3.ジョゼフィーヌと『リー&ケネディ商会』
ジョゼフィーヌ御用達の栽培業者は、18世紀ヨーロッパNo1の栽培業者『リー&ケネディ商会』であり、ジェームズ・リー(1715-1795)と、ルイス・ケネディ(1721-1782)が1745年に設立した。
18世紀のイギリスは産業革命が進行した世紀だが、一方で、世界の花卉植物が愉しめる時代でもありマッソンのようなプラントハンターと、採取してきた植物を育成栽培する栽培業者(nurseryman)が勃興活躍した。
ジョゼフィーヌと交流があったのは、2代目のジェームズ・リー(1754-1824)で、南アフリカでのプラントハンティングのベンチャービジネスに共同出資もしていたようだ。
ジョゼフィーヌはバラだけでなく、南アフリカケープ地方のヒースマニアでもあり、1803年からのジェームズ・ニーヴン(1774-1827)の南アフリカケープ地方でのプラントハンティングに、ジェームズ・リーなどと共同出資し、その成果をヒースなどの新種という現物でも受け取っていた。ジョゼフィーヌのヒースの収集は、1810年頃には132種まで増えたという。
この2代目のジェームズ・リーは交際範囲が広く、アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソン、さらには、なんとフランシス・マッソンとも相当親密な交際をしていたようだ。
『リー&ケネディ商会』No1の実力は、顧客の質だけでなく、世界的な花卉植物の仕入れが可能だから出来上がった。そこには正式ルートだけでなく裏ルートも存在したようで、ジェームズ・リーとマッソンの交際も種子・球根などの横流しで疑われたようだ。
マッソンとジョゼフィーヌの接点は確認できていないが、ケープ地方のヒースを採取した第一人者はマッソンであり、ジョゼフィーヌにとっては、憧れのヒトであったかもわからない。
いつの時代でも趣味という領域は意外な人物を結びつけ、その先にさらに意外な人物が連なるという面白いネットワークをつくる。
善意の人たちのネットワークは、意外な力を発揮するが、悪意を持ったヒトがかかわると食い物にされるもろさがある。ジョゼフィーム、マッソンは食い物にされる善人のようだが、ジェームズ・リーはどうだったのだろう?
この商会は、卓越した個人技でNo1を構築したため、卓越した個人が消えた1899年に154年の歴史を閉じた。
4.ジョゼフィーヌの履歴書
ジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais, 1763 - 1814)は、1804年にナポレオンが帝位に就いたのでフランスの皇后になった。
彼女の生い立ちは、フランス出身かとばかり思っていたが驚いたことにコロンブスが発見しコロンブスにして“世界で最も美しいところ”と言わしめたカリブ海に浮かぶマルチニック島(現在はフランスの海外県)の貴族の家に生まれた。
1779年16歳のときにパリに出てきて、植民地長官の息子アレクサンドルと結婚したが1783年に離婚。1894年にアレクサンドルが革命政府に処刑されてからナポレオンと知り合い、1796年に結婚した。
ナポレオンと結婚しても、遊び癖は直らずパリでは有名な遊び人だったようだ。
ほんの一例が、1722年に完成したエリゼ宮は、フランス革命の激動を乗り越える際に
ダンスホールとゲームセンターになった時期がある。
ルイ16世のいとこにあたるルイーズ=バチルド・ドルレアン公爵夫人が生活苦に陥ったため1階部分を貸し出したためである。
このダンスホールでひときわ目立ったセクシーで目立つた美人がいた。エジプト、イタリアなどに遠征しているナポレオンの妻ジョゼフィーヌで、彼女が来るパーティやダンスホールなどは商売として成功するといわれるほどの有名人で相当な遊び人だったようだ。
エリゼ宮は今では国家元首が住む宮殿となっているが、最初にここに住んだ国家元首はナポレオンだった。
こんなジョゼフィーヌが、ナポレオンとの離婚後は、或いは、マルメゾンの館を買ってからは、庭造りと植物学にのめりこむ。
(写真)マリールイーズの花
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そして、1813年、マルメゾンの庭園でダマスクローズの園芸品種が誕生し、このバラに『マリー・ルイーズ』と命名し、別れた夫の再婚相手マリー・ルイーズに捧げた。
ナポレオンが再婚したマリー・ルイズは、神聖ローマ帝国フランツ二世の娘であり、マリーアントワネットの姪に当たる。
そして1813年は、ナポレオンがロシア進攻に失敗し翌年退位、エルバ島に島流しとなる時期であり、また、ジョゼフィーヌも翌年に病気で亡くなる。
フランス革命があったからこそカリブ海の一植民地の娘がフランスの皇后になれることが出来、離婚後は、庭造りと植物学に熱中しバラの歴史に革命をもたらした。
このエネルギーは何処から来ていたのだろう?
ジョゼフィーヌの本名は、マリー・ジョゼフ・ローズだった。
ナポレオンがフランス風に変えた“ジョゼフィーヌ”から“ジョゼフ・ローズ”に戻ったのだろうか?
激動期にマルメゾンで誕生したバラは、大きなうねりをつくり新しい血筋として未来に向かっていった。
彼女の名前には "ローズ”があり、そのバラが歴史に足跡を残した。