モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その2 

2007-10-30 06:19:12 | フェルメール
その2:近代資本主義の芽生え

フェルメールは、オランダが世界を制覇した時代の
1632年10月31日に現在のオランダ南部のデルフトに生まれた。
フェルメール作 『牛乳を注ぐ女』リンク

フェルメールの画風&オランダ風俗画は、偶然の産物ではなく、
なるほどという時代背景がある。
その時代背景の簡単なおさらいからはじめると・・・・・・
(近代の曙の歴史ということで、これを書く文献サーチは自分のタメになっている。)

【市民階級の出現】
15世紀からのネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクにあたる地域)は、
毛織物産業が勃興し、裕福な商工自営業者である階層が新たに誕生した。

中世は、支配階級(地主=貴族・教会)と被支配階級(小作人)という単純な関係だったが、
裕福な商工自営業者の多くは、王侯貴族・教会が支配する中世社会からの脱皮を願い
宗教的には、偶像崇拝を禁ずる新教(プロテスタント)を信じ、
それまでの支配階級と1568年から80年間にわたって生存をかけて戦った。

【プロテスタントを奉ず】
1581年には、カトリック教を信じ、新教徒を弾圧・虐殺した
スペイン国王でハプスブルク家のフェリペ2世の統治権を否認する布告を出し、
1600年頃にはネーデルランド連邦共和国として独立した。

【17世紀はオランダがグローバルNo1】
1602年には、世界初の株式会社として著名なオランダ東インド会社を設立し、
ポルトガル・スペインがそれまで独占していた香辛料貿易を奪い、
世界の海を支配することになる。

日本との関係では、
1609年には、平戸にオランダ商館を建設し、
1641年には唯一の交易国として長崎出島に移転した。
江戸幕府のキリシタン(旧教)禁止に、新教国であるオランダが大きくかかわった。

王侯貴族・教会と戦ったオランダの画家にとって、
彼らから絵を発注・購入してもらうということが期待できなくなった。
新たなパトロン・顧客は、裕福な商工自営業者であり、かつ、プロテスタントでもあり
当然求めるものも異なっていた。
そこに17世紀のオランダ風俗画のユニークネスがある。

(Next:その3へ)
フェルメール作 『牛乳を注ぐ女』リンク


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