赤旗を読むのは甚だ不本意であるが、靖国神社に関してはその限りではない。
今回靖国神社のGoogle検索で赤旗記事が上位となっていることに危機感を覚え、マッチポンプとも言える赤旗への疑問の答えと別記事にも疑問を感じたので以下に二つの記事をコピペした。
赤旗本文を赤字とし、疑義のある箇所を青とし注意箇所は緑とした。
最後に簡単な解説で纏めるが、赤旗がどの様な意図でこの記事を書いているのかを皆様も是非考えながら読んで頂きたい。
①
靖国神社は一宗教法人ではないのか?
〈問い〉 靖国神社は一宗教法人ではないのでしょうか? 神社の紋章が皇室と同じ菊なのはなぜですか?(秋田・一読者)
〈答え〉 靖国神社は「勤皇の志士」「官軍の戦死者」をまつる神社として創建され、1879年(明治12年)に国家神道の格式では特別という意味の別格官幣社靖国神社となります。戦後1945年12月15日に日本を占領した連合国軍総司令部が「神道指令」を発するまでは、現人神(あらひとがみ=生き神)の天皇が、天皇のために戦死した人びとなどを「英霊」と呼ぶ祭神に認定し、陸軍省と海軍省によって管理される神社でした。
「神道指令」は「神道の教理ならびに信仰を歪曲(わいきょく)して日本国民を欺き侵略戦争へ誘導するために意図された軍国主義的ならびに過激なる国家主義的宣伝に利用するがごときことの再び起ることを防止するため」に国家神道の解体を指示し、天皇は信教の自由と宗教団体の自主性を認めた宗教法人令を公布します。これをうけて靖国神社は宗教法人靖国神社となります。
ところが、「神道指令」直前に、靖国神社は「英霊」を特定しないで、不明の戦死者全部を祭神とする臨時大招魂祭をおこないました。そのため、その後に判明した戦死者名簿などを厚生省引揚援護局などから提供され、祭神を増やし続けてきたのです。引揚援護局の中枢には旧陸海軍出身者がすわり、靖国神社との特別な関係を維持してきました。そこに法的根拠があるわけではなく、厚労省は「戦死者名の問い合わせには応じている」という言い逃れで靖国神社と癒着し、特別な関係を続けてきています。
一宗教法人にすぎない靖国神社の紋章が皇室同様の菊紋になっているのは、天皇の神殿という意味を今も示そうとしているのです(厳密にいえば多少の変化を付けて皇室とまったく同じ紋章ではありません)。(平) 〔2006・10・26(木)〕
②
靖国神社って何? 「参拝」何が問題?
首相は「国に殉じた人に尊崇の念を」言うが…
安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐって、NHKなど一部のメディアが「『不戦の誓い』をした」などという首相の説明を無批判に流しています。靖国神社とは何か、首相の参拝がなぜ世界から厳しい批判をあびるのか、問題の根本を説き明かした報道はほとんどみられません。靖国神社のそもそもを知れば、首相の参拝が「内政問題」や「内心の自由」では絶対に片付かない、深刻な問題であることがはっきり見えてきます。
戦前・戦中はどんな施設
戦争動員の精神的支柱
靖国神社は、明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府側との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人をまつるために創建された「東京招魂(しょうこん)社」が前身です。79年に「靖国神社」へと改称。「別格官幣(かんぺい)社」という特別の社格を与えられ、国家神道の中心的神社と位置づけられました。
一般の神社とは異なり旧陸軍、海軍両省が管理する軍事的宗教施設でした。明治維新からアジア・太平洋戦争までの戦没者240万人余をまつっていますが、いずれも“天皇のため”にたたかって死んだ軍人・軍属だけです。
このため、西南戦争(1877年)で天皇に背いた“賊軍”の西郷隆盛や捕虜となって病死した兵士、原子爆弾や空襲の民間犠牲者、旧「満洲」など外地で死んだ一般国民などはまつられていません。
天皇制政府と軍部は、天皇への「忠義」を尽くして戦死し「靖国の英霊」になることを最大の美徳として宣伝。靖国神社を、侵略戦争に国民全体を動員するための精神的な支柱として持ち上げました。
安倍首相は、「国に殉じた人に尊崇(そんすう)の念を示す」などと繰り返しています。しかし、靖国神社への合祀(ごうし)は、天皇のためにたたかって死んだかどうかにあり、死者を選別することに本質があります。また「英霊」としての合祀は、戦死者や遺族の意思に関わりなく行われます。戦争遂行や侵略戦争美化の“道具”として人の死を利用することは、戦争犠牲者を冒とくするものではないでしょうか。
戦後果たした役割
戦争美化する発信地に
靖国神社は戦後、信教の自由や政教分離を厳格に定めた日本国憲法のもと、一宗教法人となりました。しかし、“日本の行った戦争は正義の戦争だった”とする特異な戦争観を「国論」とするための策動が、同神社を中心に続きました。「国家護持」や天皇・首相などの「公式参拝」を求める運動などです。
とりわけ、1986年に同神社の付属施設・遊就館(ゆうしゅうかん)が再開されると、日本の過去の侵略戦争を美化・正当化する「靖国史観」の宣伝センターの役割を強めていきます。
遊就館は、「近代史の真実」を学ぶパネルや「英霊」の遺書・遺品、当時の兵器を展示している軍事博物館です。いまでも、「先の『大東亜戦争』は、わが国の自存自衛と人種平等による国際秩序の構築を目指すことを目的とした戦いでありました」(3月から靖国神社が開く「遊就館特別展 大東亜戦争七十年展Ⅲ」の案内チラシ)などと公然とのべています。
こうした靖国神社の本質は、小泉純一郎首相(当時)らの度重なる参拝や神社の実態を批判した日本共産党の不破哲三議長(同)の講演(05年5月)をきっかけに広く知られるようになり、国内外のメディア・世論から「軍国主義の過去を再評価しようとする動きの象徴的中心」(米紙)などと厳しい批判が起こりました。
07年には、遊就館の展示パネルを一部改修。太平洋戦争が「資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要」したルーズベルト米大統領の陰謀だったかのように描いた「反米」的な部分を削除しましたが、先のチラシのように戦争を賛美する本音は隠しきれません。
首相の参拝は、日本の過去の侵略戦争を肯定・美化する靖国神社の立場に自らを置くことを意味します。それは、日独伊のファシズムと侵略戦争を断罪した戦後の国際秩序への挑戦とみなされるのです。
戦争指導者を「神」
国際社会への公約違反
靖国神社は1978年に、東京裁判(極東国際軍事裁判)でA級戦犯とされ処刑された東条英機元首相ら14人を合祀しています。
A級戦犯とは、東京裁判で、侵略戦争を計画・準備・開始・遂行した「平和に対する罪」(a)、占領地での殺人や捕虜への虐待などの「戦争犯罪」(b)、「人道に対する罪」(c)などすべての罪で裁かれた犯罪人です。一般将兵がbとcの罪に問われた「BC級戦犯」と区別し、A級戦犯と呼びます。
安倍首相の祖父、岸信介元首相も東条内閣の商相などを務めたA級戦犯容疑者でした。
靖国神社は、このアジアと日本の国民に多大な犠牲を強いた戦争指導者を、“神”としてまつっているのです。実際、遊就館には「靖国の神々」のコーナーでA級戦犯の東条元首相らの写真を展示しています。
A級戦犯合祀の理由について、宮司だった湯澤貞氏は、同神社の崇敬者総代会で「A級戦犯だけ合祀しないのは極東裁判(東京裁判)を認めたことになる」との意見もあり、合祀が決まったと語っています(『正論』05年8月号)。合祀の狙いは、日本の戦争を侵略と断罪した東京裁判を否定する意思を示すためなのです。
日本は、米国など連合国と結んだサンフランシスコ平和条約(51年調印)で東京裁判を受け入れており、同裁判を否定することは国際社会への公約に反することです。
A級戦犯合祀が明らかになって以降は、昭和天皇も現天皇も同神社を参拝していません。
会長纏め
共産党赤旗と不破哲三の問題点を一点だけあげるとすれば、『侵略戦争』という連合国視点の解釈であろう。更に言えば、天皇陛下の御親拝中断を合祀と関連付け、東京裁判を受け入れて講和した事実と一つ一つの判決まで受け入れるとする恫喝的暴挙を混同した判断で、恰も日本ならびに靖国神社が同裁判を否定しているかの如く主張している点である。
つまり、所謂A級戦犯等は侵略戦争をしていないが、侵略戦争をした罪で刑死したという究極的冤罪を国内的責任と国民救済に当てた事実を恣意的に解釈し象徴の御親拝中断と結び付けた極めて反日的な印象操作が検索上位にある事自体が大問題なのである。