公明党の靖国神社参拝に関する考えを二人の代表の言説から紐解いてみよう。
靖国参拝について、公明党は二つ(1)憲法二〇条の政教分離原則との兼ね合い(2)A級戦犯の合祀
の角度から反対と明言。
山口那津男代表
街頭演説で、「 靖国神社参拝に反対する国際社会の声に謙虚に真摯に耳を傾けるよう」安倍首相に呼びかけている。また、「もっと慎重に、いろいろな影響を最小限にすることが政治家には必要だ」とも言っている。
したがって党としてのスタンスは"反対"であると言える。連立与党として国際社会からの反対の声を利用した"反対"とややトーンダウンしてはいるものの、別施設建設という靖国神社に変わった国の慰霊施設を考えているようだ。
では若い議員はどうであろうか、伊藤渉議員がブログに靖国神社に対する考えを書いているので一部抜粋してまとめてみた。
『靖国神社の問題は私が言うまでもなく、A級戦犯の合祀問題をはじめ、公式参拝等の憲法問題や歴史認識、果ては外交問題に至るまで、あらゆる面で議論の対象となっている。』
このように議論対象を挙げているが、それがそのまま代表や党としての"反対"の立場へと結論したいのだろう。
国内で戦犯は最早存在すらしておらず、そのことをして寧ろ中韓が外交問題化しているだけで、憲法問題は解決済みであるのだ。
つまり、これらは議論の対象となっているのではなく、なっていたの過去形だ。
以下に赤字で抜粋したが、よくある伝統の否定と戦時体制の洗脳機関として靖国神社を根幹から否定したいのだろう。
『“靖国は日本の文化です” との小泉総理の言葉に『靖国神社の歴史は古いものではない、その精神は古来より受け継がれてきた日本の伝統とは異なったもの。』
『靖国神社の概要
○明治2年(1869)、戊辰戦争で戦死した官軍兵士を慰霊するため、「東京招魂社」として創建され、明治12年(1879)に靖国神社と改称された。
○靖国神社の「祭神」は神話の神などではなく、戦死した「英霊」。祭神総数は246万6000余柱。なお合祀対象は日本国民及び死亡時に日本国民であった人。
問題に靖国神社が持つ特異性がある。
神社の「神」といえば、普通は自然を神格化したものであったり、天孫降臨神話によって成立したものであったり、歴史上の実在人物が次第に神格化されていったりと、「八百万の神々」の名が示すとおり多種多様に存在。
しかし御霊信仰を除くと、没後間もない人間そのものが神になるという伝統は、わが国にはない。
明治新政権は自身の正当性を宣揚するために、政権樹立のために犠牲となった人々を天皇の忠臣として祀るという、新しい思想を形成します。そして「招魂社」を建設して「招魂祭」を行い、戦死者の「みたま」を栄光で包み、永久に神社にとどめて顕彰していきます。
その後戦争があるごとに戦没者のための合祀祭を開催し、祀られる祭神の数が増えていきました。
このとき初めて、日本の伝統にはなかった、「戦死者を神として祀る神社」、「祭神が増え続ける神社」という、後に「国家神道」と呼ばれる新しい思想が誕生するのです。
その後、国策によって神道が宗教から「道徳」や「愛国心」に置き換えられていくにつれ、神社への参拝が当然となり、「靖国で会おう」という言葉が国民的常識となっていきます。これら日本人の思想の変遷に重大な役割を果たしたものが「国定教科書」、「教育」の力でした。
《教育の重要性》
“現在の日本の平和と発展は、戦没者の犠牲のおかげです”の言葉の奥に、“日本という国家が、死ななくてもいい人たちを戦場に駆り出し、犠牲にしてしまった”との視点が希薄に感じるのは私だけ?。
国家が編集した教科書によって、“死んだら靖国神社に行けるのだ”と学び、先生に連れられて神社に参拝し、それを美徳とする道徳観をはぐくむなど、子供の頃から忠義と愛国精神を涵養する一連の教育効果は、戦争遂行に少なからぬ威力を発揮したのは確かです。
靖国の問題を通して考えさせられたもの・・・
一つは「『正しい教育』によって国は発展し、『誤った教育』によって国が滅びる」ということ。もう一つは「人の心が国家権力によって操作される恐ろしさ」
このようなことを考えたとき、首相が“靖国神社に参拝し、不戦の誓いをあらたにする”と述べていましたが、本当に不戦の誓いをするのであれば、首相が靖国神社に参拝するのではなく、わが国のかつての為政者、あるいは国家機構が、靖国神社を戦争遂行のために少なからず利用したことを認めて、靖国神社とのかかわりを絶つべきではないかと思うのです。
そして、多くの日本人が戦争の犠牲者であるのと同時に、わが国の犠牲者の何倍ものアジアの人々が、わが国が引き起こした戦争によって犠牲になったという事実をしっかり学び続けることが大切だと考えます。』以下略
公明党の政教分離創価学会との関係の言い訳
公明党は、1964年11月17日に、池田大作創価学会会長の発意によって結成された政党。以来、創価学会の仏法の理念に基づき、「個人の幸福と社会の繁栄が一致する、大衆福祉の実現」「人間性の尊重を基調とした民主主義をつくり、大衆とともに前進する大衆政党の建設」を目指してきました。ただし、創価学会と公明党との関係は、あくまでも支持団体と支持を受ける政党という関係であり、「あらゆる階層のいっさいの民衆を包含しうる大衆政党」であると綱領にも明記している通り、公明党は国民全体に奉仕する国民政党です。
憲法の定める政教分離の原則は、先に述べたような趣旨を超えて、宗教団体等が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではなく、また、憲法第二十条第一項後段の規定は、宗教団体が国又は地方公共団体から統治的権力の一部を授けられてこれを行使することを禁止している趣旨であって、特定の宗教団体が支援する政党に所属する者が公職に就任して国政を担当するに至ったとしても、当該宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的に別個の存在であり、宗教団体が「政治上の権力」を行使していることにはならないから、同項後段違反の問題は生じないと解してきているところである。
自民党の閣僚が靖国神社を参拝する中にあって同じ連立与党の立場から明確に反対の姿勢でブレーキを踏み続ける公明党
以前靖国神社を国家管理とする靖国神社法案が議論されたことがあった。
靖国神社の国家護持法案
『この法律において「靖国神社」という名称を用いたのは、靖国神社の創建の由来にかんがみその名称を踏襲したのであつて、靖国神社を宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない。』(第2条)
『靖国神社は、特定の教義をもち、信者の教化育成をする等宗教的活動をしてはならない。』(第5条)と規定している。
本案を支持する全国戦友会連合会や日本遺族会などは、「靖国神社国家護持」を嘆願する署名を2000万筆集めた。
一方左派からは、戦前復古であるとして反対論が展開され、他の宗教団体も国が靖国神社を特別視するものだとして反対
靖国神社法案に反対した宗教団体
仏教系24団体、教派神道系24団体.キリスト教系17団体、
これに加えて創価学会も反対の意思を独自に示していた。
以上のように公明党が靖国参拝に於いてブレーキを踏み続けることは宗教団体が「政治上の権力」を行使していることにはならないとする公明党、創価学会の政教分離の解釈が都合の良い言い訳に過ぎないことを示している。
他宗教を認めない創価学会は鳥居をくぐらないだろうし、公明党もくぐらせない、こんな政教一致はあってはならないのだ。