(写真)レンギョウの花
「レンギョウ(連翹)」は、初春から鮮やかな黄色の4枚の花弁の花が150㎝ぐらいの樹高の枝に密集して咲く。
その黄色の密集インパクトはかなり強烈で、冬から春への移り変わりを高らかに宣言している。
開花時期の終わりの四月頃から葉が顔を出し、夏から秋にかけて15mm程度の楕円球の果実をつける。この実を乾燥させたものは、古くから漢方薬として解熱剤、消炎剤、利尿剤、排膿剤、腫瘍・皮膚病などの鎮痛薬に用いられてきた。
原産地は中国であり、日本には平安時代に入ってきたという説と、江戸時代という説がある。
平安時代説の根拠は、平安中期に編纂された律令の執行細則『延喜式(えんぎしき)』(927年頃完成)に伊賀、尾張などの薬園で栽培しているという記述があり、また同じ時期に編纂された百科&国語辞書的な『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931年 - 938年頃編纂)には、“以多知久佐(いたちくさ)”“以太知波勢(いたちはぜ)”として記述されていることに拠る。
この「レンギョウ(連翹)」には2つのタイプがあり、
枝の先が地面に触れるとそこから根を出し匍匐性で、壁に這わせたりツル材として利用されるタイプ(「レンギョウ」及び「チョウセンレンギョウ」)と、枝が直立し庭木として利用される立ち木性のタイプとがあるが、この花木は、立ち木性なので中国原産の「シナレンギョウ(Forsythia viridissima)」のようだ。
また「レンギョウ(連翹)」は薬用としての利用期間が長く、花卉として評価されるようになったのはかなり遅いようだ。
中国では、宗の時代に周師厚(周叙)が花木として『洛陽花木記(らくようかぼくき)』(1082年)を書き、日本では,江戸時代に池坊2代目専好の弟子十一屋太右衛門(じゅういちやたうえもん)がいけ花の全書として『立花大全(りっかだいぜん)』を1683年に書いて「レンギョウ」を収録している。
薬用から花木としての「レンギョウ(連翹)」の再評価は、中国・日本で時間の差はあるとはいえ、文化の成熟と無縁ではなさそうだ。
江戸時代は、長期間の平和と農業生産性などの向上もあり、経済的な豊かさと心の豊かさを増し、世界有数の園芸マーケットを作り上げた。そこで変わり者の「レンギョウ」は花卉として認められた。
詩というものが良くわからない私だが、何故か高村光太郎の『千恵子抄』には感動した覚えがある。この高村光太郎は「レンギョウ」の花が好きだったという。
彼のお葬式では棺の上に大好きだった一枝の「レンギョウ」が置かれ、それ以降“連翹忌”ともいわれているという。
私はサルビア属の時期の花を予約しておこうかな。そして“サルビア忌”も!
(写真)一面黄色だらけのレンギョウの花
レンギョウ(連翹)
・ モクセイ科レンギョウ属の広葉小木。
・ 学名は、Forsythia suspensa Vahl (1804年命名)。属名の Forsythia は、スコットランドのケンジントン王立植物園の監督官を務めた園芸家フォーサイス(Forsyth , William. 1737 - 1804年)に因み、種小名のsuspensa は枝が“垂れさがる”意味である。
・ 英名はgolden bells, Japanese golden bell tree。和名は漢名の連翹(れんぎょう)からくるが、中国での連翹は別種のトモエソウ(学名:Hypericum ascyron)のことをさす。中国名は黄寿丹。
・ 原産地は中国で朝鮮半島、中国、日本にも分布する。
・ 雌雄異株で、開花期は3-4月で2-3cmの黄色の4枚の花弁が枝一杯に咲く。
・ 乾燥させた実は、古くから漢方薬として解熱剤、消炎剤、利尿剤、排膿剤、腫瘍・皮膚病などの鎮痛薬に用いられる。
命名者:
Vahl, Martin (Henrichsen) (1749-1804)Vahl, Martin (Henrichsen) (1749-1804)
デンマーク、ノルウェーの植物学者、1801-1804(死亡)までコペンハーゲン大学の植物学教授。ウプサラ大学でリンネに教えられた弟子の一人で、1783~1788年にヨーロッパと北アフリカでいくつかの植物探索の旅行をした。