【女系論】
現在の皇太子殿下が即位される事に伴い次世代の皇太子が不在となります。皇位継承から愛子内親王殿下が除外されているからです。
皇室典範の第1条
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」
愛子内親王殿下は男系ですが、もし天皇になるには皇室典範の改正で可能となるのですが、皇太子は女系となる可能性があるのです。
女性天皇は歴史的に可能ですが結婚できません。
つまり、125代に渡って護られてきた男系が壊れる、王朝の交代を意味するからです。
小林よしのり氏や高森 明勅氏などが女性宮家創設や女系論を主張していますが、皇室崩壊の危機を招く危険で稚拙な主張なのです。
女系論を考えるのに興味深いやり取りや記事をネットで見つけましたので幾つかコピペで下に記します。
あまり、一般的な話題としては表に出ない皇室の継承問題ですが、女系論を判断する上で考える時には女系論を主張している皇室研究者、学者に対する批判的或いは容認的記事を見る方が客観的に両論を観察出来るでしょう。
女系容認を《女系型》女系は認めず男系のみを《男系型》とあらかじめ分類しました。
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『竹田氏は女系天皇に反対していると聞いたことがありますが、その理由は何ですか?』
【yuu】《男系型》
女系天皇が反対されているのは、“本当は”天皇ではないからです。
まず前提ですが、女性天皇と女系天皇は異なり、女性天皇とは文字通り女性の天皇ですが、女系天皇とは、母が天皇である(父親が天皇ではない)ことを主な根拠として即位する天皇のことで、男性の女系天皇が誕生する可能性もあります。
そして今まで、女系天皇は存在していません。
もし愛子さまの子が天皇になったら皇族同士で結婚しない限り女系天皇になります。
女性天皇の皇子は女性天皇の夫の名字を継ぐことになります。
その場合、天皇家自体がこれまでの家からその夫の家へと変更されることになります。
これでは世襲ではなくなり、究極的には誰でも天皇になることができ、外的承認機関としての皇室の意味合いが変わり価値がなくなります。
そのため、現在の皇室典範(皇室の基本法)では女子の皇位継承を認めていません。
この女系天皇を推進している人たちは皇室をなくしたい人たちです。
その理由は色々ありますが、もっと国会に権限を持たせようとしているのが大きな理由の一つだと思います。
【senjyutupsychopharm】《女系型》
女系天皇に反対している人は、基本的に無知です。まず、歴代の天皇で女系継承がなかった、としていますが実際は存在します。37代斉明天皇(女帝)から第38代天智天皇への継承、そして二例目は、第43代元明天皇(女帝)から第44代元正天皇(女帝)への継承です。一部の「歴史学者」なる人が中継ぎだと見做していますが、斉明天皇と元正天皇ともに歴史上大きな業績を残しており、的外れな指摘です。
そして、そもそも天皇には苗字、姓はありません。苗字は家の名前、姓は天皇が臣下に与える氏族の名前です。愛子さまが一般の男性とご結婚なさった場合は、その男性の姓が無くなるだけで、愛子さまがその男性の家に入られるわけではありません。女系継承に賛成するのは皇室をなくしたいから、というのも大きな間違いです、むしろ逆です。必ず男子を生まなければならない、というプレッシャーに晒されるところに嫁がれる女性がいるでしょうか?また、側室を持たなければ男系継承は無理です。側室を持つ、という選択肢は国民の支持を得られないことを、皇族の方々は言わずもがな理解されているので、これも選択肢として破綻しています。「旧皇族」の復帰、とよく言われますが実は「旧皇族」なる人は存在していません。戦後に臣籍降下した後に生を受けたのが竹田氏らであり、単なる一般市民です。現在の皇族の女性の方々に竹田氏ら「旧皇族」と名乗っている人と結婚してもらう、という暴論がありますが皇族の方々には結婚相手を選ぶ自由がないとでもおっしゃるのでしょうか。そのような権利は国民にはありません。あくまで重視されてきたのは血筋であり、男系であるかは重要ではありません。想像してください。昭和天皇、今上天皇、そして皇太子殿下と皇位が継承されるという流れで、次は一般市民として生活していたどこの馬の骨かしれない男性が天皇陛下になられる、というのは非現実的です。
【yuu】
第38代天智天皇、44代元正天皇は女系ではないですよ。男系です。
男系の天皇というのは父が天皇、または父の父が天皇。または父の父の父が天皇というように父方の祖先をたどっていくとそのどこかの父が天皇であるということです。
天智天皇は舒明天皇の第二皇子で、父方に天皇の男系血統を引くため男系継承にあたります。
元正天皇も天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子の娘であり、父方に天皇の男系血統を引くため男系継承にあたります。
ただどちらにせよ、華族制度という貴族階級がなくなった時点でいずれ後継者がいなくなるのは目に見えていますけどね。仮に女系天皇を認めたとしても民間人が天皇になれるほどきちんとした教育を受けている人なんかいません。
現実的には宮家を増やすことでしか皇位継承問題を解決できないと思います。
【senjyutupsychopharm】
論点をずらさないでください。あなたは、「女系」がダメだ、とおっしゃったんでしょう。私が示した2つの例は、天皇が母親でありその子が天皇となっており、この時点で女系継承なのは間違いないですよね。さかのぼったら男系だといっているのは、単なるこじつけです。もしもその理屈が男系継承だ、となるのであれば愛子様が皇太子となられたのち一般男性とご結婚された結果生まれたお子様が皇位を継承しても男系継承だ、となりませんか?宮家を増やすことは、国民の理解を得られないという見解が政府の調査で示されています。冷静に考えてください。何度も申し上げますが、世間の俗にまみれた人間が、現在の皇族の方々のような立場になるなんてありえますか? それが国民の理解の得られることだとおもいますか?
それと、天皇は貴族ではありません。華族でもありません。あなたは根本的に認識が間違っています。皇室を貴族階級だと見なしている
時点であなたに皇室について論じる資格はないと思います。天皇陛下は、神道の最高権威で、一般国民とは君臣の別があり一切不可分の存在です。だからといって、いわゆる貴族のように富を独占するようなことはしていません。それゆえ、一般国民である立場の人間が、いきなり皇位継承可能となる立場になるのはあり得ないのです。いわゆる旧宮家の復帰といっても、系譜図で600年以上離れた存在です。そこまで離れた立場の人たちが皇位を継承するということは、それこそ長年の伝統では行われてこなかったことです。伝統を守るといいながら、こういう伝統に目を向けず男系維持のみに固執するのは、単なる日和見主義者です。
【yuu】
なにか勘違いされていますが、私が女系がダメだと言っているわけではなく、「竹田氏は女系天皇に反対していると聞いたことがありますが、その理由は何ですか?」という質問への回答として、反対する理由(もちろん竹田氏本人ではないので予測にすぎません)を述べたまでです。
“愛子様が皇太子となられたのち一般男性とご結婚された結果生まれたお子様が皇位を継承し”た場合、そのお子様から見て父親は一般男性でその父親も(おそらく)天皇ではないので、男系ではなく女系です。
(定義補足:男系女子=父方(=男系)を辿ると必ず初代の神武天皇に繋がる=万世一系の系譜の女性、女系=母親、祖母など女親を介して天皇につながる家系。父方は神武天皇に繋がらない=万世一系の皇統ではない=別の皇統と見なされます。色んな歴史認識があるのでこれが必ずしも正解ではないですが一般的には。どうして父方が重要かというと遺伝子でXYとXXの話ですが省略します)
皇室を厳密な意味での貴族階級と見なしているわけではなく、一般国民とは異なり特別な教育等を受けてきているという意味で言っています。
なので、“天皇陛下は、神道の最高権威で、一般国民とは君臣の別があり一切不可分の存在”、“それゆえ、一般国民である立場の人間が、いきなり皇位継承可能となる立場になるのはあり得ない”とほとんど同義で述べています(私の中では)。
もちろん上記の認識ですから、ただの一般人がいきなり皇族になれるとは思っていませんが、どちらにせよ皇位継承資格者の数は増やす必要があると思いますので、新しい宮家設置か女系天皇を認める、どちらかもしくはどっちも必要だと思っています。
ただ女系天皇を認めるにしても、どちらにせよ皇族と結婚する一般男性がそうそう現れるとは思えませんので(皇族の身分が離れないとしても。皇后よりも役割は多そうだし)、宮家を増やすことで皇位継承資格者の数を増やしていかなければいけないんではないかと。
byus.me › facts › questionsよりコピペ
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《男系型》
「日本が好きなだけなんだよ」さんからコピペ
『小林よしのりが主張する女系容認論の正体』
漫画家・小林よしのりといえばゴーマニズム宣言シリーズなどで、保守の先駆けとして分かりやすい漫画という媒体を通して、読者を啓蒙し人気を博したこともある人物だ。しかし、この小林よしのりは、自分の作品をパチンコ業界に提供したあたりから主張がおかしくなり、昨年の総選挙前に民主党への投票を勧めたり、嫌韓流を批判したりして、その主張に齟齬が目立ち始めてきた。
極め付けは皇位継承問題における女系容認論であり、将来、男系男子が減少し皇統が危ういので女系を容認すべしというのが小林を始めとする女系容認論者の主張だが、これらの女系容認論者の特徴は、必ずと言っていいほど「愛子天皇」ありきの主張しかしないということである。現在の皇室典範で、皇太子→秋篠宮→悠仁親王という皇位継承の順序が確定されており、悠仁親王殿下が御誕生される前に起こった女系容認論議の発端は、皇太子→秋篠宮→眞子さま or 佳子さま?という、皇位継承者不在の危機だった。
女系容認論議の最後の方になると当初のコンセプトはすっかり忘れ去られ、小泉政権時代に設置された皇室典範改正の有識者会議の最終報告書には、いつの間にか直系優先、第一子優先が打ち出されており、実質、秋篠宮殿下から皇位継承権を剥奪し、愛子内親王に皇位継承権を与えることがうたわれていた。法改正によって何ら瑕疵のない男子皇族から、一方的に皇位継承権を奪うことは許されないが、こういったことを堂々と主張していた有識者会議のメンバーいかに皇室に敬意を持たず、秋篠宮殿下の権利を軽く踏みにじろうとする連中だったか、思い出すと不快感を禁じえない。メンバー自体がキチガイ極左の集まりであり、秋篠宮殿下の権利が話題にもされなかった当時の状況は異常としか言いようがなかった。
小林よしのりの主張は有識者会議の主張をほぼ踏襲しており、作品の中でもチャンネル桜の討論番組の中でも、愛子天皇を待望する意思表明を行っている。皇太子以降の皇位継承は、愛子さまか悠仁さまか、ではなく愛子さまか秋篠宮さまか、と表現するのが正しい。愛子内親王と秋篠宮殿下、どちらが天皇にふさわしいかと問われれば、議論の余地もなく秋篠宮殿下である。愛子天皇を実現させるためには秋篠宮殿下の皇位継承権を剥奪しなくては不可能であり、皇室存続の観点から女系容認を考えるのであれば、実際に議論の対象になるのは悠仁親王殿下以降の皇位継承についてである。
小林よしのりの主張は皇室護持、女系容認の主張のフリをした、秋篠宮殿下からの皇位継承権剥奪の主張であり、どう考えても小林よしのりは保守というよりは、似非右翼にしか見えない。女系容認論者は天皇陛下の大御心を捏造し、愛子天皇ありきの女系容認論の正当性を主張することが過去に何度もあったが、天皇陛下が秋篠宮殿下の皇位継承権剥奪を容認するはずもなく、実際、これらの“大御心”はその後の調査で全部捏造だったことが判明している。
女系容認論議をしたいのであれば、愛子天皇の可能性を除外して議論するのが前提であり、それが出来ないのであれば、彼らが主張するのは実際には女系容認論ではなく、愛子天皇容認論、秋篠宮からの皇位継承権剥奪容認論ということになる。愛子天皇の可能性を除外して女系容認論を語る人間を自分は見たことがないが、女系容認論者の正体が国賊であることの何よりの証明だろう。
皇統=男系(父系)であり、自分に言わせれば歴史上、一人も存在していない女系(母系)天皇(女性天皇とは別物)を認める女系継承など皇統ですらないが、女系容認論者は皇統存続云々以前に、秋篠宮殿下の権利剥奪を画策する逆賊であるということである。彼らに皇室や皇統を語る資格はなく、小林ばかりか、同様の主張を行っている高森某や笠原某も逆賊だということだろう。
保守とは保ち守ると書くが、一体保守が何を守るべきかといえば、強いていえば、それは2000年以上の世界最古の歴史を持つ神武朝日本ということになる。神武朝日本を守るとは、姓を持たない一系の天皇家を頂点とする日本を守るということであり、その国民を守ることということになるだろうか。
神武朝を終焉させ、佐藤王朝や鈴木王朝が出現する女系容認の思想は保守でも何でもない。ましてや秋篠宮殿下の皇位継承権を奪う発想など、一人の日本人としても狂気の沙汰だ。小林がいくら悪あがきをしようが詭弁を弄そうが、もはや勝ち目はないのであり、男性皇族の皇位継承権剥奪を主張する一方で、皇室を大事にするくさいパフォーマンスなどいい加減、やめてもらいたいものである。
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《女系型》
gooブログ「皇居の落書き」さん
『小堀桂一郎氏への批判』コピペ
「正論」平成18年11月号に,「いま改めて問う,皇位の正統性と男系継承」と題するインタビュー記事があり,そこで小堀桂一郎氏が男系維持派の考えを述べている。
特に真新しいことが述べられているわけではないのだが,この記事を読んでいると,どこでどう議論がすれ違っているのかということが,何となく分かるような気になった。
まずは,慈円大僧正の「愚管抄」,北畠親房の「神皇正統記」などについて,延々と解説が行われる。
この解説については,一学者としての見識を感じさせる内容である。
そして,以下のようにまとめている。
---------引用開始---------
慈円も親房も,日本の国王の「種姓」,つまり国王の家系は絶対によそに移ることがないというのが他国に見られない我が国のみの皇室の伝統であると言うのですけれども,それを遡れば神勅に行き着きます。「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は,わが皇孫の知らすべき国なり」という。その神勅を素朴というほど忠実に守ってきた。先祖の神の言葉に対する敬虔の念というものを,日本民族は民族の性格として伝え持ってきたのだと思います。
---------引用終了---------
この箇所については,筆者としては異論はない。
ただ,神勅には「皇孫」とのみあり,男系か女系かといったことは示されていないということは指摘しておきたい。
日本民族は,この神勅を大切にしてきた。
ただ,どのように受け止めて大切にしてきたか,ということが問題となる。
男系継承という厳格な継承ルールの順守の指令ということか。
そうではないであろう。
神勅に込められていたのは,子孫の繁栄への願いと祝福ということではなかったか。
そして,そのような先祖の願いと祝福に感謝し,応えようとする。
このような先祖との絆こそが,日本民族の民族の性格として伝え持ってきたものではなかったか。
正統性として,血筋ということは勿論重要なことであろう。
しかしながら,それに余りに厳格にこだわる場合,それは不自然な,奇妙な帰結をもたらすようだ。
小堀氏は,さらに以下のように述べているのである。
---------引用開始---------
最近,黒岩徹さんという方が,月刊「日本」(八月号)と,季刊「邪馬台国」(93号)という雑誌で,「皇位継承の本質というのは血のつながりである。それは言ってしまえばY染色体が男子のみに継承されていく」という,極めて生物学的な事実を理論的に構築しておられます。黒岩さんは生物学者ではありませんが,専門の生物学者の藏琢也さんという方の論文に触発され,それに賛同する形で詳しく書いておられます。動物行動学の竹内久美子さんも『遺伝学が解く!万世一系のひみつ』でY染色体理論を説いておられる。私は,このことは本当に大事なことだと思います。
---------引用終了---------
小堀氏までがY染色体説を評価するとは,筆者にはショックである。
Y染色体に拘ればどういうことになるか。
まず,女神である天照大神については,Y染色体は観念できない。
そうなれば,たちどころに神話との矛盾が生じ,神勅も何もあったものではないであろう。小堀氏の言う「その神勅を素朴というほど忠実に守ってきた」ということも,そこで断絶である。
もちろん,生物学的事実は事実であろう。
しかし,人間の生み出した皇室伝統の精神的価値を語る上で,生物学的事実は本来無関係であり,むしろ水と油なのではないか。
このブログにて以前触れたことがあるが,よりによって竹内久美子氏まで紹介するとは,一体,小堀氏はどうしたのだろうか。
竹内氏は,Y染色体との関係で,サルやらゴリラ,チンパンジーがどうだとか,そういうことを書いている人であるが,そこには皇室伝統の情緒の欠片もない。
さらに小堀氏は,以下のように述べている。
--------引用開始--------
だからこの正統性という理念は,ある意味で残念なことだと言えるかもしれません。というのは男系の皇統という正統性は突き詰めて考えますと,所詮は生物学的次元のことなのです。皇位につく人の徳性とは関係がないのです。ですから一番危ないのは,万が一,女系の男子が天皇として即位されるというような事態が生じた場合,国内国外を問わず,日本の天皇制度に対して敵意を抱いている党派が最も力を入れて突いてくるのは,生物学的次元の理論だと思うのです。正統性を踏みはずした天皇であると言われたら,これはもう,三種の神器を継承している,神器の象徴する道徳的価値の最高の範疇を保有しておられる,といった道徳の次元では太刀打ちできません。
--------引用終了----------
「所詮は生物学的次元のことなのです」とは,言っていて寂しくないのであろうか。
神武天皇のY染色体の継承に,一体どんな値打ちがあるというのだろう。
というのも,仮にである。
神武天皇のY染色体が,歴代天皇にのみ継承されているということであるならば,そこに価値を見いだし,それをもって正統性の根拠とすることも,多少は理解できる。
しかし,実際には,長い歴史の中で,男系の血統は皇室外にも多く伝わっており,現在では広く日本人の中に浸透しているであろう染色体なのである。
神武天皇のY染色体が,最も古い日本人の染色体であるとすれば,それは最もありふれた染色体でもあるはずなのである。
何も国を挙げて必死に守らなければならないものとは,到底言えないのではないか。
それにしても,「万が一」以下で示している想定は,間抜けな話である。
「日本の天皇制度に対して敵意を抱いている党派が最も力を入れて突いてくるのは,生物学的次元の理論だと思うのです」などということがあり得るのだろうか。
「神器の象徴する道徳的価値の最高の範疇を保有しておられる,といった道徳の次元では太刀打ちできません」とも述べるが,むしろ逆なのではないか。
筆者が思うには,一番危ないと思うのは,Y染色体という生物学的事実を備えつつも,天皇に相応しい道徳的価値を有していない人物が即位した場合であって,国民が愛想を尽かす事態に陥ることである。
ただ,この辺りは,日本人というものがどのようなものを大切にする存在であるかという,日本人観の違いということなのであろうか。
小堀氏は,続けて以下のように述べるのである。
--------引用開始---------
皇位継承問題について,先生方がそれぞれ愛国の情から説を立てておられるということはよくわかっております。国体尊重の立場を明確にしている一部の方々は,「染色体理論などというものに基づく血統が問題ではなくて,皇室が体現しておられる道統,道徳的な権威が大事である」という理論で女系容認の論陣を張っております。確かにそれも一理あると思います。しかし私に言わせれば,それは共和主義的発想なのです。共和主義というのは,要するに大統領制です。
たとえばドイツなどは,政治力はなくても人格高潔で道徳的に立派な人物であれば,国民統合の象徴としての大統領に担ぐという発想がありますし,現にそれが行われているわけです。日本の場合には,神武天皇の血統を引いた方でなければ,正統性を備えた国民統合の象徴とはなり得ないのです。
--------引用終了----------
この箇所において,小堀氏が女系容認論にも一理あるとしている。
そこには良心を感じることができた。
それはいいのだが。
さて,道徳的権威を重視するということが,すぐに共和主義ということになるのであろうか。
世襲制の中でこそ確保される道徳というものもあるであろう。
例えば,小堀氏も,天皇について「無私」という資質は強調されるが,「無私」という資質は,選挙,すなわち,多数の候補者から選ばれるという競争原理には馴染まないものであろう。
資質を確保するための手段としての世襲制ということもあり得るはずなのである。
それにしても,ドイツの大統領制を引き合いに出しているのだが,人格高潔で道徳的に立派な人物を象徴として戴く共同体と,特定のY染色体を有する人物を象徴として戴く共同体とでは,どちらがより高級であるのだろうか。
以上述べた如く,筆者には,小堀氏の主張は,不自然で奇妙なものに思えるのである。
なぜ,こんな主張をするのであろうか。
その理由は,小堀氏の以下の発言により,理解できるように思われた。
---------引用開始--------
皇室の藩屏の再建ということは説明すれば易しいことでありまして,昭和二十二年十月に占領軍による皇室弱体化政策と方針によって,皇籍を離脱された十一宮家がございました。直宮様を除いて,それ以外の皇族が皆様臣籍降下されたわけです。あれは占領下の外国の権力による異常事態の下での措置で,むしろこれを元に戻すことによって,占領政策の克服の一つとすることもできるという発想に立てばよいのです。
---------引用終了--------
すなわち,占領政策の克服ということこそが小堀氏の主目的であり,皇位継承の議論はあくまでも手段として位置づけられていたに過ぎないということである。
手段としての議論であるが故に,目的達成のためには何でもかんでも援用するという姿勢となったのであろう。
小堀氏は愚管抄の道理ということを随分と言われるが,皮肉にも,道理がひっこむ有様となっているのである。
筆者としても,占領政策の克服ということにつき,精神論として語る分には,意義のあることであると思う。
小堀氏にしても,もともとは,精神論としての克服ということにこそ,問題意識を有していたのではなかったか。
それにしても,男系継承を維持するためとは言え,Y染色体に着目し,皇位の正統性を生物学的次元で捉えるようなことをして,そこに日本人の精神の再生はあり得まい。
それは,物質主義以下の珍妙なる似非科学主義と言うほかないのではないか。
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一般的な感想となりますが、結局のところ女系論者は2000年以上続いて来たものを否定するのに、天照大神は女性だったなどと神話を都合よく利用して恫喝的な議論展開しか術が見当たらない印象を持ちます。
日本人に求められているのは3000年近く続いてきたものを如何に一万年以上続けていくかなのです。天皇陛下万歳。