【はじめに】
三島由紀夫の小説のタイトルと同じになってしまいましたが、今回は彼の小説には触れず独自の視点で靖國神社の英霊達の聲に耳を傾けようと思います。
声という字が聲の略字であることはお気付きかと思いますが、聲は1945年までは、「大きな聲(こゑ)」や「音聲(おんせい)」と書いていました。
1946年の当用漢字で、「声」と書くことになりました。つまり終戦と同時に聲は使われなくなりました。
三島の意図は分かりませんが、明らかに"英霊の聲"は"英霊の声"として戦後生まれの者には
届かないか、意図的に遮断され響かない声になっている気がしてなりません。
つまり御親拝も中断され首相すら参拝が政治問題化してしまう現在と昭和50年まででは例え声だとしても充分参拝者、遺族には届いていたであろうことは容易に想像がつきます。
【遮る者】
英霊の聲を遮る者は終戦、敗戦、占領、米国、
東京裁判、マッカーサー、武装解除、神道司令
ポツダム宣言を受諾しても、宗教法人となってからも英霊の聲はそれぞれの耳に届いているであろうことは想像できます。
先に述べたように昭和50年で遮断されたのならば天皇陛下の御親拝の中断に伴って聞こえなくなってしまったか、異質の聲のみが聞こえてくるようになってしまったのでしょう。
私のいう遮る者とは意図的に靖國神社に向けてその存在を否定する者のことであり、政治問題化させ御親拝を中断させた者に他なりません。
それは朝日新聞を代表する新聞、マスメディア
、歴史家、大学教授、政治、左翼、右翼、であるのですが、
無関心な者はほぼ全員の日本人、宮内庁、戦没遺族でさえも50年当時を考えれば、
靖國神社と天皇陛下を除く全ての日本人がその遮る者に一旦はなってしまったことは否定出来ません。
誰一人英霊の聲を聞こうとする者がなく自ら遮る者、故意に遮る者、それらが蔓延しその存在すら忘れかけていたのかもしれません。
そして気付いた頃には日本人の半数以上が聞く耳を失ってしまい、己の聞きたい声しか聞けない者になってしまったのでしょう。
【イメージとしての靖國】
遮る者の印象操作として靖國の本質を全く無視したイメージを膨らませてきました。
●天皇家の神社
●戦争遂行する為の神社
●先の大戦を美化する神社
●悲しみを喜びに変える神社
●軍国主義、ナショナリストに通づる神社
●憲法違反を内在する神社
等々靖國神社を貶める為の印象操作がおこなわれてきました。
中でも最も靖國を孤立させ今まで国民を近づけない役割を果たしてきたものがあります。
見た目で役割を果たすのが街宣右翼であり、太平洋戦争を肯定する、東京裁判を否定するというような歴史観を否定する神社として内外に宣伝してきたのです。
【変化】
明治から靖國に大きな変化が3回あります。
①敗戦で宗教法人として存続
②昭和50年最後の御親拝
③所謂A級戦犯合祀
大東亜戦争の敗北によって占領軍から取り壊しか宗教法人として存続するかの選択を迫られます。①
昭和50年三木総理8/15靖国に私的参拝、玉串料はポケットマネー、公用車を使わず、SPを同行せず、
11/21天皇陛下②最後の御親拝をされる。
53年10/17③14人が昭和殉難者として合祀されます。
この様な大きな変化の後に富田メモによって大捏造がおこなわれます。現代史家の秦郁彦氏によって戦犯合祀に不快感を示され御親拝を中断されたというデマが主流となります。
つまり靖国に戦犯が合祀されたから御親拝が中断している。という嘘のストーリーが常識化して総理大臣の参拝を政治問題化させ、マスコミが騒ぎ中韓の外交問題化まで巻き込む靖国問題を創り上げたのです。
【覚醒】
慰安婦問題に始まった韓国の国家規模の被害者ビジネスが英霊達を覚醒させたのでしょうか。
小林よしのりの戦争論に始まる左からの覚醒は
慰安婦問題、南京事件、太平洋戦争の嘘を暴き天皇論を始め保守的な言論の支持者を増やしたでしょう。
そんな中にあって靖国については顕彰の行為を問題視させて保守派を攻撃するあたりはインテリ学者に敬意を示しているのか、依然として
小泉、安倍の参拝が天皇陛下の御親拝を遠のかせるという左派的政権批判に引き戻そうと反靖国色を滲ませるのです。
小林氏のこの覚醒させておきながら引き戻す様な行為は間違いなく出版業界からの保守潰しととられても仕方のない行為です。
つまり、左派に身を置き右翼よりも保守的な思想でインテリ学者ぶりを鼓舞し靖国問題の弱点を露呈させ左に戻り反靖国に落ち着くのです。
彼には最初から英霊の聲など聞き取る耳もないし、聞こうともしていなかったのです。
【構図】
小林氏の覚醒がなんであったのかを知ることで
日本の構図が見えてくると感じます。
つまり、東京裁判史観の社会で己れの欲のみに重きを置いてリベラルを貫く戦後生まれの典型なのです。愛国心の欠片もないのです。
次世代が議席を減らし共産党が僅かに増やす社会構造に結果として現れている様に、右端にある靖國に僅かに保守派が取り巻いている構図に
どちらにも直ぐに移動可能な国民が左右を行き来している図が頭を離れません。
【英霊の聲に応える】
上記した構図の中で保守派、主に次世代の党は何をすべきなのか、靖國にかけられた呪縛を解くのです。
その呪縛とは著名な歴史家をもってして社会で常識化している『富田メモ』を確固たる史実をもとに完全否定する事です。
その為には「俺たちは間違った戦争をしたのか」という英霊の聲に応える必要があります。
東京裁判史観を覆し常識化し日本国民が天皇陛下の御心を正しく理解し応える
つまりは英霊の聲に応えるということなのです。
三島由紀夫の小説のタイトルと同じになってしまいましたが、今回は彼の小説には触れず独自の視点で靖國神社の英霊達の聲に耳を傾けようと思います。
声という字が聲の略字であることはお気付きかと思いますが、聲は1945年までは、「大きな聲(こゑ)」や「音聲(おんせい)」と書いていました。
1946年の当用漢字で、「声」と書くことになりました。つまり終戦と同時に聲は使われなくなりました。
三島の意図は分かりませんが、明らかに"英霊の聲"は"英霊の声"として戦後生まれの者には
届かないか、意図的に遮断され響かない声になっている気がしてなりません。
つまり御親拝も中断され首相すら参拝が政治問題化してしまう現在と昭和50年まででは例え声だとしても充分参拝者、遺族には届いていたであろうことは容易に想像がつきます。
【遮る者】
英霊の聲を遮る者は終戦、敗戦、占領、米国、
東京裁判、マッカーサー、武装解除、神道司令
ポツダム宣言を受諾しても、宗教法人となってからも英霊の聲はそれぞれの耳に届いているであろうことは想像できます。
先に述べたように昭和50年で遮断されたのならば天皇陛下の御親拝の中断に伴って聞こえなくなってしまったか、異質の聲のみが聞こえてくるようになってしまったのでしょう。
私のいう遮る者とは意図的に靖國神社に向けてその存在を否定する者のことであり、政治問題化させ御親拝を中断させた者に他なりません。
それは朝日新聞を代表する新聞、マスメディア
、歴史家、大学教授、政治、左翼、右翼、であるのですが、
無関心な者はほぼ全員の日本人、宮内庁、戦没遺族でさえも50年当時を考えれば、
靖國神社と天皇陛下を除く全ての日本人がその遮る者に一旦はなってしまったことは否定出来ません。
誰一人英霊の聲を聞こうとする者がなく自ら遮る者、故意に遮る者、それらが蔓延しその存在すら忘れかけていたのかもしれません。
そして気付いた頃には日本人の半数以上が聞く耳を失ってしまい、己の聞きたい声しか聞けない者になってしまったのでしょう。
【イメージとしての靖國】
遮る者の印象操作として靖國の本質を全く無視したイメージを膨らませてきました。
●天皇家の神社
●戦争遂行する為の神社
●先の大戦を美化する神社
●悲しみを喜びに変える神社
●軍国主義、ナショナリストに通づる神社
●憲法違反を内在する神社
等々靖國神社を貶める為の印象操作がおこなわれてきました。
中でも最も靖國を孤立させ今まで国民を近づけない役割を果たしてきたものがあります。
見た目で役割を果たすのが街宣右翼であり、太平洋戦争を肯定する、東京裁判を否定するというような歴史観を否定する神社として内外に宣伝してきたのです。
【変化】
明治から靖國に大きな変化が3回あります。
①敗戦で宗教法人として存続
②昭和50年最後の御親拝
③所謂A級戦犯合祀
大東亜戦争の敗北によって占領軍から取り壊しか宗教法人として存続するかの選択を迫られます。①
昭和50年三木総理8/15靖国に私的参拝、玉串料はポケットマネー、公用車を使わず、SPを同行せず、
11/21天皇陛下②最後の御親拝をされる。
53年10/17③14人が昭和殉難者として合祀されます。
この様な大きな変化の後に富田メモによって大捏造がおこなわれます。現代史家の秦郁彦氏によって戦犯合祀に不快感を示され御親拝を中断されたというデマが主流となります。
つまり靖国に戦犯が合祀されたから御親拝が中断している。という嘘のストーリーが常識化して総理大臣の参拝を政治問題化させ、マスコミが騒ぎ中韓の外交問題化まで巻き込む靖国問題を創り上げたのです。
【覚醒】
慰安婦問題に始まった韓国の国家規模の被害者ビジネスが英霊達を覚醒させたのでしょうか。
小林よしのりの戦争論に始まる左からの覚醒は
慰安婦問題、南京事件、太平洋戦争の嘘を暴き天皇論を始め保守的な言論の支持者を増やしたでしょう。
そんな中にあって靖国については顕彰の行為を問題視させて保守派を攻撃するあたりはインテリ学者に敬意を示しているのか、依然として
小泉、安倍の参拝が天皇陛下の御親拝を遠のかせるという左派的政権批判に引き戻そうと反靖国色を滲ませるのです。
小林氏のこの覚醒させておきながら引き戻す様な行為は間違いなく出版業界からの保守潰しととられても仕方のない行為です。
つまり、左派に身を置き右翼よりも保守的な思想でインテリ学者ぶりを鼓舞し靖国問題の弱点を露呈させ左に戻り反靖国に落ち着くのです。
彼には最初から英霊の聲など聞き取る耳もないし、聞こうともしていなかったのです。
【構図】
小林氏の覚醒がなんであったのかを知ることで
日本の構図が見えてくると感じます。
つまり、東京裁判史観の社会で己れの欲のみに重きを置いてリベラルを貫く戦後生まれの典型なのです。愛国心の欠片もないのです。
次世代が議席を減らし共産党が僅かに増やす社会構造に結果として現れている様に、右端にある靖國に僅かに保守派が取り巻いている構図に
どちらにも直ぐに移動可能な国民が左右を行き来している図が頭を離れません。
【英霊の聲に応える】
上記した構図の中で保守派、主に次世代の党は何をすべきなのか、靖國にかけられた呪縛を解くのです。
その呪縛とは著名な歴史家をもってして社会で常識化している『富田メモ』を確固たる史実をもとに完全否定する事です。
その為には「俺たちは間違った戦争をしたのか」という英霊の聲に応える必要があります。
東京裁判史観を覆し常識化し日本国民が天皇陛下の御心を正しく理解し応える
つまりは英霊の聲に応えるということなのです。