
中曽根康弘総理大臣の8月15日靖国神社公式参拝を最後に靖国神社問題が起き首相の参拝が問題視されるようになるのだが、その原因の一端が後藤田官房長官の談話にある。
一部抜粋
中曽根氏の靖国神社参拝がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。
それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない。
またこの件を、「非常に残念だ。参拝というのは純粋に素直な気持ちで行えばいい。それを公人、私人といった分け方で言うのはおかしい。」 「つまり、戦争で逝った人たちを悼むという素朴な気持ちこそが大切である」とも話している。
中曽根と後藤田の関係性だが、年は4才後藤田が上で議員としては中曽根が1947年から20回連続当選、後藤田は警察庁長官から田中内閣の官房副長官からスタートである。
中曽根は海軍の少佐で後藤田は陸軍の大尉で位は中曽根が一つ上であった。
後藤田は官房長官就任前に今まで君付けで呼んでいた人につくのはと躊躇っていたようである。
このような複雑な関係性での談話は中曽根の公式参拝に少なからず影響を及ぼしたと考えられるであろう。
しかも中曽根の公式参拝は名ばかりで昇殿に参拝せず手水すらしない宗教色を消した正式参拝とは程遠いものであった。
2004年には「遺族が一番考えているのは天皇陛下がいつ参拝してくれるかだ。首相ではなく、天皇陛下が参拝できるようにするのが首相の大きな仕事だ」と発言しており、自分さえ金字塔を立てれば後はどうでも良いようである。
またその歴史認識は
①皇国史観には賛成しない、②東京裁判史観は正当ではない、③対米英と対中対アジアで認識が異なる、④国民の大多数は祖国防衛のために戦い、一部は反植民地主義、アジア解放のために戦ったと4点を挙げた。さらに中国、アジアに対しては侵略戦争だったが、アメリカ、イギリスとは普通の戦争だった、中国、アジアには侵略、韓国には併合という帝国主義的行為を行ったので反省し詫びるべき
分祀論と限りなく中国に媚びた歴史観を持っていると言えよう。つまり靖国神社問題の理論的中枢を彼の歴史認識が今も担ってしまっているのだ。