モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

サルビア・レウカンサ(Salvia leucantha)の花

2009-09-22 07:02:48 | セージ&サルビア
(写真)赤紫の萼と白い花が美しいサルビア・レウカンサ


メキシコ原産で秋を代表するサルビア。
英名では、 「メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)」と呼ばれるが、日本でも普及していて結構見かけるようになって来た。

「サルビア・レウカンサ」には、4種ほど有名な品種がある。区別をわかりやすくするために学名でかくと、
1.基本種でこれから紹介する「Salvia leucantha」
2.萼・花とも濃い赤紫色の「Salvia leucantha 'Midnight'」
3.この「サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’」とパイナップルセージとも呼ばれる「サルビア・エレガンス」との交雑種である「Salvia 'Anthony Parker'」
4.1999年にサンタバーバラでKathiann Brownによって発見された新種「Salvia leucantha 'Santa Barbara'」

1-3までは育てているので花が咲いた順に紹介していくが、ないものは欲しいという心情があり、草丈が短い「S.レウカンサ‘サンタバーバラ’」はいずれ手に入れたい。


「サルビア・レウカンサ」は、草丈150㎝で幅100㎝の大株に育つので初秋からの花として見栄えがある。葉は濃い目の緑色で細長くこの葉も魅力的だ。

メキシコ原産のサルビアの中では、耐寒性もあるので関東以西では根元を腐葉土などでマルチングすると戸外でも育てることが出来る。

「サルビア・レウカンサ」の発見者
この植物を発見したのは、キュー植物園のデータでは、プリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)が1900年10月にメキシコで発見したとなっているが、
ミズリー植物園のデータでは、1847年4月にメキシコでJosiah Gregg (1806 -1850)が発見している。
グレッグは、チェリーセージと呼ばれている「サルビア・グレッギー」などを発見したプラントハンターであり、メキシコから太平洋沿岸をとおりサンフランシスコまで探検をした西部開拓史を飾る人物でもある。

やはりグレッグが発見していたかと感心もしたが、1900年に発見したプリングルも面白い人物なので、下記に彼の紹介も掲載した。

(写真)サルビア・レウカンサの葉と花
        

サルビア・レウカンサ、(メキシカンブッシュセージ)
・シソ科アキギリ属の多年草。-5℃までの半耐寒性だが、霜が降りないところでは
 根元をマルチングすると戸外でも栽培できる。
・ 学名は、サルビア・レウカンサ(Salvia leucantha Cav.(1791))、種名のleucanthaは、“白い花の”からきている。
・ 英名は、メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)。別名が紫水晶のような色合いからアメジストセージ(Amethyst sage)、花がビロード状の柔らかい毛で覆われているのでベルベットセージ(velvet sage)という素晴らしい名がある。
・ 原産地はメキシコ。
・ 開花期は9月から11月と秋の代表的なセージ。赤紫のビロードのような萼(がく)につつまれ白い花が次々と咲く。
・ 草丈100-150㎝ぐらい。8月までに2回ぐらい摘心で丈を詰めるとよい。
・ 花後は、株元で切り詰め腐葉土・ワラなどでマルチングし越冬させる。

学名の命名者 Cav. は、
18世紀スペインの植物学の権威 カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)
カバニレスは、メキシコからの新植物の栽培も行い、ダリアをヨーロッパで初めて開花させたことでも知られる。
1801年からは、マドリッド王立植物園の園長を彼が死亡する1804年まで務めた。
メキシコの宗主国スペインの代表的な植物学者カバニレスに献じられた植物は多い。

        

サルビア・レウカンサの発見者:プリングル
こんなアンビバレントな素晴らしいサルビアが発見されたのは、1900年10月と意外と遅い。
発見場所が、メキシコシティの真下にあるモレロス州の2000mを越えるテポトラン山中の崖というから発見が遅れた理由が何となく理解できる。

        
        (緑のマークがサルビア・レウカンサの新種が採取された場所)

限界を超えたその時に、発見されるべくしてそこで待っていたのだろう。
そして発見者は、限界を超えた男の一人であるプリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)

プリングルは、アメリカの植物学者というよりは数多くの新種を採取したプラントハンターであり、メキシコ・アメリカ・カナダなどの植物相の探索と収集に力を入れ、特にメキシコの植物の採取とその標本の作成には35年をかけたという。

彼が収集した新種の数は1200以上もあり、プラントハンターとしても素晴らしい実績を残している。

しかしプリングルは、順調にボタニストとしての道を歩んだわけではない。
兄の死により、大学を中退し家業の農場経営に戻り、25歳で結婚したが、その直後に南北戦争(1861-1865)の兵役召集があったが、クエーカー教徒としてこれを拒否し牢に入り、過酷な待遇に歩けないほどに衰弱した。

リンカーン大統領の恩赦で病気治療のために出獄したが、健康が回復するのは彼が30歳の頃のようだ。

30歳半ば頃から好きな植物採集の道に入るようになり、1874年に最初の採取旅行をバーモント州のキャメル山脈で行い、バーモンド州中で集めた標本を1878年の第三回パリ万博で展示発表した。
プリングル40歳の時で、パリ万博のカタログを見たが、確かに小さくプリングルの名前が載っていた。

ここから第一線のプラントハンター兼植物学者プリングルの道を歩むことになるが、
若い時は決して順調な人生ではなく、回り道をしながら好きこそモノの始まりを生涯で達成した人でもある。

そして何よりも気に入ったのは、プリングルを評して
『 His species are beautiful 』
といわれたことだ。彼が見つけた「サルビア・レウカンサ」も確かに美しい。

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