(写真)サルビア・アズレアの花
「サルビア・アズレア」は、
アメリカ南東部が原産で、草原・道端などに咲いているという。この地域は“プレーリー”とも呼ばれる大草原であり、そこに咲くので「プレーリーセージ(Prairie sage)」とも呼ばれている。
丈は、150~200cm程度まで伸び、葉が細長く小さいので筋肉質のスラッとしたスタイルをしている。大草原でブッシュを形成するとあらゆる隙間から茎を伸ばす自在な成長をし、茎は柔らかい記憶合金の針金のように過去の履歴を残しブッシュを形作る。
その枝の先に花序を延ばし、アズレア色といわれる空色をした素晴らしい花をつける。
乾燥した冷涼な空気感でのアズレア色の花は、人の足跡の無いアメリカ中部の原野“プレーリー”にいざなわれ、何をすることもなく、何を考えることもなく無の時間に浸れそうだ。
こんな時間に出会うと実に気持ちが良い。
このアズレア色は、美しいブルーの代名詞でもあり、イタリア代表サッカーチームのユニフォームの色でもあり、この代表チームの愛称はAzzurri(アズーリ)とも呼ばれている。
これほどのサルビアなので、人気になっているポピュラーなサルビアのはずだが、原産地アメリカでも意外なほど情報量が少なく、また適切なものも数少ない。
ということは、まだポピュラーではないということなのだろうか?
推定:サルビア・アズレア(Salvia azurea)の発見者
「サルビア・アズレア」の初期の発見者は良くわからない。
基本種の学名は、Salvia azurea Michx. ex Lam(1805)であり、1805年に登録されているのでこの年代の前に発見されていることは間違いない。
また、命名者には“Michx”が記載されていて、フランスの植物学者・プラントハンターのミッショー(Michaux, André 1746-1803)をさす。
ミッショーは、1785年11月にニューヨクに到着し1796年にフランスに戻るためにアメリカを去った。この間に、ミシシッピー川流域を初めとしたプレーリー地帯を探索している。
ミッショーがアズレア・ブルーセージを採取したという記録にはぶつかっていないが、彼が採取したという可能性は否定できない。
※ミッショーに興味があれば下記を参考
その57:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー①
その61:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー②
その62:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー③
その63:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー④
その64:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー⑤Final
その67:マッソンとミッショー 二人の関係 ①マッソン編
その68:マッソンとミッショー 二人の関係 ②ミッショーと二人の関係
(写真)サルビア・アズレアの葉と花
サルビア・アズレア(Salvia azurea)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・ 基本種の学名は、Salvia azurea Michx. ex Lam(1805)。英名はアズレア・ブルーセージ(azure blue sage)、別名は、スカイブルーセイジ(Sky blue sage)、ブルーセージ(Blue sage)。
・ アズレアには2種類があり、この花はどうもPrairie sage(プレーリーセージ)と呼ばれるもので、学名がSalvia azurea Michx. ex Lam. var. grandiflora Benth. (1848)のようだ。
・ 原産地は、アメリカ合衆国、ミズリー州などの中央部、ルイジアナ州などの南東部とテキサス。プレーリーと呼ばれる大草原はこの広大な地域にある。
・ 摘心をすると開花期は遅れ、9月~10月になり青い花を多数つける。
・ 草丈は1.5m。枝は柔らかく丈夫で風などにゆれ癖がつき直立しない。
・ 2回ほど摘心が必要。1回だけにしたら2mぐらいになり強風で枝は東西に奔走する。
命名者
「Michx」:Michaux, André 1746-1803、フランスの植物学者、プラントハンター
「Lam.」:Lamarck, Jean Baptiste Antoine Pierre de Monnet de 1744-1829、フランスの植物学者ラマルク
「Benth.」:Bentham, George 1800-1884、イギリスの植物学者ベンサム
「サルビア・アズレア」は、
アメリカ南東部が原産で、草原・道端などに咲いているという。この地域は“プレーリー”とも呼ばれる大草原であり、そこに咲くので「プレーリーセージ(Prairie sage)」とも呼ばれている。
丈は、150~200cm程度まで伸び、葉が細長く小さいので筋肉質のスラッとしたスタイルをしている。大草原でブッシュを形成するとあらゆる隙間から茎を伸ばす自在な成長をし、茎は柔らかい記憶合金の針金のように過去の履歴を残しブッシュを形作る。
その枝の先に花序を延ばし、アズレア色といわれる空色をした素晴らしい花をつける。
乾燥した冷涼な空気感でのアズレア色の花は、人の足跡の無いアメリカ中部の原野“プレーリー”にいざなわれ、何をすることもなく、何を考えることもなく無の時間に浸れそうだ。
こんな時間に出会うと実に気持ちが良い。
このアズレア色は、美しいブルーの代名詞でもあり、イタリア代表サッカーチームのユニフォームの色でもあり、この代表チームの愛称はAzzurri(アズーリ)とも呼ばれている。
これほどのサルビアなので、人気になっているポピュラーなサルビアのはずだが、原産地アメリカでも意外なほど情報量が少なく、また適切なものも数少ない。
ということは、まだポピュラーではないということなのだろうか?
推定:サルビア・アズレア(Salvia azurea)の発見者
「サルビア・アズレア」の初期の発見者は良くわからない。
基本種の学名は、Salvia azurea Michx. ex Lam(1805)であり、1805年に登録されているのでこの年代の前に発見されていることは間違いない。
また、命名者には“Michx”が記載されていて、フランスの植物学者・プラントハンターのミッショー(Michaux, André 1746-1803)をさす。
ミッショーは、1785年11月にニューヨクに到着し1796年にフランスに戻るためにアメリカを去った。この間に、ミシシッピー川流域を初めとしたプレーリー地帯を探索している。
ミッショーがアズレア・ブルーセージを採取したという記録にはぶつかっていないが、彼が採取したという可能性は否定できない。
※ミッショーに興味があれば下記を参考
その57:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー①
その61:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー②
その62:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー③
その63:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー④
その64:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー⑤Final
その67:マッソンとミッショー 二人の関係 ①マッソン編
その68:マッソンとミッショー 二人の関係 ②ミッショーと二人の関係
(写真)サルビア・アズレアの葉と花
サルビア・アズレア(Salvia azurea)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・ 基本種の学名は、Salvia azurea Michx. ex Lam(1805)。英名はアズレア・ブルーセージ(azure blue sage)、別名は、スカイブルーセイジ(Sky blue sage)、ブルーセージ(Blue sage)。
・ アズレアには2種類があり、この花はどうもPrairie sage(プレーリーセージ)と呼ばれるもので、学名がSalvia azurea Michx. ex Lam. var. grandiflora Benth. (1848)のようだ。
・ 原産地は、アメリカ合衆国、ミズリー州などの中央部、ルイジアナ州などの南東部とテキサス。プレーリーと呼ばれる大草原はこの広大な地域にある。
・ 摘心をすると開花期は遅れ、9月~10月になり青い花を多数つける。
・ 草丈は1.5m。枝は柔らかく丈夫で風などにゆれ癖がつき直立しない。
・ 2回ほど摘心が必要。1回だけにしたら2mぐらいになり強風で枝は東西に奔走する。
命名者
「Michx」:Michaux, André 1746-1803、フランスの植物学者、プラントハンター
「Lam.」:Lamarck, Jean Baptiste Antoine Pierre de Monnet de 1744-1829、フランスの植物学者ラマルク
「Benth.」:Bentham, George 1800-1884、イギリスの植物学者ベンサム