○石原(慎)委員 浦島太郎のように十八年ぶりに国会に戻ってまいりました、暴走老人の石原であります。
私、この名称を非常に気に入っていまして、みずから愛称にしているんですけれども、せっかくの名づけ親の田中真紀子さんが落選されて、彼女の言葉によると老婆の休日だそうでありますが、これはまたうまいなと思って、大変残念でありますけれども。
これからいたします質問は、質問でもありますし、言ってみれば、この年になった私の、国民の皆さんへの遺言のつもりでもあります。
私がこの年になってこの挙に出た一番強いゆえんは、実は、昨年の十月ごろですか、靖国神社でお聞きした、九十を超されたある戦争未亡人のつくった歌なんです。
この方は二十前後で結婚されて、子供さんももうけられた。しかし、御主人がすぐ戦死をされ、そのお子さんも恐らくお父さんの顔を見ていないんでしょうがね。その後、連れ合いの両親の面倒を見て、子供も結婚し、恐らく孫もでき、ひ孫もできたかもしれませんが、その方が九十を超して、今の日本を眺めて、こういう歌をつくられた。
かくまでも醜き国になりたれば捧げし人のただに惜しまる
これは、私、本当に強い共感を持ってこの歌を聞いたんですが、国民の多くは、残念ながら我欲に走っている。
去年ですか、おととしですか、東京に端を発して幾つか事例があったようですけれども、東京の場合には、四十年も前に亡くなったお父さんを葬式もせずに隠してミイラにして、しかも数十年間その年金を詐取していた。このケースがあちこちで頻発して、政府は、どういうつもりか知りませんが、その数を公表しませんでしたが、こういう我欲が氾濫している。しかも、政治家は、そういうのにこびて、ポピュリズムに走っている。
こういった国のありさまを外国が眺めて軽蔑し、もはや、うらやむ、そのようなことはなくて、とにかく日本そのものが侮蔑の対象になっている。好きなことをされて、好きなことを言われている。なかんずく、北朝鮮には、物証も含めて数十人、いや、二百人近いですか、人が拉致されて、中には殺されている。これを取り戻すこともできない。
こういった国の実態を眺めて、この戦争未亡人が、あの戦のために死んだ自分の御主人というものを、自分の青春を想起しながら、とにかく、ただに惜しむという心情を吐露されたのは、私は、うべなるかなという気がしてならないんですね。
さて、総理が総裁選に出られる前、ある人の仲立ちで一晩会食いたしましたが、そのとき、私、いろいろなことをあなたにお聞きして確かめました。非常に心強い思いをして、期待しておりました。
まず、この国を今日の混乱あるいは退廃に導いた一つの大きな大きな原因である現行の憲法についてお聞きしたいと思います。
人間の社会に存在するいろいろな規範というものは、結局は、人工的なものはあるでしょうけれども、人間の歴史の原理というものがこれを規制して、それにのっとっていると思いますね。
戦争の勝利者が敗戦国を統治するために強引につくった即製の基本法というものが、国に敗れ統治されていた国が独立した後、数十年にわたって存続しているという事例を私は歴史の中で見たことがない。
もし、ちなみに、日本という独立国の主権者たる、つまり最高指導者の総理大臣が、この歴史の原理にのっとって、かつて勝者がつくって一方的に押しつけた憲法というものを認めない、これは廃棄するということを宣言したときに、これを阻む法律的見解というのは果たしてあるんでしょうか。
そういうものを含めて、あなたが今、日本の憲法についていかにお考えかをお聞きしたい。
○安倍内閣総理大臣 確かに、今、石原先生がおっしゃったように、現行憲法は、昭和二十一年に、日本がまだ占領時代にある中においてマッカーサー試案がつくられ、そしてマッカーサー試案が、毎日新聞によってスクープをされるわけでありますが、このスクープを見たマッカーサーが怒り狂い、もうこれは日本に任せておくわけにはいかないということで、ホイットニーに命じて、そして、ホイットニーが二月の四日に民政局の次長であるケーディスに命じて、二月の四日だったんですが、二月の十二日までにつくれと言って、ほぼ八日間、一週間ちょっとでつくり上げた。それが現憲法の原案であったわけでございますが、それが現在の現行憲法のもとである、このように認識をしております。
○石原(慎)委員 ですから、その憲法を、今の日本の最高指導者であるあなたがこれを廃棄すると仮に言われたときに、これを法的に阻害する根拠というのは実際はないんですよ、どこにも。
それに加えて、最近、北朝鮮はいよいよ核の開発に着手しています。地震も起こして、そういうのが検証されましたが。
かつて、自民党の政調会長をしていた、私の盟友だった中川一郎の息子さんの中川昭一君が、日本もそろそろ核のシミュレーションぐらいしたらいいんじゃないかと言ったら、慌てて、あのときのアメリカの政権の国務長官、ライスが飛んできて、これを慰撫したという事実がありました。
しかし、こういった非常に厄介な状況というのが日本の周りでどんどん進展している中で、私たちは、憲法の破棄なり改正というものを含めて、この国をもっと自分自身で守る、守り切るという基本的な法的な体制というのをつくる必要があるんじゃないかと思う。
日本人がなぜか非常に好きなトインビーの「歴史の研究」という本の中に有名な文句がありますけれども、いかなる大国も衰亡し、滅亡もする、しかし、国が衰弱する要因は幾つもあって、これは自覚できる、そしてその対処もできる可逆的なものだ、ただ、一番厄介な大国の衰亡あるいは滅亡につながる要因は何かというと、自分で自分のことを決められなかった国は速やかに滅びるといって、国の防衛を傭兵に任せたローマ帝国の滅亡を挙げています。
私は、これを、総理初め国会議員、国民の皆さんに思い直してもらいたい。ちょっと耳の痛いことになるかもしれませんね。
今では神格化されているかつての名総理だった吉田茂総理、この側近中の側近であった白洲次郎さんから私はおもしろいことを聞きました。私は割と年早く世間に出ていたものですから、当時は文壇というのがありまして、その文壇の催し物、ゴルフの会などで、小林秀雄さんと非常に仲がよかった白洲次郎の奥さんの正子さんの縁で白洲さんも出てこられて、一緒にプレーをしながらいろいろな話をしましたら、白洲さんが、吉田先生は立派だった、しかし、一つ大きな間違いをした、それは、サンフランシスコ条約が締結されたときに何であの憲法を廃棄しなかったのか、こう言っていました。私は、それを今になって思い起こすんです。
麻生さん、副総理として大事なポジションにいらっしゃるけれども、これは、あなたは安倍さんと一緒にこの問題について考えてもらいたい。
ちなみに、おもしろいお話をしますと、私の盟友、盟友というか非常に親しい友人であった村松剛という文学者がいました。これは亡き三島由紀夫さんとの共通の親友でしたけれども、彼が、トロントの、カナダの大学に交換教授に行って帰ってくる途中にニューヨークに寄って、ニューヨーク・タイムズの日本とドイツが降伏したその日のエディトリアル、社説をコピーして持ってきてくれた。それを読みました。
非常に対照的でおもしろかったのは、日本より数カ月前に降伏したドイツについては、この国は民族は非常に優秀だけれども、ナチスによって道を間違った、我々は、彼らが速やかに立派な国をつくるため、あらゆる手だてを講じ協力しようと書いてある。日本の場合にはちょっと違う。物すごい大きなナマズの化け物みたいな怪物がひっくり返っていて、その大きなあんぐりあいた口の中に、ヘルメットをかぶったGI、アメリカ兵が何人か入って、やっとこで牙を抜いている。そして、その論説に、この化け物は倒れはした、この醜く危険な化け物は倒れはしたが、まだ生きている、我々は世界のために、アメリカ自身のために、徹底してこの化け物を解体しなくちゃいけないということで、とにかくあの憲法というのはでき上がったんです。私たちはこれをやはり銘記する必要があると思う。
この二つの論説の違いの根底にあるのは、はっきり申しますけれども、近世というものを支配してきた白人のエゴイズムといいましょうか、人種差別による非常に大きな偏見だと思います。
日本人が割と好きなトインビーは、日本の近代化というのは世界の歴史の中の奇跡だと、ばかなことを言った。日本人はこれを喜んだ。しかし、これは何をもってするかというと、トインビーの日本の近世というものに対する不認識というか無知にほかならない。
江戸という成熟した期間があったからこそ、日本の近代化は唯一、有色人種でできたのでありまして、江戸の時代には何が起こったかといったら、私が苦手だった高等数学でいうと、微分積分というのは関孝和という人が江戸で発明した。私は文献を読みましたら、算用数字じゃない、漢字で書いてあって非常に読みにくいんですが、それから五十年おくれてドイツはライプニッツが微分積分を考えた。さらに、ニュートンがそれより三十年おくれて、つまり、関に比べて八十年もおくれて、とにかく微分積分を考えた。
経済でいうと、抽象経済、先物買いとかデリバティブとか、為替なんというものを考えたのはイギリス人と思われているが、とんでもない。はるかに先に江戸の堂島の要するに商人が、とにかくこういう抽象経済を始めたんです。
そういった、とにかく日本の近世の成熟というものをトインビーも知らなかった。外国人も知らずに、有色人種の日本人が列強に対比できる近代国家をつくったとは、白人のおごりからすれば、いまいましくて許せないことなんでしょう。そういう認識に立って、ニューヨーク・タイムズの論説というのは日本とドイツの降伏を比較しているわけです。これは、私から言わせると本当に笑止千万で僣越至極の話でありますけれども、そういう流れの中で日本の憲法ができた。
この憲法、議員の諸君も精読した人はいるんでしょうか。憲法、憲法と言うけれども。あの前文の醜さ、何ですか、あれは一体。例えば、ここに「この憲法を確定する。」日本語で言えば、普通、法律を決めるというのは制定ですよ。それから、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」恐怖と欠乏から免れ、ちょっとおかしな日本語だね。助詞の常套からいえば、これは恐怖と欠乏を免がれなんです。
日本語の助詞、間投詞というのは非常に大事でして、これ一つ間違うと、全然その作品の印象、文章の印象も違ってくるんですけれども、これを全く無視した、日本語の体をなしていない、英文和訳とすれば七十点もいかないような、こういう文章でつづられた憲法が、実はいまだにとにかく破棄も廃棄もされずに、非常に、これが醸し出した、吉本隆明の言葉じゃないけれども、絶対平和という一種の共同幻想というもので日本をだめにしてきたんです。
どうかひとつ、総理、それを考えて、この憲法をできるだけ早期に、大幅に変えて、日本人のものにしていただきたい。そのためには、私は挙げての、いかなる協力もします。
それで、一つ伺いますけれども、第一条の、天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると書いてありますが、この象徴の具体的意味というのはどういうことなんでしょうか。どう解釈されますか。
○安倍内閣総理大臣 象徴というのは、いわば、日本国において、権力を持つ存在ではなくて、まさに日本の長き歴史と伝統と、そして文化と日本国民を象徴する存在であるというふうに私は理解をしております。
○石原(慎)委員 大まか、まさに正しいと思いますね。これは決して政治的な権力、権威というものの象徴じゃないんです。
もっと具体的に言いますと、天皇は、現今の世界の中で唯一のプリーストキングですね。プリーストキングという意味は、神道という、これは果たして宗教かどうかわかりませんが、神道の大司祭なんです。
神道は、私は普通の宗教とは違うと思いますよ。これは言ってみると、カントが言った、理性を超えた人間の非常に崇高な属性、感性というか情念といいましょうか、そういったもののとにかく結晶であります、神道というのは。
ですから、熱心なカトリック教徒の曽野綾子さんが、伊勢神宮に行って、まざまざこれが日本だということを自覚したとエッセイに書いてありました。私もつき合って何日か同行したことがありますけれども、日本にやってきたアンドレ・マルローは、三重県ですか、那智の新宮に行ったときに、あの鳥居をくぐってから、ちょっと待ってくれとバックするんですな。それで、なるほど、この宮の神体はあの滝だなと言って、鳥居の中に滝をおさめて感心する。
つまり、何か人間の国境を越えた感性というものが要するに神道という形で結晶しているわけで、私は、その神道の大祭司たる天皇は、そういう意味での、つまり日本の感性、それがもたらした文化というものの象徴であって、決して政治の象徴じゃないと思いますね。
それで、それに付随したことでありますけれども、総理は、ことし靖国神社に参拝されますか、されませんか。私は、してもしなくてもいいと思っているんだけれども
○安倍内閣総理大臣 靖国参拝について、私はいたずらに外交的、政治的問題にしようとは思っておりません。ですから、私が靖国神社に参拝する、しないということについては、申し上げないということにしております。
一方、国のリーダーがその国のために命をかけた英霊に対して尊崇の念を表する、これは当然のことであろう、そのようにも思っております。
○石原(慎)委員 なかなか、聞いていてよくわからないような、わかるような難しいお答えですけれども、私は行かなくていいと思いますよ。これは、あなたが行くと結局政治問題になる。
ならば、そのかわりに、国民を代表して、あなたが一つのことをお願いしてもらいたい。それは、ぜひ国民を代表した総理大臣として、ことしは天皇陛下に靖国神社に参拝していただきたい。
これは決して政治的行為じゃありませんよ、文化的行為だ。宗教的な問題でもない。さっき言ったみたいに、神道という人間の情念の結晶の、その代表者である、象徴である天皇陛下が、戦争で亡くなった人を悼んでお参りをされるということは、これは祭司として当然のことで、これに異議を唱える国はないと思うし、天皇がそういう行動をとられることで、あの戦争を肯定することにも否定することにもならない。
あの戦争に対する評価について言えば、日本人はいまだに、一方的に、ニュルンベルクなどと同じように、戦勝国が敗者を裁いただけの東京裁判の史観にとらわれているようですけれども、しかし、その後、マッカーサーはアメリカの議会で、今から考えてみたら、あの戦争はやはり日本にとって自衛の戦争だったと証言しているじゃないですか。
私が、若いころ、高碕達之助さんの紹介で会うことのできたエジプトの二代目の大統領ナセルも、それから、その後しばらくして会ったインドネシアのスカルノ大統領も同じことを言いました。我々が独立を果たせたのは、第三次世界大戦に勝ったおかげだと。第三次世界大戦というのは何ですかと聞いたら、独立戦争だ、それができたのは日本のおかげだと。私は、その言葉は今でも重く受けとめていますし、あれによって、やはり世界が変わり、国連に、有色人種の国が独立して一票を投じるような資格を得たんじゃないんですか。
ですから、この靖国参拝が政治的に解釈されて、あの戦争というものの価値観というものにひっかかってくるならば、これはとにかくやめたらいい。やられる必要はない。そのかわり、神道の祭司である天皇陛下に、国民を代表して、ぜひぜひ、とにかく靖国参拝していただきたいということをあなたからひとつ陛下に奏上して、お願いしていただきたい。いかがでしょうか。