害な場所であり、あれは閉鎖しなければならない。」

と閉鎖する事を主張している。また、自民党幹事長だった加藤紘一が遊就館を参観した後、遊就館はまことに行き過ぎだと語ったとも述べている。

2005年、読売新聞社は渡邊の主導のもとで、日本の戦争責任を反省するための「戦争責任検証委員会」を創設し、『戦争責任を検証する』という本にまとめた。日本語版と英語版のほか、2007年には中国語版も新華出版社から出版・発行された。

渡邊は中国語版の序文にて、「本書を出版した動機は、日本のこの戦争に対する非人道性及び責任の所在を研究して明白にし、日本人自身の良心に照らして、正確な歴史認識を得てはじめて、被害国と率直かつ友好的な対話が可能になる、との信念からにほかならない」と記している。また朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記にも「読んでほしい」と述べている。

社会民主党は2006年9月7日午後、東京都内で「千鳥ケ淵戦没者墓苑・平和祈念施設提言委員会」を開き、渡邊と意見交換し、渡邊は「世界各国に無名戦士の墓があり、国賓が来た時に訪問する国も多い。日本でこれに該当するのは千鳥ケ淵墓苑だ」と主張し、同墓苑に隣接する公務員宿舎などを廃止して墓苑を拡充、無宗教の追悼施設にする事を提案した。党首(当時)の福島瑞穂は「社民党の考え方と共通点が大変多く、とても参考になった」と応じた。

尊敬している中国人政治家は鄧小平と述べ、渡邊が鄧小平に日本の対中侵略戦争の責任問題についてどう見ているのかと尋ねたところ、鄧小平は侵略戦争を起こしたのは大日本帝国政府と軍隊の中のひと握りのものであり、広範な日本国民に罪はないと言明し、渡邊はこの言葉を聞いた後「親中派」となったと言う。ただし、2005年の中国における反日活動では「中国の反日暴動は、中国政府の統治能力と国民の文明開化度が日本より半世紀遅れていることを示すもので、いたずらに興奮するのは無益だが、あの暴挙については、日本国政府は厳しく抗議して、損害賠償を求め、国の威信を保たねばならない。」と中国側を批判していた。

2013年末に、内閣総理大臣の安倍晋三が靖国神社を参拝した事に対して、幹部たちとの会合で、「あれにはオレも失望した」と漏らしている。2007年には「安倍さんとは歴史観が違うんだ。僕は少年時代から反戦でね。A級戦犯が合祀されている靖国には参拝しない。彼は戦争を知らないから、仕方ないけどね」と述べている。』



A級戦犯と闇バイト

2024-12-12 13:47:00 | 靖国
A級戦犯、闇バイト、どちらも造語という意味では同じである。
バイトという有期雇用契約の労働に"闇"を付すだけで犯罪行為に変えてしまう。
闇という字は時として犯罪行為をかき消し、まるで流行であるかのように、人々の耳に届く。
一方でA級戦犯はa項b項c項と分類された項目別の戦争犯罪人である。
憲章6条a項に規定されている「平和に対する罪」に反した戦争犯罪人とされるが、「平和に対する罪」はニュルンベルグと極東軍事裁判で新たに造られた項目だ。
つまり彼らの行為が発生した後に罪を作って罰する法の不遡及を無視した有り得ない罪である。
したがって彼らは犯罪人ではないが、負けたことで強引に犯罪者にされた、と理解することが正しいのである。
つまり、闇バイトは犯罪人であるが、A級戦犯はただの有期雇用契約労働者なのだ。
連合国から見たA級戦犯は犯罪人だが、我々から見たA級戦犯は指導者であり、刑が執行された今は法務死した昭和殉難者と呼ぶのが正しい。
「A級戦犯を分祀せよ」という言葉がいかに間違ったスローガンであるか保守や右翼でなくとも理解できるであろう。

生稲・靖国・韓欠席・誤報というマッチポンプ

2024-11-28 18:44:00 | 靖国
生稲議員が靖国神社に参拝しようが否かはどうでも構わない。
外務政務官という立場の人間、若手議院の世代、つまり修学旅行先が韓国で土下座をしていたような世代全体へのメッセージであると考えたほうが良いだろう。
日韓のセレモニーには気を遣え
という意味である。これを周知させるためにオールドメディアが自らマッチで火を付けた訳だが誤報と謝罪するだけで、靖国神社への参拝は土下座拒否と同等であるとの刷り込みにほかならない。
総理大臣、閣僚のみならず参拝の基準を政務官にまで下げることがオールドメディアの目的であろう。
セイラー服は脱がすものではないのである。

ハンジ ゾエと特攻

2024-11-06 08:11:00 | 靖国







C.「戦争に負けたら犬死か。 それは結局全ての戦死者についてであって、「特攻」に限定してるわけではないね。 なぜなら「特攻が戦争の勝敗を左右したわけではない」から。 つまり、特攻と戦争の勝敗が直結していない以上、特攻による死者が犬死かどうかは戦争結果から判断してはならないわけです。 こんな暴論が許されるのであれば、中国に占領されたチベットの抗議者たちは犬死だと言ってるのと同じです。 あなたはチベットで中国支配に抗議した人を犬死と罵るか?」



少なくとも自分の祖先達の判断や結果をお花畑で酒を呷り、肉をかじりながら犬死にと煽る奴は思い遣り、勇気、ノブリスオブリージュに欠けたマーレ人なのではないだろうか。心臓を捧げたほうが良い。








勿論ここは靖国神社と概念的に同義であろう。


ビジネス保守とデュープス

2024-10-28 02:29:00 | 靖国
靖国神社は1946年(昭和21年)日本国政府の管理下から単立宗教法人となっている。これは戦後占領軍によって取り壊しから逃れる方策との理解が正しい。
つまり、首相の参拝は元来憚ることなき自然な行いと言って良いだろう。
したがって、顔色を伺うとすればそれは米国のみであり、故安倍総理のアーリントン墓地への訪問からも頷けるが、このことから日本は対米従属と言えるのではないだろうか。

保守論客として知られていた故西部邁氏が安倍総理への遺言として次のような言葉を遺している。



"首相に限らず現代人は、指導層であれ追随層であれ、おおむね実際主義を旨として、経済的利得や政治的権力や文化的栄誉にありつくべく、我欲丸出しで生きそして虚無のうちに死んでいるといってよいであろう"

"世界はマルチポーラー(多極)の時代に入っている。そのことに日本政府はどこまで自覚的なのであろうか"
"対米追従に徹しておればこの列島は何とか生き延びられるであろうというプラクティカリズム(実際主義)の態度が現代日本人に骨がらみにとりついてしまったことの帰結なのであろう"

つまり西部氏は保守政治の限界を安倍総理から感じとり絶望したのではないだろうか。

のちに我々は総理を失うことによって西部氏が感じた数倍とも言える既視感を味合う羽目になる。

かつて西部氏は保守を、現状維持と解釈してはいけません。現状とは過去から残された慣習の体系ですが、保守はそれを無条件に受け入れはしない。本当の保守は慣習という実体の中に歴史の英知のようなものを探りあて、それを今に生かそうとします。それが、どの変化を受け入れ、拒否するかの基準になる。ただ、歴史の英知には実体がない。「天皇陛下」や「靖国神社」は歴史の英知ではなく、慣習の体系です。その中に日本国民のバランス感覚がどう示されているかを、その時代、その状況において、皆が議論して確認する。そうした慎重な態度保守思想と言うのです。といっている。

籠池、田母神、百田というビジネス保守の体現してきた期待に絶望する。

共産党に利用される人を揶揄して「"デュープス"」と呼ぶが、ビジネス保守に利用されてしまっている我々もまた、「新生"デュープス"」かもしれない。