乙武氏のツイートが炎上している。
乙武氏への反対意見は意外に多い。
「私は精神障害者ですが、自分の状態を事前に相手に伝える事は必要だと思います。航空会社の方が謝罪しているのであれば、木島さんも事前に伝えなかった事を謝罪すべきだと思います。 バリアフリーは、見える物だけではなく、見えない心にも必要ではないですか?歩み寄りましょう。」
「どうしたことか あなたや木島さんとやらの振る舞いを見ていると 都合の悪い時だけ”障がい者”になって ワガママを言えばなんとかしてくれると甘く考えてるような気がしてなりません 今回の件においては 例え相手が障がいをもっていようが 単なる迷惑行為で 非常識なだけです」
「ただのクレーマーですやん。1カ月以上前にチケット手配しているのに車イスの連絡意図的に入れず、職員の制止を振り切って勝手によじ登るという。 空港職員が規定で介助できないのは、何かあったときにあなたみたいなクレーマーが騒ぐからですよ。 障害者もルールは守るべきです。」
日本建築には古来より敷居というバリア?がある。
「敷居が高い」とは
義理を欠くことやご迷惑をおかけするようなことがあって、その家に行きにくいという意味だ。
現在では「自分には合わない、難しい」つまり、『ハードルが高い』と誤用されている。
高いのなら低くして失くしてしまえばいいと始まったのが家屋のバリアフリー化である。
そもそも高齢になるとつまづいて危険であるとの思いやりから始まった。
「二度と敷居を跨がせない」にもあるように敷居とは跨ぐものである。
少し脱線するが、和室には古来からのマナーがあり、例えば畳の縁は踏まないなどはそこから忍者などが刀で刺すという護身術がマナーとなった。
敷居は通常その上に建具の引き戸が付くが、敷居を踏んでしまうと建付が狂い戸が開かなくなってしまうからだ。
納戸構えと言って大切な部屋に入りづらくする為意図的に敷居を高くする工法もある。
要するにバリアフリーとは思いやりの伝統破壊とも言える訳だ。
従って今回のバニラエアー問題は両者に思いやりが欠けており、それを乙武氏が車椅子の方だけを擁護したのが炎上理由だろう。
この件に関してお馴染みの木坂麻衣子氏が次のようにツイートしている。
これに対して極めて常識的な反対派が次のようようなリプライをしている。
【ソシオパシー】
日本語で反社会病質
反社会性人格障害とも知られており、社会で一般的とされている言動や倫理観に適応できない状態。ソシオパスとされる人々には、犯罪を行ったり、あぶないカルト集団を組織したり、自身や他人を傷つけたりするなどの危険な言動が見られる。
ソシオパスの可能性がある人々には、良心の欠如、法律の軽視、よく嘘をつくなど、いくつかの兆候が見られます。
日本においては病気ではない。
恐らく木坂氏は航空会社に連絡するという思いやりの欠いた車椅子の方、もっと言えばある種確信犯的な行動が先行し、会社にダメージを与える行為をソシオパスと判断したのだと思う。
見た目が健常者の精神障害への思いやりは遥かに高度で困難である。
つまり、乙武氏の擁護は健常者への過度な思いやりを要求するものであり、特段勝ち取るものでもなく、寧ろ逆に車椅子の方の敷居を高くしてしまっている。
これでは健常者の思いやりは育たない。